駒場

駒場東大前の街(18-12-30)

12月29日に放映されたテレビ番組「有吉くんの正直さんぽ」で駒場東大前が紹介された。
駒場東大前駅西口から有吉弘之と生野陽子アナが歩きはじめ、坂を上がったところで小倉優子に遭遇という演出。まず、パンの店『ル・ルソール』へ。3人がそれぞれパンを選んで駒場野公園のベンチで食べる。そこでケルネルたんぼの由来などを紹介。次に向かったのが旧前田家本邸で途中TKOの二人が合流。「前田家ってどこの前田さん?」ということで、前田利家の子孫という説明がまるで通じない。駒場公園南口の狭い通路から園内に入り、旧前田家本邸洋館が見えると、「何か悪いことがおこりそうな」との声。ホーンテッドマンションを連想したような様子であった。洋館はお休みで和館へ。火曜日だったのだろう。和館からの紅葉の映像が素晴らしかった。

旧前田家本邸から駒場東大前駅の横にある駒場東大前商店街へ。『イルビニエ』と『ティラミス・ホームメイド』を見つけ、それぞれ別の店だということに一同驚きの声。各人が選んだビン入りのティラミスを食べ、次に皮にクリームをつけて食べるシュークリームに感嘆。

そこから旧前田家本邸の北側、コスモス通りに面した『東京和茶房』とその向かい側の『フードフォーソート』へ。テレビだけではどこにあるかは想像もしにくい。更にそこからほぼワープしたような池尻の裏通りに移動。駒場東大前駅からだと、淡島通を越えて筑波大付属中・高校の横を通り、目黒川を暗渠にした緑道を渡って行くことになる。

そこで紹介されたのが、ツナ専門店の『おつな』とその隣にあるフレンチレストランの『LIEN』。訪問はしなかったがキープということで紹介されたのが『パスタアルバ』を合わせて3店舗であった。

この番組で紹介されたすべての店は、最近オープンした個人営業の店。駒場東大前といえるかどうかという場所の店を含むものの、駒場東大前の将来を占うようなコンセプトの店を集めていることは確かだ。駅に近くの同様なコンセプトの店でも取材拒否をした店が複数あった可能性もある。

番組では、渋谷に近いのに静かで地味な街と結んでいたが、独自のノウハウを持つ若い経営者が密かに小さな店を持つ街といえないか。松見坂交差点にある若手デザイナーズブランドの店『R for D』のように、一見、地味ではあるが、時代の先端をいく内容の店が、渋谷に近く家賃が比較的手ごろなこの街にこれからますます集まってくる予感がする。

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補助26号線沿道地区街づくり懇談会(18-12-24)

12月20日に開催された「駒場二丁目国家公務員跡地整備に関する説明会」に先立つ11月27日、世田谷区の北沢タウンホールで、駒場の西北端を通る補助26号線の計画について話し合う街づくり懇談会が開催されている。
http://www.city.setagaya.lg.jp/kurashi/102/120/345/347/d00162198.html

この道路は、東北沢から三角橋で航研通り(補助54号線)と交差し、淡島通を超えて246の三宿に出る。山手通と環七通りの中間を走る主要都市計画道路と位置付けられる。完成まで10年以上を要するのであろうが、道路ができることによる影響は視野に置かなくてはならない」。

また、駒場の北端部、目黒区と渋谷区の区界を走る、航研通りとかコスモス通りと呼ばれる補助54号線は三角橋と下北沢を結ぶことになる。

懸案の国家公務員駒場住宅跡地の活用は、こうした周辺の道路整備計画を踏まえたものでなくてはならず、特に東北沢駅から下北沢駅にかけての商業施設の整備が5年以内に進むことを見越した上での検討が必要だろう。

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公務員住宅跡地整備上の課題(18-12-22)

20日に開催された「駒場二丁目国家公務員跡地整備に関する説明会」で配布された住民意向調査のとりまとめ内容については、意見が分かれるだろう。

住民が町・商店街の活性化を望むのか、現状の静かさの維持を求めるのか。自転車を含む道路交通量が増えることを是とするのか。道路の拡幅を望むのか否か。ということについての合意が前提となるはず。

