地域社会

駒場風土記 (19-3-12)

子供の時からそこに住んでいなかった人はもちろん、親の代からの住民であった人たちでも、その地域のことを案外知らないのが東京圏の人たちのようである。

まず、郷土史への関心が乏しい。郷土史の最小単位が目黒区とか、渋谷区ということで、住んでいるところとの実感を持ちにくいのだろう。そもそも大部の区史を読む気にもなるまいし、区切り方が難しいので適当な冊子もない。

駒場地域の郷土史のみならず、駒場の今を知ることができるなら、学生でもこの地に愛着がわいてくるのではないか。

そこで、そんな情報を閲覧できるサイトを作ることにした。タイトルは『駒場風土記』。範囲は「駒場町会」、「氷川台町会」、「上八北自治会」の青葉台4丁目と大橋2丁目、「上八町会」の大橋2丁目のエリアとする。4か所の避難所運営の体制をつくっている駒場防災会議で住民のつながりのある地域なのである。

氷川神社からリサーチキャンパスの正門までを結ぶ目黒区の北端部にあたり、人口は約1万3千人。歴史は旧石器時代にまでさかのぼり、徳川時代からは幕府の御用地で、徳川将軍と加賀前田家ゆかりの地でもある。そこには、典籍や古文書を中心に国宝22件、重要文化財77件等を収蔵する「尊経閣文庫」、近現代文学の資料を保管する「近代日本文学館」、新古工芸品約17000点を収蔵する「日本民藝館」があり、いうまでもなく、東京大学では数多くの学術・文化活動をしている。

住民の数は約1万3千人なのだが、東京大学の教職員と学生だけでも同程度の規模になる。そんな地域の様子を10のエリアに分けて紹介し、4月に公開して以後随時更新していくことにする。地域メディアといえるものを目指したい。

| | コメント (0)

人生100年時代のまちづくり (19-3-3)

北部いきいき支え合いネットワークが発足して1年ということで、1月21日に「地域の支え合いセミナー」が開催された。日本社会事業大学の菱沼幹男准教授の講演を受けて参加者が話し合うというもの。参加者数は北部地区包括支援センターと目黒区社会福祉協議会のスタッフを別にすると41名。その中から19名の方がアンケートに回答している。
講演の内容は、なぜ地域の支え合いが大切なのか、ということで、人との交流があったものの死亡した時点で孤独であったという孤独死と、社会的つながりがなく、孤立状態で死亡後発見まで時間がかかる孤立死についてふれられた。
アンケートの回答を見ると、居場所、老人クラブ、外出しない高齢者、などなどの課題が記述されている。

一方、全国レベルでは、3月1日に「人生100年時代のまちづくり~コミュニティで創るイノベーションプラットフォーム~」と題するシンポジウムが東京大学で行われた。科学技術振興機構にて採択されたプロジェクトで、東京大学高齢社会総合研究機構が取りまとめを行ったものである。
その中で配布された資料に「おたがいさまで楽しく暮らそう!」と題した実践ガイドの冊子がある。「おたがいさまコミュニティ」を提案するもので、超高齢社会の到来に向けて、多様な世代・立場の人たちが、地域の課題や変化を「わが事」としてとらえ、「あったらいいな」と思うことを楽しく形にしていくコミュニティづくりの考え方、としている。

コミュニティということでは町会が見直されているという。70年代にはやった町会とは別に行政により立ち上げられたものはうまくいっていないとのコメントもあった。
町会のコミュニティとしての機能は、例えば盆踊りを主催すること。見直されているとはいえ、役員の引き受け手にはどこも苦労しているようだ。

そんなことなどを意見交換をする場が「こまば高齢社会勉強会」。毎月第4火曜日の午後1時半から愛隣会のここからカフェで開催している。次回3月26日(火)は「おたがいさまコミュニティ」について話し合う。参加者は毎回10名程度だがどなたでも歓迎。申し込みは不要で当日会場へどうぞ、というものである。

| | コメント (0)

まちの人口構成 (19-2-19)

駒場・青葉台4丁目・大橋2丁目の地域は、4つの町会で構成されているが、町会をまたぐ形で4か所の避難所が決められていて連携した活動をしているので、そこを一つの地域と見てもよいだろう。上目黒氷川神社がカバーする地域の北半分ということにもなる。

