円山町・神泉

円山町の壁画(6月8日)

円山町からランブリングストリートと百軒店に出るクラブアジアの建物の壁には絵が描かれている。巨大な落書きのようだが、アートといってよいのだろう。街の雰囲気には合っているようだ。ただこの前を通る人の半分以上はラブホテルに用のある人で、そうでない人はこのエリアに住んでいる人だろうか。散歩道として紹介されることもないところだ。
これまでの10年、それほど大きな変化が見られない場所だったけれど、将来の構想としてどういう街にするかの検討が行われている。そのイメージがCGで描かれ、公開されている。
http://sites.google.com/site/maruyamacho/
これからこの街はどうなるのか、確かなことは誰も知らないということではあるのだろう。しかし、この壁画が何度も描きかえられることは確かかもしれない。


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山手通りと旧山手通り(5月25日)

山手通りは渋目陸橋を渡って淡島通りを越え、246の大坂橋の下をくぐって目黒川を渡り中目黒へと向かう。渋目陸橋の下からは旧山手通りが分かれていて、代官山のヒルサイドテラスを抜けて鑓が崎交差点で恵比寿から来る駒沢通りにぶつかる。その距離1.6キロ。道幅の割には通りの全長は短い。それも246との神泉町交差点と鑓が崎交差点の間の1キロと渋目陸橋と246との間では道幅は同じでも沿道の建物の高さの違いから、景観がずいぶん異なって見える。散歩道としての人気の格差も大きい。何しろこちらは人が集まるような場所がないのだから仕方がない。
山手通りの整備は地下の中央環状新宿線の開通に向けて予算がつく。しかし旧山手通りの街づくりへの投資がこれから活発になるのかどうか。この近辺は駐車場のスペースが増えているようでもある。不動産を売ってくれという話がなくなったということも聞いた。不動産関係者は強気らしいが、弱気になるわけにもいかないだろう。
日本の将来に明るい材料が乏しい今、このあたりがどうなるのか誰にもわからない。そんな状態だからこそ、渋谷WEST商店会の目指すような地域での連携活動が有効になってくるのではないだろうか。


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ケニアの子供たち(5月11日)

ランブリングストリートの映画館ユーロスペースではケニアの子供たちの日常を描いた映画「チョコラ!」を上映している。ケニアで撮影したシナリオがないといってもよい日本のドキュメンタリー映画だ。http://www.chokora.jp/
ケニアは赤道直下なのだが、海岸の地域を除くと高地になっていて、気候は温暖で夜は寒いこともある。そんなケニアの田舎町、といっても首都ナイロビから車で1時間足らずのティカの子供たちが主役を演ずる。路上で空き缶などを拾って暮らすストリートチルドレンのさまざまな姿を撮影し編集した作品だ。子供たちの姿と、彼らの会話をただ映すだけで94分の映像として構成されているというもの。そこから何を読み取るかは観客の感性ということになるのだろう。
現在日本経済は苦しい局面になっているが、ケニアの経済はいうまでもなくもっと悪い。経済だけでなく、エイズ、マラリア、犯罪の危険がある。子供たちの生活環境が日本と比べて悪いことはいうまでもない。そんな子供たちの生活を悲惨だとして映画を作ったのではなく、子供たちの自然な映像が、明るくたくましく生きようとしている姿として伝わる。元気をもらえるようでもある。小中学生に見せたとすると親や先生はどう解説をするのだろうか。是非見てもらいたいとも思う。
日本でも70歳以上の人たちはそんな貧しかった時代の日本を知っていても、封印して意識的に忘れようとしているようにも思われる。そんな話は若い世代は聞きたくもないのだろう。「もっとお金を!」という気持ちが日本中に蔓延していたのだから。
いずれにせよ、世界の貧困を直視した上で日本を考えることもあってよいだろう。格差は日本国内だけの問題ではない。
ティカには以前頻繁に通ったことがあり、映画の会話のスワヒリ語、キクユ語、ケニアなまりの英語が懐かしくそれだけでも満足できたのだが、この映画は脚本のないドキュメンタリーとして優れた作品であることは間違いない。映像をみて何を感じるかが試される恐さもある。そうそう、音楽もいい。
映画を見逃しそうな人は本を買うこともできます。