要望の多い施設のトップにあるのが「大中スーパー等の商業施設」なのだが、事業性検討の前に、交通路の安全を確保して事業が可能なのかどうかの説明が求められよう。自転車の交通量だけでも飛躍的に増えるはずである。

次にあるのが、特別養護老人ホーム等の老人介護施設であるが、これも考えられる交通量についての検証がまずあってよい。

図書館・文化施設については、目黒区の負担部分についての考え方である。保育園・児童館・学童保育所、さらには、住区センター、老人いこいの家の統合についても、目黒区としての考え方の説明が必要となろう。民営化については、意見の分かれること周知である。

これらを踏まえて2019年度に事業実現性の確認をするようであるが、これは実施当事者以外でできるのかどうか。目黒区の活用方針とは、全体の事業の中で目黒区が費用負担をどの部分でするのかということがポイントともなろう。

それらを踏まえて、関東財務局が定期借地権による事業者を2020年度に公募し、目黒区の意見も入れて採択するのであろうか。2021年度から工期2年として2023年度から利用開始というのが最短をみるが、事業者がすんなりと決まる保証はない。

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公務員住宅跡地整備の説明会で(18-12-20)

駒場東大前駅西口前にある1万平米規模の国家公務員住宅跡地の整備についての説明会が「駒場二丁目国家公務員跡地整備に関する地域連絡協議会」の主催で開催され、目黒区経営改革推進課長からの説明の後、質疑応答が行われた。

この説明会で得た情報としては、国が2019年度中に建物の解体工事をすること。民間事業者との契約は国が行うということがある。

目黒区が活用方針の素案を3月までに国有財産連絡会に上げ、素案に対する事業性の検討を、複数の民間事業者から企画提案を受け、それの採択を行うというものだろうが、それがすんなりと決まるものかどうか。国がこの土地の売却をしないという決定をしたのは、例えば30年後に他の用途に使うことへの含みがあるからだろう。

今日の説明会で、この土地を放置するという選択肢はないのか、との質問があり、目黒区は否定したものの、国が将来の活用に含みを持たす形で定期借地権による契約を求めるのであれば、最終的に折り合わないことも考えられる。

事前調査で希望の多かった商業施設については、この説明会では反対意見が強く、それ以上に採算的に困難というのが大方の見方ではないか。

国は現時点では、国としての活用案がないので、目黒区に活用案を出してもらい、それを民間事業者に事業計画を含めた具体案を求めたというものだろう。

事業性がなければ事業化はなく、空き地の状態となるわけなので、魅力的な提案が実績のある企業から出てくることを期待したい。ただ、それが、いつ誰に対してなのかは、その企業の駆け引きもあるだろうからわからない。

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国家公務員住宅跡地の活用に向けての検討資料(18-12-17)

駒場2丁目国家公務員住宅跡地の活用に向けて、目黒区では1月31日までに、区内在住者、区内在勤・在学者、区内で事業活動その他の活動を行っている事業者から意見を求めている。
そのための検討素材が配布されたので要点を記す。

検討素材の目次は以下の通り。
Ⅰ.国家公務員住宅跡地をめぐる状況
1. 駒場住宅跡地の概要
2. 用途地域等
3. これまでの経緯など
4. 国の未利用国有地取り扱い等の考え方等
Ⅱ.活用方針検討に向けた区の考え方
1. 駒場住宅跡地の活用に向けた区の基本的方向
2. 活用方針検討の流れ
3. 基本的方向を踏まえた検討に当たってのコンセプト
4. 活用イメージ
5. 意見募集について

20ページある資料の中で、一般の関心を呼びそうなのは、活用イメージである。

「今後、地域の皆さまの意見を参考にしながら、活用イメージを具体化していきます。
また、事業の実現性について、民間事業者への確認により精査します。
最後に、活用方針」を策定して、区の方針として国へ提出していきます。」
ということで、その活用イメージというのは、これまでの検討結果であるわけだから、考えられる現実的なことすべてを網羅しているといえる。ただし、整備主体は民間事業者なので、採算に乗るかどうかがポイントとなる。

具体的には、防災備蓄倉庫、歩道状空地、広場、生活に密着した商業施設、区民交流ラウンジ、福祉施設に加え、住居系施設、医療機関などの施設となっているが、住居系施設か医療機関が床面積としては大きくなるのだろう。いずれにしても先進的なものであってほしい。

