旧前田家本邸の呼称(2023-5-17)
目黒区主催の区内文化財めぐり「旧前田家本邸など駒場地域の文化財を巡る」の参加者を募集している。6月10日(土)の9時半から12時までで、東大駒場キャンパスの建物も対象となるようである。定員は30人で応募者多数の場合は抽選とされる。
その旧前田家本邸なのだが、最新の目黒区の刊行物「目黒区くらしのガイド」の該当箇所には、旧前田侯爵邸、駒場公園洋館、駒場公園和館と記載されている。なぜそうなっているのか。
この地に侯爵前田家の邸宅が完成したのは1930年。侯爵前田家駒場邸庭園図と書かれた図面があるが、私邸なので正式な名称などなかっただろう。前田侯爵家の邸宅であったのは1945年までの15年間。1945年から1957年までの12年間は連合軍に接収されており、3代の空軍司令官が使用していた。接収解除後は東京都の管理となり、洋館は1967年から2002年までの35年間、東京都近代文学博物館として利用されていた。敷地全体は駒場公園となったが、東京都近代文学博物館の開館と同時期の1967年には、その北東側に日本近代文学館が建設され、現在に至っている。
1975年に駒場公園の敷地は東京都から目黒区に移管され、1991年には洋館が旧前田侯爵邸洋館として、東京都指定有形文化財に指定された。2008には、和館を含む他の建造物も都指定有形文化財に追加指定され、更に2013年に旧前田家本邸として東京都の指定有形文化財から国の重要文化財に格上げされた。旧前田家本邸に呼称が変更されてから今年で10年になる。
旧前田侯爵邸の呼称が使われるようになったのは、2002年に東京都近代文学博物館が閉館し、建物として見学されるようになってからのことだろう。2013年に旧前田家本邸の呼称に決まるまでの期間は10年ほどである。
一度定められた呼称が変更されても残るのは、それだけ使われる頻度が低いからなのか。目黒区にある建物の重要文化財は、円融寺本堂、旧前田家本邸と同じ敷地内の尊経閣文庫だけである。文化財が少ないだけに注目されにくいのかも知れない。
駒場公園の敷地内案内版は旧前田家本邸(駒場公園)になっている。新しい刊行物ではそのような表現に訂正されているだろう。