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映画の街で(4月2日)

渋谷には街のあちこちに映画館がある。街全体のことは知らないが、ランブリングストリートからBunkamuraにかけてだけでも、9つのスクリーンで映画の上映がされている。どの映画館も小さくて、観客動員数の多いメジャーな映画が封切りで上映されるようなことはない。そのあたりを歩き、ポスターを見ただけで映画館に入る余裕のある人がどれだけいるのか知らないが、昨日は「マリア・カラスの真実」が上映されていることを、ランブリングストリートの映画館ビルに掲示されているポスターで知り、そのまま3階にあるユーロスペースに入った。
1977年に亡くなったオペラ歌手のドキュメンタリー映画なので当時を知る高齢者がほとんどかと思っていたが、意外にも若い人が多数派で観客の数は少なくなかった。映画ファンというより音楽ファンなのだろう。
マリア・カラスは17歳でプロデビューし、41歳で早々と引退して53歳で自ら命を絶ったともいわれる謎の死を遂げている。その生涯が華やかさと共に苦渋が入り混じるものであったことを見事に描いているのがこの映画だ。幸せな一生とはいいがたく、悲劇とさえいってよいのかも知れない。
オペラ歌手としてCDでその声を聞くことがあっても、その人物がどんな生涯を送ったかについては関心がなかったのだが、活動のピークが10年ほどであったというのは意外なことだった。1974年には来日して、ピアノ伴奏で歌ったそうで、それが公式舞台の最後だったとWikipediaにはあるものの、そこまでは映画で触れていない。
一人の大スターの人生がどれほど辛いものであったのかを、演出されたドラマではなく、インタビューとニュース映像の編集だけで実感させてくれる。オペラファンでなくとも見る価値のある、優れた映画だ。
http://www.cetera.co.jp/callas/

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まちづくり座談会(3月23日)

千代田稲荷神社社務所の2階で第4回ひゃっけんだな祭りの最後をしめくくる座談会が行われた。浅草おかみさん会理事長の富永照子さん(手打ちそば十和田女将)、新宿ゴールデン街商業組合組合長の外波山文明さん(クラクラ)がそれぞれのまちづくり活動の経緯を紹介し、神奈川大学講師の久田邦明さんが関連したコメントを担当。百軒店商店会長の野田嘉一郎さんが全体の司会進行とまとめをするというもの。社務所なので座布団にすわっての姿勢で午後4時から7時までの3時間、質問による意見交換も行われた。商店会の人たちや学生グループなど40名ほどの参加者があり、9日間にわたる祭りの最後にふさわしいイベントとなった。
浅草もゴールデン街もゴーストタウンから復活した点が共通している。それもグランドデザインをもった再開発ではなく、街の遺伝子を引き継ぐ個人が主体になっていることが特徴だ。何年もさまざまな企画を積み重ね、新しい客が訪れるようになって活気を取り戻してきた。特に浅草はつくばエクスプレスの駅が2005年8月にできて以来、賑わいがかつてなかったほどになっているようだ。この不況の中でも売上げが増えているとか。
街の遺伝子を残すこと。多少のアブナサもあった方がよい。安心・安全だと街は活気づかない、官公庁主導の街はさびれる。百軒店も個性的な音楽の店が復活する兆しが見え始めた。そんなことが座談会の結論だったか。
ただ、渋谷について考えるとき、当然浅草や新宿ゴールデン街と同じでいいはずはないし、同じことができるわけでもない。渋谷はアブナサのある街から安心・安全の街までさまざまなエリアがからみあい、子供から高齢者までの年齢層の人たちがそれぞれ楽しめる場所のある街が目標だろう。そんな中で百軒店商店街は新宿ゴールデン街が参考になりそうだ。
浅草が下町情緒をベースにしているなら、渋谷は山手型ということにし、若者の街を挟んで、シニアが楽しめる青山と渋谷WESTがあるというエリア構成が理想なのかもしれない。
渋谷WEST商店会はそんなことを実現しようということなのだが、活動する人が最初は3人いればいいという富永さんの言葉は心強い。外波山さんのいっていたイベントのできる飲食店ということなら大坂上のハニーズカフェでも始まっている。
毎週火曜日午後3時からやっているハニーズカフェでの寄合にいろいろな人が顔を出してくれるようにがんばろう。