注目したいのは、区民交流ラウンジの中に「会議室などの貸室(周辺の区施設集約化)」との記述があること。駒場住区センターと老人いこいの家を想定しているのだろう。

活用素案の決定は平成30年度内。複数の企業がすでに提案の準備を進めていると思われる。

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20日に公務員住宅跡地整備の説明会(18-12-13)

駒場東大前駅西口前にある国家公務員住宅跡地の活用が進む見通しとなったことから、地域住民を対象とした目黒区等による説明会が12月20日(木)18時30分から駒場住区センター会議室で開催される。

主催者は「駒場二丁目国家公務員住宅跡地整備に関する地域連絡協議会」で、問い合わせ先は駒場住区センターとなっている。

対象となる土地は駅前で面積は約1万平米とまとまっているが、周囲の道幅が狭く、第1種中高住宅専用地であるため、高度規制が厳しく、用途は限られることになる。

国も都も活用をあきらめたためだろうか、目黒区が定期借地権を設定して民間事業者による複合開発を目指すことにしたようだ。目黒区は19年3月までに活用素案をまとめるという。

民間業者による複合開発ということは、目黒区は運営には直接関わらないということなのだろう。要は、経営が成り立つものしかできない。そのことを前提にしての整備と理解しておく必要がありそうだ。そのための説明会なのだろう。

目黒区では既に当たりをつけているのかも知れないが、駅前で多くの学校に囲まれた環境ということで、そこに魅力を感じる企業なり個人なりが、その名を冠した記念ホールを建設するのが現実的なのではないか。トランプ記念会館といった具合であるが、国有地なので外資は困るということもあるかも知れない。

ついでながら、その土地での埋蔵文化財発掘調査には期待したい。
(追記:埋蔵文化財調査の対象地からはずれているようでした。)

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駒場から兵庫県豊岡市へ(18-12-8)

駒場東大前商店街にある『こまばアゴラ劇場』のオーナーの平田オリザさんが、兵庫県豊岡市に移住することになったそうで、その背景が、インターネットで紹介されている。平田オリザさんが主宰する劇団青年団の団員を引き連れての移住となるようだ。

豊岡市といってもなじみがないかも知れないが、城崎温泉の名前なら記憶にある人もいるだろう。兵庫県の日本海側にある都市で、「小さな世界都市」を市のスローガンとして掲げている。

駒場で生まれ、駒場幼稚園、駒場小学校、目黒一中、駒場高校と、駒場で育ったオリザさんなのだが、現在「東京では普通に子どもを育てられなくなっている」ことも移住の理由の一つなのだそうである。
https://dual.nikkei.co.jp/atcl/column/17/082800118/111500003/

平田オリザさんは、こまばアゴラ劇場芸術総監督であると同時に、城崎国際アートセンター芸術監督でもある。小さな世界都市豊岡市は、「まちの規模が適正で、教育にしても手ごたえを感じやすい」ことから、「国際演劇祭を開催する」「観光とアートや文化をクロスした事業をマネジメント出来る人材を育てる大学づくり」「国内外のアーティストが常に滞在するコミュニティ」といった夢を20年がかりで実現したいとのこと。
https://www.hinagata-mag.com/comehere/26260

目黒区民から豊岡市民になるオリザさんではあるが、駒場に東京と豊岡を結ぶ拠点となるような場ができるといい。その気が目黒区にあるかどうかなのだが。

それはともかく、3年後の冬には、城崎温泉を拠点に是非遊びに行ってみたい。

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肥後細川庭園のライトアップ(18-11-17)

12日に文京区に肥後細川庭園があることを書いた。昨年3月に新江戸川公園から名称を変更したばかりの公園である。事情を知る文京区の方にたまたま話を聞く機会があり、江戸川公園と新江戸川公園とが紛らわしいので、住民投票により名前を決めることになった、という説明であった。
肥後の名称がついたためなのか、熊本県がこの庭園を熊本県出身の照明デザイナーにより紅葉ライトアップをすることになった。通常は無料の公園だが、ライトアップの時間だけ有料にするというもの。