その人口は今年の1月の数字が13,481人であるのに対し、50年前の1969年は16,011人であった。19%近くも減っているのである。一方で世帯数を見ると、6993世帯から8105世帯にと16%も増えているのである。その理由については、人口統計を細かくみることで納得がいく。
町丁別の人口と、カッコ内の世帯数は、1969年と2019年を比較すると以下のようになっている。

        1969年   2019年
駒場1丁目  4819(1855) 4068(2463)
駒場2丁目  1037(432)  571(338)
駒場3丁目  2620(1386) 788(423)
駒場4丁目  1021(380) 1649(965)
青葉台4丁目 1245(478) 1871(1186)
大橋2丁目 5269(2462) 4534(2730)

人口が増えているのは駒場4丁目と青葉台4丁目。広い道路に面した高層の集合住宅の建設によるもので、世帯数が駒場4丁目で2.5倍、青葉台4丁目で2.4倍となっている。
世帯数のみの増加では、これに駒場1丁目と大橋2丁目が加わるが、1世帯あたりの人口が減っていることで、人口減になっていることになる。
駒場2丁目の減少は公務員宿舎の廃止、駒場3丁目は東大駒場寮の廃止の影響が大きいものと思われる。

では、将来はどうなるのか。2030年の時点を見通すと、青葉台4丁目はマンションの建設が進むので人口・世帯数共に増えるだろう。駒場1丁目、4丁目、大橋2丁目は世帯数が若干増えて微増か。駒場2丁目、3丁目は現状維持が精いっぱいと見る。

| | コメント (0)

町会と回覧板 (19-2-17)

読売新聞のWEB版で「回覧板、面倒くさいなぁ(愚痴)」という意見に対してさまざまなコメントが寄せられている。町会と回覧板についての意見がでそろっているといってもよいだろうか。
https://komachi.yomiuri.co.jp/t/2017/1221/830971.htm?o=0&p=1

地域には区や町会の掲示板があるが、そこに掲載できるスペースは限られる。一方で、行政機関の立場からは、知らされていなかった、といわれることのないようにしたいだろう。そのためには、とりあえず回覧板を使うのが手っ取り早い。

一方で、回覧の頻度が増えると、その手間が面倒ということにもなる。いらない情報が多すぎる、という苦情もあるようだ。

町内会での回覧板がはじまったのはWikipediaによると昭和15年の内務省通達が契機とか。戦時体制ということになるだろう。1940年からだから80年近くの歴史があることになる。

しかし、いうまでもなく、この地域の事情は大きく変わっている。集合住宅の住民の数が増え、回覧板を見ることのない人の方が多数派になっているのではないか。回覧板など知らない、見たことない、という人も少なくないだろう。

住民が知りたい地域の情報は、必ずしも住民票のある行政機関からのものとはいえないのが東京である。インターネットで関心のある情報が取りやすくなっている一方、地域の役に立つ情報が何なのかも考えてみたい。区議会議員選挙の参考にするためにも。

| | コメント (0)

目黒区高齢者運動会 (18-10-17)

今年で第80回という目黒区高齢者運動会が目黒区田道広場公園で開催された。毎年1回の開催だと1939年、昭和14年からということになるのだが、春秋2回開催されていた時期もあるそうなので。いつからということはすぐにはわからない。戦前からあったとすれば、戦時中など開催されなかった年もあるだろうし。

主催は目黒区老人クラブ連合会で、目黒区が協力という形になっている。共催ではない。
この種のイベントによくある来賓もなく、プログラムにあった区長挨拶も、開会前に顔を出したというもの。警察署から特殊詐欺への注意喚起があり、会場を回っていた。

目黒区には40の老人クラブがあり、そのうちの35クラブが運動会に参加した。青・黄・白・赤の4チームをそれぞれ8~9のクラブから編成し、7種目で得点を競うというものである。参加者はそれぞれのチームごとに延べ264名。参加者は2回か3回競技に出場するため、全体で4~5百名の参加というところだろうか。家族などの応援は見られなかった。

競技種目は、輪投げリレー、グラウンドゴルフボール送り、順送球、大玉転がし、ボビン転がし、ラケットボール送り、紅白玉入れの7つ。午前10時から午後3時30分までの長時間、70代を中心とする高齢者が、グランドで応援、出番待ち、競技出場という形で時間を過ごすことになる。最高齢はわかっているだけでも91歳の男性が参加している。