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旅河童の獅子舞(3月18日)

2年間の世界一周公演から帰ってきたばかりという旅回り芸人のおいかどいちろうさんが、ひゃっけんだな祭りで9日間の公演をしている。河童が獅子舞をやるというもの。通常は千代田稲荷神社の境内が会場なのだそうだが、今日の昼間の公演は商店街のメインストリートにあるインフォメーションセンター前で。聴衆の数は交通のじゃまにならないほどだ。ホームページで紹介されている先週のタイでの公演が大観衆だったのと較べると何ともさびしい。渋谷の真ん中の商店街なのだから、さぞや観衆も多いだろうと期待していたのではないか。渋谷と百軒店は違うのだということは旅芸人では分からないだろう。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~o-ichiro/hyousi-sub.html
三味線の演奏は武田唱玄さんで、ひゃっけんだな祭り運営グループの一員でもある。http://ameblo.jp/syogen/

こんな人出のない祭りがあるものなのか、というある意味では奇跡的なことが行われている。この十数年の百軒店は人通りが少ないのがあたりまえかもしれないのだが。だから、それを変えていこうという努力がこのひゃっけんだな祭り。テアトル渋谷、テアトルハイツ、テアトルSSという3つの映画館があってにぎわっていたのは40年以上も昔の話になる。今回展示会場の一つとなったパブスナック『グリーン』のレトロなインテリアは当時の雰囲気を残しているかのようだ。
百軒店はラブホテルの街、という先入観の壁はそれ以外の目的でそこに新たに入ることを阻んでいる。その壁がこれを機会に少しずつ崩れていくことを期待しよう。

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百軒のミセ(3月17日)

ひゃっけんだな祭りにはインフォメーションセンターがある。ただし祭り全体の案内所なのではなく『百軒のミセ』という劇作家の岸井大輔氏による企画の案内所だ。といっても想像できるようなものではなくて、工事中のスペースといった感じ。そこにアパートの一室のような空間もできている。火鉢があって炭火でお湯を沸かしてお茶を飲ませてもらえる。このスペース自体が作品なのだろう。22日の最終日まで変化し続けるのだそうだ。
パフォーマンスは夜の飲食店でも行われる。案内はインターネットを使って行っているようで、祭りだというのに人出があるわけではないのが風変わりだ。
http://100mise.seesaa.net/
猫用ののぞき穴というものも百軒店の4箇所に設置してあり、それを探すことがパフォーマンスなのか。穴の数はこれからも増やすそうだ。子供なら間違いなく喜ぶだろう。でも子供づれで来るような場所ではない。
http://zokky.jp/news.html
40年もの昔に新宿の花園神社境内で行われたことが、今渋谷の千代田稲荷神社で蘇ったとすれば素晴らしいことだろう。花園神社から数多くの有名アーティストが世に出たように、千代田稲荷神社がそんな場になれば、とも思うのだが、これからの世の中、40年前とは成功の意味が違っていると考えるべきなのかも知れない。
周囲には大きな看板の無料案内所がたくさんあるのだが、ひゃっけんだな祭りの案内所ではないことを念のため書いておこう。


