駒場

歴史遺産としての旧前田家本邸(19-8-23)

目黒区立駒場公園は、現在は東京大学のキャンパスになっている文京区本郷に300年もの期間住んでいた加賀藩の大名家で、明治になって華族とされた前田侯爵家が昭和5年(1930年)に移転してきた邸宅跡地である。

その移転は大正12年(1923年)の関東大震災を受けて検討され、昭和2年の金融恐慌の年から昭和4年の世界恐慌のさなかに工事が行われた。

工事中はロンドンに駐在していた前田利為侯爵から、将来のことを考えて和館建築を見合わせてはどうか、との電報を受けた昭和4年2月の評議会において、後に昭和16年から17年の近衛内閣で国務大臣、大蔵大臣も務めた住友財閥の総理事で、前田家の意思決定をする評議員でもあった小倉正恆は、次の意見を述べている。

「いやしくも貴族富豪として 世に立つ以上、その体面に相当するの邸宅を要するは、これを国家的に見るも固より当然のことなり。もし世評を恐れ、これを避けんとせば、先ずもって貴族富豪たるの地位を辞退し、吾人同様の小邸宅に隠れるの外なし。然れども、なお財産上、名誉上の実力存する限り、騒擾上の場合はもちろん、常時にありても世評の標的たるを免れざるべし。」(『前田利為』より)

この後、昭和7年3月に三井財閥のトップの団琢磨、5月に犬養毅首相などの殺害があったのであるが、「財産上、名誉上の実力」を放棄しない限り、批判を恐れてはいけない、とのことであろうか、昭和20年まで、前田家がここに15年間居住していた。

この邸宅は空爆を免れた。占領軍幹部の住居としての活用が織り込まれていたようである。そして昭和20年から昭和32年は占領軍の居住地であった。

公園として公開されたのは昭和42年(1967年)で、その時点からでも52年が経過している。平成25年(2013年)には旧前田家本邸として重要文化財に指定され、平成30年10月に洋館の修復工事終え、昭和初期に建てられた大名華族の邸宅を後世に残していくことになった。そこは、日本の歴史をさまざまな角度から考える場ともなるだろう。

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旧前田家本邸が伝えること(19-8-2)

旧前田家本邸が昭和50年に目黒区立駒場公園となってから44年、都立駒場公園になってからだと52年も経過しているが、歴史遺産として現在のわれわれに伝えていることは多面的なのである。

館内ガイドでは、チューダー様式という建築様式、銘木などの建築資材、昭和初期の上流華族の生活、といったことが案内されるのであるが、この邸宅が建設された背景と、前田利為侯爵一家が居住していた昭和5年から昭和17年の12年間という日本史上でも極めて重要な期間を想起させる場となる側面も忘れてはなるまい。

前田利為侯爵が3年間の駐在武官として勤務したロンドンから帰国して、この邸宅の主人となってからわずか1年後の9月18日の夜、満州事変が勃発した。それから11年後、ミドウェイ海戦により、太平洋戦争で日本が守勢に回ったのが昭和17年6月。その年の9月に前田侯爵邸は主人を失った。

その間に、主人の職場ともいえる陸軍では、昭和6年3月のクーデター計画「3月事件」、10月の陸軍史上最大級ともいわれるクーデター計画「10月事件」、海軍将校を中心とするものであるが、昭和7年5月の「5・15事件」、昭和10年8月陸軍省庁舎内での永田鉄山軍務局長の暗殺。そして昭和11年2月には「2・26事件」が起きている。

そしてその翌年、昭和12年7月からは日中戦争に突入する。

前田利為侯爵は昭和12年11月に満州に派遣されるが、翌年12月には参謀本部付となり帰京する。事実上の解任だろうか。

昭和14年から昭和17年4月に臨時招集を受けるまでの3年間は、主として貴族院議員として活動した。昭和15年9月は日独伊三国同盟の成立、10月には大政翼賛会が発足し、昭和16年に太平洋戦争への道に進むことになった。

当時の前田侯爵邸はそのような環境の中にあったのである。



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「令和」と大伴旅人 (19-4-8)

