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昭和初期の日本陸軍の人たちを顧みる(19-8-10)

1925年(大正14年)に渋谷の道玄坂上に二葉亭というレストランが誕生した。西欧諸国で8年料理の修行をしたという料理人の店で、東京でも有名店となっていたそうだ。

当時の地図を見ると、場所は道玄坂上交番の交差点から国道246号に向かう方向にある。246の道路ができたのは1960年代だから、その場所がどのあたりかは分かりにくい。

その二葉亭で1927年(昭和2年)ごろから20名ほどの陸軍将校が会合を重ねていて、その会は二葉会とよばれていた。その中心となるメンバーが永田鉄山、小畑敏四郎で、共に前田利為侯爵と共に、陸軍大学23期の優等同期生であった。その会が陸軍に影響を及ぼし、さまざまな人事抗争、方針の曲折を経て、最終的に太平洋戦争開戦に至ることにもなったのである。

前田侯爵の駒場邸が完成したのが1930年で、その主人である前田利為侯爵はイギリスから3年の勤務を終えてその年の9月末に帰国。それから間もない11月14日に浜口雄幸首相が東京駅で狙撃されてから、毎年クーデター計画や暗殺事件が起きている。いずれも陸軍将校によるものだが、1932年の5・15事件は海軍将校が主体であった。

そして1935年8月12日午前、永田鉄山陸軍省軍務局長が軍務局長室で相沢三郎中佐に日本刀で斬殺されるという事件が起こった。それから半年後の2月26日に2・26事件があったのだが、その間、前田利為少将は参謀本部第四部長で陸軍省に通っていた。

永田鉄山少将の自宅は松濤の観世能楽堂のあった場所の近所のようで、間取りは1階が8畳、6畳2間、3畳の玄関であったという。また2・26事件で首相官邸襲撃を指揮した栗原安秀中尉は駒場1丁目の崖下にその住居があった。2・26事件関係者の処刑があった陸軍刑務所は現在渋谷区役所などになっている。

2・26事件などに影響を与えたことで処刑された北一輝の著書『日本改造法案大綱』では、華族制の廃止を訴えている。ほぼ当時のままの姿で残った華族の邸宅旧前田家本邸から、昭和の軍閥や青年将校の活動の舞台、更には2・26事件の慰霊像を見て回ることで、陸軍が国を動かしていた昭和初期という時代に思いを馳せてみたい。

 

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