高齢者運動会と聞いただけで、危ないと思う人も少なくあるまい。看護師2名が待機しての開催である。とはいえ、生活する上で高齢者ゆえのリスクは多い。競技に参加できるのであれば、参加したことにより危険度がそれほど増すとも思えない。走れば転ぶこともあるかもしれないが、走る機会があってもよいのではないか。そうすることで転倒予防になるかもしれない。

いずれにせよ、この運動会に参加できる高齢者は、健康には恵まれているといえる。

開会式
181017_1

輪投げリレー
181017_2

グラウンドボール送り
181017_3

順送球
181017_4

大玉転がし
181017_5


| | コメント (0)

終活を考える場所 (18-8-29)

毎月開催している高齢社会勉強会、今月は昨日28日がその日だった。準備したテーマは「終活」といわれるものにどんなことがあるかということであった。
その会に参加したメンバーの一人が、朝日新聞の天声人語のコピーを配布した。8月28日付のコラムで、矢部太郎著『大家さんと僕』の書評なのであるが、おあつらえむきに、会の話題そのものの内容となっていたのである。

その最後の2節を転記する。▼厚生労働省の調査によると、死の間際に望む医療についてだれかと話し合った人は4割に満たない。自らの死を大っぴらに語ることへのためらいが、私たちにはなお根強いようだ▼作品から感じるのは、肩ひじの張らない終活もあるということ。訪ねたい場所、片づけたい品々――。胸の奥にある望みを、信じて話せる相手がいれば、人生の幕は意外と滑らかに閉じられる。そんな気がした。

「自らの死を大っぴらに語ることへのためらい」「胸の奥にある望みを、信じて話せる相手」ということだけでも大きなテーマになる。繰り返し話し合うことのできる場が必要だろう。
相手がいないと、人生の幕は滑らかに閉じることは難しい、ということにならないように。

| | コメント (0)

ケアタウン小平に学ぶ(18-8-11)

小平市に出かけて「ケアタウン小平」のことを知った。小金井公園の西南部に接して立地し、デイサービスセンター、訪問看護ステーション、ケアマネジメントセンターの機能に加え、心理相談、子育て支援、豊かな庭づくり、文化スポーツクラブ、地域ボランティア育成、セミナー等企画運営を行っている。
http://caretownkodaira.net/npo/index.html

「ケアタウン小平」は「在宅ホスピス」ということで、在宅のまま人生の最後を迎えることができるような体制づくりをしているのである。ケアタウン小平クリニック院長の山崎章郎医師の最近の著書『「在宅ホスピス」という仕組み』にその詳細がある。

特に注目したいのは地域ボランティアの育成である。ホームページにはそのことについて以下のように書かれている。

「その人らしさを支える」には、専門スタッフだけでは支えられません。ホスピスケアの理念のもと制度の限界を越え、「社会の風」をケアの場面に吹き込んでくれるボランティアの力が必要です。
また、ボランティア活動を通じた様々な気づき、ボランティア同士のつながり、 利用者や入居者とのつながりなど「ケアを通じた地域づくり」 にもつながっています。「自分がケアを必要とした時、安心をもって支えを得られる地域」を目指していきます。

目黒区では、地域の支え合いネットワークの構築を北部、東部、西部、中央、南部の5地区ごとに実施することを目指している。その具体的イメージをケアタウン小平に求めてはどうだろうか。ボランティア活動を活発にするための組織化も必要であろう。

| | コメント (0)

パソコンの故障に備えることから(18-7-20)

パソコンやプリンターは一般の家電製品と同様に壊れるものである。どこが壊れるかによって被害の度合いはさまざまなのだが、その覚悟はしておかなくてはならない。

パソコンが壊れると、まず蓄積されていたデータが失われる。その対策として、これまで、外付けのハードディスクやUSBメモリーにバックアップを取っていたのだが、最近はクラウドといって、インターネット上のサーバーに保存することで回避できるようになっている。マイクロソフトのOne DriveやGoogleクラウドの利用が便利である。これらを利用することで、バックアップの手間が不要になっている。

メールもGmailなどWEB画面で閲覧していれば被害はほとんどないが、PC上のメールソフトからの接続は以前と比較して難しくなったようだ。セキュリティーの問題からなのだろう。もちろんパソコンにあったメールデータはなくなる。
Windowsも新しくなるほど複雑になっているし、Wifiとの接続も必要なことが多いので大変なのである。