駒場で月1回、夜に開催されている万葉集の勉強会では、2月から大伴旅人を学んでいる。3月は巻五-794番歌の日本挽歌一首。4月には同じ巻五815~846の「梅花歌三十二首」が予定されていたとしてもおかしくない。その「梅花歌三十二首」の序に新しい年号「令和」の典拠として挙げられた「干時初春令月 気淑風和」の句があるのは何という偶然だろうか。

 その「令和」について、万葉集の研究者である東大駒場キャンパスの品田悦一教授が、雑誌『短歌研究』に緊急寄稿していて、その原稿がインターネットで流出したのか、させたのか。これも偶然のことながら読むことができた。

 寄稿文によると、「梅花歌三十二首」には、旅人が信頼していた左大臣長屋王が、藤原氏の画策による冤罪で処刑されたことに対する旅人の怒りが込められているという。

 そこに込められたメッセージは、<権力者の横暴を許さないし、忘れない>ということであるので、そのようなテキストを新年号の典拠としたことは迂闊で、不勉強であったというのが品田教授の意見なのである。

 4月の万葉集勉強会が楽しみである。

追記:27日夜の会では、品田教授の論に対する異論で、梅花の宴が権力批判につながるとするのは無理がある、と具体的事実により説明された。論文も準備されたとのことである。令和をめぐる論争として、記憶されるようになるとよいのだが。(4月28日)

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駒場東大前駅前公務員宿舎跡地活用の検討状況 (19-2-25)

目黒区議会平成31年第1回定例会の25日の一般質問で、昨年12月20日に開催された公務員宿舎跡地活用についての説明会以降の動きについて、鈴木まさし区議が区長に質問をした。

区長の答弁は、「今年度中に意見集約を行い、実現可能性について事業者からのアイディア提供も受ける。区の方向性に沿うよう国に要請するということで、最終的には国の判断となる。住区センター、老人憩いの家、児童館などの区有施設の統合も含めると共に、良好な環境がそこなわれないようにする。用途地域の変更は考えていない。
駅前であり、駒場の玄関口ということで、有効な活用をしたい。素案ができるのは2019年夏以降になるだろう。」ということである。

希望はなんであれ、最終的には国の資産がどのように有効に活用できるかということで、民間業者の事業採算に合うものでないと実現はない。

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駒場の人口データから(19-2-4)

目黒区が公表している人口データからの数値を取り出し、ホームページで閲覧できるものとして一番古い2010年の数値と比較した。人口は6523人から7076人に増えている。世帯数では3551世帯から4189世帯となり、その伸びは人口の伸びより多い。集合住宅の建設による戸数増であろう。特に駒場4丁目での伸びが目立つ。

一方、駒場2丁目の数値が9年前との比較で減少しているのは、公務員住宅の閉鎖による影響といえよう。

65歳以上の高齢者の比率は駒場全体で20%ほどとなっており、目黒区の平均並み。全国の27.7%、東京都の23.3%と比較すると少ないといえる。それでも2丁目は25%、3丁目では23%と、東京都の平均の水準である。

また、駒場小学校の昨年4月時点での生徒数は419人で、大橋2丁目からの児童や、私立校に出ていく児童がいるにしても、小学生のいる世帯が1割未満ということになろう。

独居世帯の年齢はさまざまではあろうが、1世帯の平均が1.7人ということの例を考えると、単身世帯60、2人世帯50、3人世帯20として、1世帯平均は1.69人となる。

地域社会を構成する世帯の内容はこの50年で大きく変わっている。それが具体的にどういうことなのかは、地域ごとにさまざまなのであろうが、学生の研究テーマとしてとりあげることができるかも知れない。できれば東大の駒場祭で発表してほしいものである。

2019年1月1日の世帯数、人口データ
( )内は2010年4月(目黒区ホームページから編集)
        世帯数     人口     65歳以上の人口
駒場1丁目 2,463(2,169) 4,068(3,688)     812(19.96%)
駒場2丁目 338(422)   571(860)    143(25.04%)
駒場3丁目 423(381)   788(720)     182(23.10%)
駒場4丁目 965(579)   1,649(1,256)    262(15.89%)
駒場計 4189(3551)   7076(6523) 1399(19.77%)