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今日もひゃっけんだな祭り(3月16日)

ひゃっけんだな祭りは展示とパフォーマンスにより構成されている。
写真展は小料理sin榧(かや)とパブ七面鳥で。sin榧の会場では「泉麻人の東京今昔アルバム渋谷編」のDVDを見ることもできる。百軒店に3つの映画館は1953年にはあり68年にその一つだったテアトルハイツがなくなっている。いずれも戦後にできたものだから、映画館が3館あってにぎわった期間は20年足らずだったのだろう。1970年代、80年代の百軒店は飲食街として賑わったが、その時代の写真は道玄坂付近も含め、展示されることが少ない。雑誌などに数多くの写真があるにしても、史料として使われてはいない。渋谷の歴史は1970年で止まっているとはいえないだろか。
百軒店は不思議な街だ。人通りが極端に少ない。その周辺は道玄坂、文化村通り、道玄坂小路、ランブリングストリートで、にぎやかなのだが、その中心が空洞になっているかのようなのだ。そんなスペースを活用してひゃっけんだな祭りのさまざまなイベントが行われる。その一つ、『まちあるきおどり』を見た。舞踊家の木村陽一さんによるもので、30分500円での公演だ。百軒店を30分かけて静かに踊りながら一周する。その間に出会う人たちもエキストラのようなものかも知れない。どんな人に出会うのかも楽しみとなるのだろう。
http://blog.goo.ne.jp/kimuro_yoichi/d/20090313
この祭りを楽しむには、まずインフォメーションセンターに立ち寄るのがよい。

ちょっと怪しげな展示会場入り口
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これが『まちあるきおどり』
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ひゃっけんだな祭りが始まった(3月15日)

渋谷百軒店の第4回ひゃっけんだな祭りが始まっている。初日の昨日は渋谷区長の挨拶もあったそうだ。
今日は千代田稲荷神社境内で、渋谷江戸木遣り保存会による「聲楓會」の木遣り、平安楽舎による平安朝雅楽、「舞スタジオ」による山伏神楽といったユニークな公演が行われた。
千代田稲荷神社の場所は案外知られていない。道玄坂の中ほどで百軒店商店街のアーチをくぐり、そこからまっすぐ歩いて突き当たるところの右側。渋谷の繁華街のすぐ裏なのに、ラブホテルが壁のように周囲を囲んでいる上、数ある飲食店の中で昼間営業している店は、神社の手前にある名曲喫茶ライオンだけという環境だから知る人が少ないのも無理はない。「渋谷百軒店かくれまちプロジェクト」という学生グループが企画しているように、世界から離れた「かくれまち」の祭りなのだ。だからということか、狭い境内ではあったが、ゆっくりと公演を楽しむことができた。雨上がりの晴天に恵まれ、早春の空気を感じながらの2時間半にわたって渋谷で聞く日本の伝統芸能というのはクールではないか。同じ渋谷でも代々木公園とは一味違う場所だ。
ひゃっけんだな祭りは22日まで。商店街の各所でさまざまな劇団によるパフォーマンスも予定されている。明日から詳細に報告していくことにしよう。
http://www.hyakkendana.jp/event_f04_5.html


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神泉の歴史を探る(3月4日)

「この谷の全域がかつては火葬場で、人を葬ることを仕事とする人々が、多数住みついていた。神泉の谷は死の領域に接した、古代からの聖地だったので、このあたりには聖と呼ばれた、半僧半俗の宗教者が住みついていた。彼らは泉の水をわかして「弘法湯」という癒しのお湯を、疲れた人々に提供していた。」

2005年に刊行された中沢新一著「アースダイバー」に書かれている神泉についての記述の一部である。以前これを読んだとき、その根拠となる文献が分かればと思っていた。たまたま先日、渋谷の古書店で1991年刊行の古田隆彦他著「超感度都市渋谷」を見つけたので購入したところ参考になる記述が見つかった。

