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2022年4月

碑文谷の神社仏閣(2022-4-11)

目黒区の成り立ちは、1889年に衾村と碑文谷村の2村が合併して碑衾村となり、上目黒村、中目黒村、目黒村、三田村の4村が目黒村になっていたものが、1932年に東京市に統合されるに当たり目黒区として一つの行政単位になったものである。

それはそれとして、千年以上の昔からの地域社会はどうだったのか。目黒区碑文谷に、円融寺と碑文谷八幡宮のあることを知らなかった。立会川という現在は暗渠になっている川があり、共にその川沿いにあって、その距離200メートルほどの近さ。立会川は目黒川と呑川の中間にあるのだが、それぞれの川に沿っての水の利用調整の必要から共同体が形成されたのだろう。

碑文谷の地名は八幡宮に碑文の書かれた石があり、そこから碑文谷となったと伝えられている。現在の住宅地からは想像できない農村が、千年以上続いていたようである。

目黒区のみどりの散歩道「碑文谷・立会川コース」としてこのエリアの紹介はされてはいるが、円融寺も碑文谷八幡宮も、その規模が大きな割に知られていないなのは門前町がないからか。その間には少なくとも二つの寺社よりは有名なカトリックのサレジオ教会があり、その前の道路はサレジオ通りとなっている。

神社の奥はすずめのお宿緑地公園。竹藪が残されていて、ちょうどタケノコが地面から顔を出してきたところを見ることができた。

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