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旧前田家本邸洋館で消防演習(19-1-26)

1月26日は文化財防火デーとされている。1949年1月26日に法隆寺金堂壁画が焼損した日ということ、また空気が乾燥していて火災になりやすいということから、1955年にその日が文化財防火デーと定められ、今年で第65回目となった。文化庁・消防庁の主唱によりその日の前後に消防演習が毎年全国的に実施されている。

今年は、改修工事を終えた旧前田家本邸洋館でも、自衛消防隊、目黒消防署、目黒消防団の連携により、消防演習が行われた。

演習は目黒消防署が主体となり、訓練終了後の挨拶は、東京都教育庁と目黒消防団も兼ねて目黒消防署から。演習には避難者として駒場町会の皆さん、避難誘導役として、駒場ガイドの会のボランティアが参加した。

今回の演習により、各関係者にとっての課題となることが見つかったものと思われる。

この演習は、東京消防庁では昨年の1月26日は深大寺などで実施され、深大寺での放水の写真が文化庁のホームページに掲載されている。今年は旧前田家本邸洋館での放水の写真が掲載されるのかもしれない。

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駒場東大前の街(18-12-30)

12月29日に放映されたテレビ番組「有吉くんの正直さんぽ」で駒場東大前が紹介された。
駒場東大前駅西口から有吉弘之と生野陽子アナが歩きはじめ、坂を上がったところで小倉優子に遭遇という演出。まず、パンの店『ル・ルソール』へ。3人がそれぞれパンを選んで駒場野公園のベンチで食べる。そこでケルネルたんぼの由来などを紹介。次に向かったのが旧前田家本邸で途中TKOの二人が合流。「前田家ってどこの前田さん?」ということで、前田利家の子孫という説明がまるで通じない。駒場公園南口の狭い通路から園内に入り、旧前田家本邸洋館が見えると、「何か悪いことがおこりそうな」との声。ホーンテッドマンションを連想したような様子であった。洋館はお休みで和館へ。火曜日だったのだろう。和館からの紅葉の映像が素晴らしかった。

旧前田家本邸から駒場東大前駅の横にある駒場東大前商店街へ。『イルビニエ』と『ティラミス・ホームメイド』を見つけ、それぞれ別の店だということに一同驚きの声。各人が選んだビン入りのティラミスを食べ、次に皮にクリームをつけて食べるシュークリームに感嘆。

そこから旧前田家本邸の北側、コスモス通りに面した『東京和茶房』とその向かい側の『フードフォーソート』へ。テレビだけではどこにあるかは想像もしにくい。更にそこからほぼワープしたような池尻の裏通りに移動。駒場東大前駅からだと、淡島通を越えて筑波大付属中・高校の横を通り、目黒川を暗渠にした緑道を渡って行くことになる。

そこで紹介されたのが、ツナ専門店の『おつな』とその隣にあるフレンチレストランの『LIEN』。訪問はしなかったがキープということで紹介されたのが『パスタアルバ』を合わせて3店舗であった。

この番組で紹介されたすべての店は、最近オープンした個人営業の店。駒場東大前といえるかどうかという場所の店を含むものの、駒場東大前の将来を占うようなコンセプトの店を集めていることは確かだ。駅に近くの同様なコンセプトの店でも取材拒否をした店が複数あった可能性もある。

番組では、渋谷に近いのに静かで地味な街と結んでいたが、独自のノウハウを持つ若い経営者が密かに小さな店を持つ街といえないか。松見坂交差点にある若手デザイナーズブランドの店『R for D』のように、一見、地味ではあるが、時代の先端をいく内容の店が、渋谷に近く家賃が比較的手ごろなこの街にこれからますます集まってくる予感がする。

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補助26号線沿道地区街づくり懇談会(18-12-24)