故障リスクの大規模なものは、大規模災害がもたらす住居やインフラ破壊による日常生活への影響だろう。これについては、地域で行われている防災訓練や避難所運営訓練などで、被災のイメージを身に着けておくと共に、サポート体制を知っておくことも必要である。

更に、誰もが100%逃れることのできない自分の老いと死。70歳を超えるころから、心の準備をしておいた方がよいだろう。7月24日の高齢社会勉強会は、「長生き地獄にならないために」という内容で話し合う。

いずれにしても、備えあれば憂いなし、とまではいかないにしても、備えなければ地獄を見るかもしれない。

| | コメント (0)

消防団の将来(2018-6-22)

消防庁のホームページによると、八代将軍吉宗が、江戸南町奉行の大岡越前守に命じ、町火消「いろは四八組」を設置させたことが今日の消防団の前身といわれているらしい。
同じ画面には、昭和4~5年から、軍部の指導により、民間防空団体として防護団が各地に結成されたとの記載もある。そして警防団として昭和14年4月1日に全国一斉に発足し、昭和22年に警防団が解消され「消防団」が組織されたと書かれている。

目黒消防団も昭和22年に創設されたもので70年もの歴史を有することになる。その前身となるのが目黒警防団なのであるが、それを全国に先駆けて組織化したのは、そのころ陸軍参謀本部に勤務していた前田利為侯爵であったと、その伝記には書かれている。

駒場と東山地区の目黒消防団第一分団は前田侯爵邸のお膝元。警防団8年、消防団70年の歴史の中には数多くのエピソードがあるのだろう。

そして21世紀の現代、人口構成は全く変わり、地域内で仕事をする人も減った。消防団の担い手となる可能性のある人の数が絶対的に減っている。とはいえ、消防団に期待される役割に変わりはないだろう。では、どうすればよいのか。

消防団はポンプ操法大会に向けての夜間の訓練(写真)で、出動時に備えている。消防士とは違い、正規の雇用関係にはない消防団員で半公務員の身分。少子高齢化、人口減少時代になってその数を維持できるのかどうか。

AIなど最新の技術を使って何ができるのかであるが、消火には今のところ放水しかなさそうな中で、それを東京という地域の特性により70年前からの体制を維持するしかないのかなど気になるところ。消防団の活動にはもっと幅広い関心がもたれてよい。


180622


| | コメント (0)

目黒区のコミュニティ行政(2018-5-1)

広原盛明著『日本型コミュニティ政策』は2段組464ページに索引と参考文献のページがつく大著で、地域コミュニティ政策について東京・横浜を事例にしてその政策を検証している。その第14章「目黒区のコミュニティ行政40年の結末」では、41ページにわたって目黒区の住区住民会議の成立過程からさまざまな論点まで、詳細に記している。

そしてその結論ともいえるものは、「長年の行政努力によって達成された高水準の地域環境の存在は、何にも増して目黒区民に対して満足感と愛着心を与え、確かな定住意識を育んでいることに注目しなくてはならない」のであり、「社会学者や行政当局が「あるべきコミュニティ形成」を掲げて地域住民を主導することは、越権行為以外の何物でもない」ということである。

著者は京都大学出身で京都府立大学学長の経歴もある建築学出身の学者で関西在住だから、目黒区を内側から観察しているわけではない。この本は2011年に刊行されたものではあるが、その後のことで書き加えるべきものがあるとも思われない。しかしながら、町内会や住民会議がこのまま放置されれば、住民にとって「お荷物」となってやがて消滅する日が遠くない、とする結論は当たらないように思える。

住区住民会議の成立から50年近く経過し、その枠組みをベースとして目黒区を5分割した「地区」を単位とする「支え合いネットワーク」が、これから始動する。その核には区の機関である包括支援センターと社会福祉協議会が入り、介護保険課地域支援事業推進係が事務局となる。構成メンバーは住区・町会の役員などからなり、各地域社会をカバーするのである。

目黒区は「行政当局主導」というより「行政当局参加」による新たなコミュニティづくりを試行することになるのではないか。住民の立場からすると、何らかの個人の活動が、町会・住区・地区のネットワークにサポートされることが期待できるようになるとよい。

| | コメント (0)

より以前の記事一覧