その本にはこんなことが書かれている。

「江戸時代の初期、神泉谷、現在の神泉町は、俗に隠亡谷と呼ばれていた。地獄橋という橋もあったというが、この辺りには川はないので、多分用水にかけた小橋だったのだろう。寛永年間、この辺りに稲荷を開こうとした村人たちが土を掘ってみると、夥しい数の人骨が出てきた。実をいうと、この土地はその昔、火葬場だったのだ。彼らは人骨の供養のため、坂上の三辻に地蔵をたてた。」

この地蔵は現存する道玄坂地蔵ということになろうが、そういう記述は見当たらない。

寛永年間というと1624年から43年まで。仮に火葬場だったとしても、「その昔」とあるから、寛永年間よりはるか昔のことと読める。徳川家康が江戸に入る前の時代ということだ。道玄坂と滝坂道と呼ばれた現在の神泉仲通が当時からあったことは確かなのだが、明治になっても昼なお暗いといわれ、道幅は3メートル程度、歩くところは1メートルもない山道のようなものだったとか。そのはるか250年以上も前、どこからそんなところにわざわざ遺体を持ち込んだのだろうか。1年に何人位の死者が近隣で出たのだろうか。当時は日本でも火葬が主流ではなかったろうから、住む人が少ない武蔵野では土葬が普通だったのではないか。駒場キャンパス内に現在でも墓地があるように、家の傍に埋葬するのがこの近辺の習慣であったと考えるのが自然だ。それにしても夥しい数の人骨が出てきたから火葬場だというのはおかしい。火葬場は埋葬場ではないし火葬しなくてもミイラにしなければ骨になる。

そこで推測なのだが、神泉の谷が隠亡谷と呼ばれた時代があったのは事実なのかも知れない。Wikipediaによると、隠亡は江戸時代までは「寺院や神社において、周辺部の清掃や、墓地の管理、とくに持ち込まれる死体の処理などに従事する下男とされていた」とある。平安時代からあった金王八幡や氷川神社などで働く隠亡と呼ばれた人たちがこの谷に住んでいたといえないこともない。それが明治期になって、隠亡が火葬場で荼毘をする人を指すようになり、そこから神泉が火葬場だったという誤解が生まれたこともあり得るのかもしれない。

「アースダイバー」は読まれている本のようなので、疑問を呈しておく。


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神泉駅に近い和食店(2月12日)

60年前には売春と暴力で恐れられていたといわれる三角地帯が、道玄坂と文化村通りに囲まれるようにしてある。1970年に住居表示による町名変更があるまで、百軒店を含む道玄坂小路と道玄坂横の崖の上の地域一帯が円山町だった。子供たちは、円山町にはいってはいけない、と親や先生からいわれていたそうだが、それは現在でも変わらないのかも知れない。そこで営業している人たちにとっては残念なことなのだが、このエリアには大人でも入りづらいもののあることは事実だろう。渋谷で「坂上がる」というと、円山町のホテルに入ことを意味するのだと随分昔に聞いた記憶もある。
道玄坂から旧山手通りの巨大な神泉町交差点まで、車は右折できない。道玄坂の北側一帯の道路は狭くて視界がきかず、しかも起伏があるので、歩いていてもどこに抜けるのかがわからない。その高台の地下を井の頭線が通っていて、2つのトンネルの間に踏み切りがあり、そこから神泉駅のホームがトンネルの中に見える。
道玄坂上交番から神泉駅に行くには、かつて検番通りとか三業通りとか呼ばれ、淡島通りにつながっていた古道に入り、その道から右に折れる急坂を下りてたどり着く。踏み切りを渡ってからまっすぐ歩くいていくと、道路の拡幅のため雑然としている栄通りに出る。その先は松涛の高級住宅地だ。円山町が崖の上の街とすると、神泉駅から栄通りまで崖下の街が続く。
この円山町と神泉町との境界の道は神泉駅から東急本店に行く道でもある。喧騒から離れてBunkamuraや東急本店に行くことのできる道なのでもっと利用されてもよい。その道にそって、5軒ものこじんまりした新しい和食の店が、半地下のスペースにあることは注目に値する。年末から今月にかけて、似たような店が3軒から5軒に増えた。どの店も同じような和食メニューなのだが、それぞれに個性があるようだ。こういう店を仕事の帰りや昼食に手頃な価格で利用できる人たちは恵まれているといえよう。


