駒場住宅跡地整備計画に対する意見―1(2022-9-8)
<国有地であることの意味>
駒場東大前駅西口前にある国有地、駒場住宅跡地は、売却せずに定期借地権により民間で活用する方針となっている。売却しなかったのは、公益を守るためであったはずだ。
しかし、今回の整備計画によると、国有地であればこそ可能なものが何もない。入札では年間貸付料3億8千760万円、54年間で209億3千40万円に相当する金額を提示した業者が最高額ということで落札している。
国会でもしきりに議論の対象となった森友学園への国有地払下げの金額が1億3400万円。1年間の貸付料だけで森友学園への払下げ金額の3倍近い数字が今回の事案とすれば、森友問題などたいしたことではないという印象すら受ける。
無論森友学園の件は払下げ金額が低すぎたのが問題なので、駒場住宅地跡地は高いのだからで何が悪い、ということになりそうだが、そうともいえない。国庫の収入が大きいことは、事業者が入手した土地から最大の土地代を払うことができる案が採択されたことなのである。最大の土地代を払うことのできるビジネスプランが、それだけで公益に資するといえるのかどうか。
例えば、公共広場の面積を十分にとって、収益の得やすい事業スペースを少なくすれば、入札価格は低くなる。しかし、その方が景観的にもよいだろうし、利用者にとっては望ましいはずである。つまり、落札金額が大きいことと、地域の満足度はトレード・オフの関係となるといってよいのではないか。国民の満足と地域の満足は違って当然との反論もあるかもしれないとしても。
平成30年から令和3年まで、多くの時間を費やして導入すべき施設、導入が望まれる施設が検討されてきた。目黒区議団も視察に来ている。そしてその結果が、誰も想定していなかった事業者提案施設が敷地の過半のスペースを占めることになったのである。地域の満足と国民の満足を単純につなぎ合わせた結果なのかもしれない。
しかし、事業者提案施設とはいえ、国有地に作る施設である。当然それにふさわしいものでなくてはならないというのは甘いか。誰もがそう考えて楽しみにしていたのではないか。にもかかわらず、採択された案は老人ホームと学生寮。目新しさはまったくない。それぞれの注視すべき問題点については後日あらためて記す。
繰り返しになるが、国有地を払下げではなく、賃貸での土地利用により業者ができるだけ大きな収益を上げ、土地代を多く国庫に納めることがよいことなのか。国民全体からすれば、ある地域の住民に十分な満足が得られなくても、できるだけ国庫に多く入れてもらうことが望ましい、との考え方もあるかもしれない。財務省はその立場なのだろう。しかし少なくとも環境省は違うだろうし、その他各省庁の立場からこの件を見たらどうなるか。東大駒場キャンパスの学生の思考課題として使えるだろう。
引き続き、ひとつひとつ問題点を指摘していくことにする。(次回へ)
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