ケルネル田圃と東京大学(9月2日)
井の頭線で駒場東大前駅から下北沢方向に向かうと左側に林が見えます。そこにケルネル田圃と呼ばれる水田があるのですが、近隣でも知らなかったという声を聞いています。
何故ここに水田があるのか、ということなのですが、歴史は駒場農学校が開校した明治11年にまでさかのぼります。そして、ここがケルネル田圃といわれるのは、ここでドイツ人の教員オスカー・ケルネルが、明治14年から26年まで農学校の教員として米作の肥料試験などを農学校内の水田で行ったことによります。駒場農学校の水田はケルネル田圃とよばれている水田の他にもあったのですが、駒場農学校が東京帝国大学農学部となり、昭和10年に本郷地区にある現在の農学部の地に移転するまでには、現存するケルネル田圃以外の水田はなくなりました。昭和12年に農学部の敷地であった現在の駒場野公園の場所を東京農業教育専門学校として独立し、それが昭和24年に東京教育大学農学部になっています。
東大農学部の本郷地区への移転が、現在駒場にある、東京大学Ⅰ・Ⅱキャンパス、旧前田家本邸、駒場野公園を形作ったといえます。そして、その農学部の移転という大事業をなしとげたときの東大総長は古在由直です。総長在任期間は大正9年から昭和3年までの8年間で、その間に、旧制第一高等学校と前田侯爵邸の土地を駒場の農学部の土地と交換しました。
古在由直は駒場農学校に入学し、ケルネルに師事してケルネル田圃で肥料試験などを行い、農学部教授から農学部長となって、大正9年に東大総長となったのです。そうして農学部を本郷地区に移すことで、東大のキャンパスを一つにしたことになります。
駒場に目を向けると、ケルネルの直弟子が駒場の街並みを作り、ケルネル田圃の管理を東大入試合格者数がトップクラスの筑波大付属駒場中・高校の生徒が行っていることになります。そのように貴重な文化遺産であるケルネル田圃をもっと知っていただきたいものです。また、ケルネル田圃に親しんでもらえるよう、地域の方々によるかかしの展示が行われています。以下のサイトで詳細をみていただくことができます。
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