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ランブリングストリート(2月11日)

昨日の渋谷WEST商店会の会合で、渋谷駅から東急本店への道が混んでいて歩きづらいということが話題になった。マークシティから道玄坂交番の交差点を渡り、ランブリングストリートからBunkamuraに出ればよいのではといったところ、あの通りは好きではないとの意見が出た。そういわれてみると、百軒店のアーチをくぐりにくいのと同様の雰囲気が、道玄坂交番側のランブリングストリートにはある。進入禁止の道路標識が道の両側に並んでいて、歩行者も進入禁止のような印象を受けるし、その上視界が悪く、とてもBunkamuraに出るようには見えない。地元の人でないと通り抜けはできないかも知れない。通りのBunkamura側と道玄坂交番側の歩く人の数がそのことを物語っている。


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そんな状態にならないようにという動きが、Bunkamuraが開業した平成元年頃にはあったのだそうだが、バブル崩壊により動きがとれなくなったらしい。
それから20年。円山町の地域社会で『円山まちづくり勉強会』が始まっている。そこでランブリングストリートの将来イメージをCGで公開し、具体化に向けての検討をすすめているのだ。あくまでも試案なのだが、世界へのシブヤ文化の発信の場として、早期に実現させることが必要なのではないか。その案の一つとして、通りの裏には浮世絵の世界がある、というのもこのエリアならこそ可能性のある夢なのだろう。
http://sites.google.com/site/maruyamacho/

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フジヤマ・ゲイシャ(1月31日)

明治維新以来、日本は近代的な工業国であることをアピールする必要があった。そのため欧米人のフジヤマ・ゲイシャのイメージを払拭するための努力がされ、そうしたイメージをもたれることに対して日本人は不快感を覚えたものだ。ただ、富士山は雪のあることが工業国のイメージを演出するのにふさわしいとのことで海外広報に活用され、富士山を背景にした新幹線の写真がその典型となった。
一方で芸者の方は、消え行く文化とでもいえそうな状態なのだが、外国人にはゲイシャの国日本というイメージは強いらしい。グーグルで外国語ごとの検索条件をつけgeishaと検索するとその外国語圏での関心の度合いが分かるといえそうだ。外国語ごとに、想像する以上にゲイシャについての多くの紹介記事と映像まである。
フジヤマ・ゲイシャが日本のイメージになった理由としては、浮世絵がその原因にある可能性が大きい。幕末から明治にかけて大量の浮世絵が海外に流出し、ヨーロッパの絵画に大きな影響を与えたことはよく知られている。浮世絵の美人画がゲイシャとみなされ、北斎の富士山と共に日本の象徴となった。だから近代工業国としてのイメージに反する浮世絵とその背景にある世界は日本の学校教育のレベルで140年間否定され、むしろ外国人による研究が進んだのだ。
しかし現在の日本は、フジヤマ・ゲイシャのイメージを遠ざける必要がなくなってきている。浮世絵を見直し、新しい日本のアイデンティティを考えてもよいのかもしれない。円山町に浮世絵の世界を作るということがあってもよさそうだ。2人の芸者さんが現在も活動されていることだし。

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玉の井と百軒店(1月13日)