12月20日に開催された「駒場二丁目国家公務員跡地整備に関する説明会」に先立つ11月27日、世田谷区の北沢タウンホールで、駒場の西北端を通る補助26号線の計画について話し合う街づくり懇談会が開催されている。
http://www.city.setagaya.lg.jp/kurashi/102/120/345/347/d00162198.html

この道路は、東北沢から三角橋で航研通り(補助54号線)と交差し、淡島通を超えて246の三宿に出る。山手通と環七通りの中間を走る主要都市計画道路と位置付けられる。完成まで10年以上を要するのであろうが、道路ができることによる影響は視野に置かなくてはならない」。

また、駒場の北端部、目黒区と渋谷区の区界を走る、航研通りとかコスモス通りと呼ばれる補助54号線は三角橋と下北沢を結ぶことになる。

懸案の国家公務員駒場住宅跡地の活用は、こうした周辺の道路整備計画を踏まえたものでなくてはならず、特に東北沢駅から下北沢駅にかけての商業施設の整備が5年以内に進むことを見越した上での検討が必要だろう。

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公務員住宅跡地整備上の課題(18-12-22)

20日に開催された「駒場二丁目国家公務員跡地整備に関する説明会」で配布された住民意向調査のとりまとめ内容については、意見が分かれるだろう。

住民が町・商店街の活性化を望むのか、現状の静かさの維持を求めるのか。自転車を含む道路交通量が増えることを是とするのか。道路の拡幅を望むのか否か。ということについての合意が前提となるはず。

要望の多い施設のトップにあるのが「大中スーパー等の商業施設」なのだが、事業性検討の前に、交通路の安全を確保して事業が可能なのかどうかの説明が求められよう。自転車の交通量だけでも飛躍的に増えるはずである。

次にあるのが、特別養護老人ホーム等の老人介護施設であるが、これも考えられる交通量についての検証がまずあってよい。

図書館・文化施設については、目黒区の負担部分についての考え方である。保育園・児童館・学童保育所、さらには、住区センター、老人いこいの家の統合についても、目黒区としての考え方の説明が必要となろう。民営化については、意見の分かれること周知である。

これらを踏まえて2019年度に事業実現性の確認をするようであるが、これは実施当事者以外でできるのかどうか。目黒区の活用方針とは、全体の事業の中で目黒区が費用負担をどの部分でするのかということがポイントともなろう。

それらを踏まえて、関東財務局が定期借地権による事業者を2020年度に公募し、目黒区の意見も入れて採択するのであろうか。2021年度から工期2年として2023年度から利用開始というのが最短をみるが、事業者がすんなりと決まる保証はない。

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公務員住宅跡地整備の説明会で(18-12-20)

駒場東大前駅西口前にある1万平米規模の国家公務員住宅跡地の整備についての説明会が「駒場二丁目国家公務員跡地整備に関する地域連絡協議会」の主催で開催され、目黒区経営改革推進課長からの説明の後、質疑応答が行われた。

この説明会で得た情報としては、国が2019年度中に建物の解体工事をすること。民間事業者との契約は国が行うということがある。

目黒区が活用方針の素案を3月までに国有財産連絡会に上げ、素案に対する事業性の検討を、複数の民間事業者から企画提案を受け、それの採択を行うというものだろうが、それがすんなりと決まるものかどうか。国がこの土地の売却をしないという決定をしたのは、例えば30年後に他の用途に使うことへの含みがあるからだろう。

今日の説明会で、この土地を放置するという選択肢はないのか、との質問があり、目黒区は否定したものの、国が将来の活用に含みを持たす形で定期借地権による契約を求めるのであれば、最終的に折り合わないことも考えられる。

事前調査で希望の多かった商業施設については、この説明会では反対意見が強く、それ以上に採算的に困難というのが大方の見方ではないか。

国は現時点では、国としての活用案がないので、目黒区に活用案を出してもらい、それを民間事業者に事業計画を含めた具体案を求めたというものだろう。

事業性がなければ事業化はなく、空き地の状態となるわけなので、魅力的な提案が実績のある企業から出てくることを期待したい。ただ、それが、いつ誰に対してなのかは、その企業の駆け引きもあるだろうからわからない。

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