肥後細川庭園ライトアップ

地下鉄のポスターでもPRしている。このようになることを狙って公園の名称を変更したのではないようなのだが、その効果は大きい。

駒場野公園と駒場公園の混同を避けることを主たる目的として、公園名の変更を考える時期が来ているのではないだろうか。

181117


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駒場と駒場野(18-11-9)

駒場公園と駒場野公園という2つの公園が井の頭線の線路を挟んである。駒場と駒場野とどう違うのか、なぜまぎらわしい名前になっているのか、調べてみた。

駒場公園も駒場野公園も徳川時代は駒場野狩場であり、その広さは15万坪で上目黒村に属していた。その広大な土地が明治になって駒場農学校の敷地となり、東京帝国大学農学部として、1935年に本郷などに移転するまで、現在の東京大学農学部の前身としてこの地にあった。

駒場野農学校ではゴロが悪いから駒場農学校にしたのではないかとも思われるがそれはわからない。いずれにせよ、駒場野から駒場へと名称が変わっていったようである。

それからくだって1967年、東京帝国大学農学部の敷地の一部で、前田侯爵邸となっていた部分が、都立駒場公園として開園した。それが1975年には目黒区に移管されて、現在目黒区立駒場公園となっている。さらに11年後の1986年、今度は、東京帝国大学農学部から独立して東京農業教育専門学校となり、その後東京教育大学となっていった敷地部分が駒場野公園として開園したのである。

駒場も駒場野も元は同じ地名とすると、記号としてそれぞれを覚えるしかない。アルファベットだとKOMABA PARK、KOMABANO PARKとなる。知らない人にはわかりにくいから楽しい、という人もいるかもしれない。しかし、このままでよいものだろうか。

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駒場公園と旧前田家本邸 (18-11-8)

駒場公園は目黒区の区立公園である。その敷地は1930年に竣工した前田侯爵家の屋敷跡なのであるが、公園の名前からはそのことが分からない。目黒区には西郷山公園があり、渋谷区に鍋島松濤公園、港区に有栖川宮記念公園と、それぞれ皇族・華族の邸宅跡であることを表しているから、前田駒場公園でもよさそうなのであるが、単に駒場公園と名付けられたのはなぜだろうか。

駒場公園が開園したのは1967年。1945年から57年までは米軍が接収していて、接収解除後の10年は活用方法の検討と、東京都近代文学博物館と日本近代文学館の開設準備などに費やされたのだろう。67年から都立の駒場公園として公開されたのである。目黒区に移管され区立駒場公園になったのは1975年である。

洋館の建物が東京都近代文学博物館として利用されていたのは1967年から2002年まで。博物館閉館に先立つ1991年に、東京都有形文化財「旧前田侯爵邸洋館」として登録されていた。

東京都近代文学博物館の閉館後は旧前田侯爵邸洋館として東京都の管理により公開されることになった。そして2013年に国の重要文化財に指定され、2016年から2年3カ月かけて修復工事を行い、先月27日に工事後の公開が実現したのである。

金沢の加賀前田家16代当主、前田利為侯爵が東洋一といわれた邸宅を建て、そこに住んでいたのは1930年から42年までのわずかに12年の期間ではあった。しかし陸軍軍人であった前田利為候自身の好みで、塚本靖(東京帝大名誉教授)の設計監督の下、高橋貞太郎(日本橋高島屋など設計)、雪野元吉(東京国立博物館など設計)、佐々木岩次郎(東本願寺など設計)、原熙(新宿御苑、京都御所など作庭)といった、当時の一流建築家を動員し、1927年から3年の歳月をかけて完成させた旧前田家本邸は、現在では再現できない素材も使われ、貴重な文化遺産となっている。

その洋館の修復により、ようやく文化遺産としての体裁が整ったので、駒場公園と名付けられた時代とは違い、この公園を重要文化財旧前田家本邸として自信をもって紹介できるだろう。

駒場公園と駒場野公園がまぎらわしくて困ることが多いという、生活上の理由もさることながら、今回の洋館の修復を記念する意味でも、また目黒区と金沢市とのつながりを示す意味でも、旧加賀前田家記念公園などに駒場公園の名称を変えることを提案したい。


181108


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