きのう隅田川七福神巡りをしている途中、「ここら辺はかつて玉の井というところだった」との声が聞こえてきた。いわれてみると、隅田川の東は永井荷風の『濹東綺譚』の世界だったのだ。ウィキペディアで調べてみて、玉の井、鳩の街の旧赤線地帯から向島花街に向かうのが隅田川七福神巡りだったということを了解した。向島花街には見番通りという道路表示があり、向嶋墨堤組合という名の見番のホームページでは、芸妓衆120名以上の登録があるということで花街として健在だ。一方、玉の井、鳩の街についてはその名残は探せばあるのかもしれないが、そうと知らなければ何の特徴もないただの下町の住宅地となっている。

濹東綺譚を改めて読んでみると、かつての玉の井のおもむきは現在では百軒店の無料相談所にあるのかとふと感じる。円山町はかつて芸妓衆420名と、現在の向島花街をしのぐ時代もあったほどだ。神泉仲通りは見番通りとか三業通りとして知られていたのだが、現在では円山町の芸者さんは2人になっている。それでも花街の雰囲気は今でも向島に劣ることはない。
玉の井が栄えたのは関東大震災の1923年から東京大空襲で消失する1945年までの20年ばかりのようだ。永井荷風や滝田ゆうの『寺島町奇譚』などで描かれていることから、玉の井は文学のふるさとといえないこともないのだが、最近の百軒店はそんなことにはならないようなのが残念といえないこともない。

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栄通りの眺望(12月12日)

今日、爆発事故を起こした松涛温泉の設備設計者など3名が業務上過失致死傷容疑で書類送検された。裁判が終わるまで建物が証拠として残されるのかどうかは知らないが、事件から1年半経っても松涛温泉の表示はそのままになっている。
栄通りの道路拡幅は立ち退きに時間がかかり、何年も工事中の状態なのだが、松涛温泉の高層ビルの存在は道路に沿った建物を含む栄通りの完成を更に遅らせることにもなりそうだ。
そんな中で、Bunkamura前の松涛郵便局交差点からの眺望を遮っていた建物がようやく壊された。将来の栄通りがどのような眺望になるかの想像ができるようになったわけだ。
電柱はなくなるだろうから見通しは格段によくなる。あと何年後になるのかは見当もつかないのだが、10年もたてばこの写真も貴重なものになるのかもしれない。


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道玄坂上のビル解体(11月26日)

道玄坂上の交差点にあるビルが12月1日から解体工事に入るとの掲示がされている。
1年ほど前までは1階に蕎麦屋があった。昔からの店だったのだろう。閉店した後は1階部分の前に自動販売機が並べられている。2年半後には246を挟んで南平台側に22階建ての高層オフィスビルが竣工するので、それまでに新しいビルに生まれ変るのだろうか。いうまでもなくオフィスビルができると、昼間の人口が増え、ビジネスチャンスが生まれる。とはいえどんなテナントが入ることになるのか。周囲にはテナント募集の掲示のあるビルが多い。オフィス街としても他の街と較べて魅力があるのかが鍵になりそうだ。
それにしても今回の不況で世の中どうなるのか見通しをたてにくい。2年後の予測すら難しくなっているようだから事業計画は大変だ。


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栄通りの拡張へ(11月18日)

Bunkamuraから山手通りにぬける栄通りの拡張は長い間停滞していたが、いよいよ松涛郵便局交差点前の建物が解体されることになった。来週には交差点からの眺望が広がるだろう。今となっては慣れ親しんだ写真の光景が消えていくのが惜しいような気もするが、解体をするからには、本格的な道路工事がまもなく始まるはずだ。
栄通りは駒場キャンパスが駒場農学校として誕生したときから、渋谷駅とキャンパスを結ぶ唯一の道路であり、井の頭線ができる前は栄通りが正門に通じていた。といっても70年も昔の話。
この道が再び脚光を浴びるようになる日も近いわけだが、車の通路というより遊歩道として設計されることを期待する。奇しくも「明日への光」の壁画の公開と同じ日に、栄通りの拡張工事に向けての新たなスタートが切られたわけで、文化芸術の街として渋谷が本格的に動きだす兆しと見たい。


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換気塔がグッドデザイン賞受賞(11月12日)

山手通りの中央環状線山手トンネル路内換気塔が2008年度グッドデザイン賞を受賞している。グッドデザイン賞といっても数多くの分野があり「土木環境・都市計画・まちづくり」の分類で9件受賞した中の一つとなったのだ。
デザイナーのコメントは「地下高速道路建設の為に必要不可欠な換気塔が、当初は周辺住民から景観阻害物として建設を反対される状況であった。設計にあたり我々も周辺住民と同じ目線に立ち、圧迫感を低減出来ないか、周辺景観との調和とは何か、走行車両の連続景観への配慮とは何か、機能的、デザイン的に長く受け入れられるものは何か、日々飽きの来ない変化をつけられないか、などの答えを追求し続けた結果、生み出されたデザインである」というものだ。
審査委員の評価は「必要悪ともいえる困難な課題に対し、緻密なデザインで慎重に取り組んでいる点が評価できる。換気塔そのものの存在否定論は多いが、作らざるを得ないものに対し『より良い』解答を求めた努力に讃辞を送りたい。高架高速道路と比べれば、その答えは明らかである」となっている。
「応援メッセージ」として書かれているコメントは「審査委員の評価ですが、おもいっきり辛口ですね。でも、完全に的を得ていますね。評価としては完璧です。感心します。」というのが1件。このコメントも的を得ているのではないだろうか。
http://www.g-mark.org/search/Detail?id=34581&sheet=outline
いずれにしても、予算を含むさまざまな制約の中でデザインせざるを得ない方々の努力がこの賞で報われるとはいえるのだろう。審査委員の評価に加え、応援メッセージというのがあるのもいい。
もっとも最近話題の懸賞論文だと、こんな形で評価がさらされたら収拾がつかないかもしれないが。


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松涛の周辺(11月10日)

東大の裏門から渋目陸橋にかけての山手通りはもう何年も工事中で、その光景は殺風景を絵に描いたようなものともいえる。東大の敷地と山手通りとの境界線は三田用水をふさいだブロックの道路側のようで、新しい壁の工事が行われている。
この道は2年後には見違えるように綺麗になるはずなのだが、現状ではこの沿道に店を開いたり、事務所を構えるということにはなりえない。2010年になればどんな通りになるのか見えてくるのだろうが、それまでは工事現場でしかない。
山手通りからBunkamuraに向かう栄通りも用地買収の問題から何年も工事中の状態で、こちらの景観も2010年待ちのようになっている。
いずれも地名は松涛。高級住宅地のイメージ通りの景色になるまであと2年は待たなくてはいけないのだろう。


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源氏物語千年の装束展(11月4日)

神泉駅のすぐそばの国際文化学園の8号館に衣紋道高倉流東京道場がある。
そこで今日から6日まで、源氏物語千年の装束展と題するイベントを行っているので見てきた。十二単、束帯といった宮廷装束を展示し、実際に着付けをする過程を見せてくれ、30分ほどお話を聞かせてもらえるというものだ。十二単は誰でも知ってはいるが、実際に着るところを見る機会はなかなかない。午後3時からのスケジュールへの来場者は50人ほど。主催者の予定を大幅に上回るもので、予定していた展示品の説明ができずに32畳の和室での平安貴族の髪型を中心とするお話になった。火曜日なので美容師の方が休みなので多かったのだろうということからだ。十二単を着せることが衣紋道という芸であり、平安貴族の姿を目の当たりにするような見る価値のあるものである。
申し込めば着させてもらうこともできる。特に男性は歓迎されるだろう。光源氏の気分を味わうという贅沢が楽しめるかも知れないのだ。入場料は1000円で立派な小冊子もいただける。


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