旧前田家本邸が伝えること(19-8-2)
旧前田家本邸が昭和50年に目黒区立駒場公園となってから44年、都立駒場公園になってからだと52年も経過しているが、歴史遺産として現在のわれわれに伝えていることは多面的なのである。
館内ガイドでは、チューダー様式という建築様式、銘木などの建築資材、昭和初期の上流華族の生活、といったことが案内されるのであるが、この邸宅が建設された背景と、前田利為侯爵一家が居住していた昭和5年から昭和17年の12年間という日本史上でも極めて重要な期間を想起させる場となる側面も忘れてはなるまい。
前田利為侯爵が3年間の駐在武官として勤務したロンドンから帰国して、この邸宅の主人となってからわずか1年後の9月18日の夜、満州事変が勃発した。それから11年後、ミドウェイ海戦により、太平洋戦争で日本が守勢に回ったのが昭和17年6月。その年の9月に前田侯爵邸は主人を失った。
その間に、主人の職場ともいえる陸軍では、昭和6年3月のクーデター計画「3月事件」、10月の陸軍史上最大級ともいわれるクーデター計画「10月事件」、海軍将校を中心とするものであるが、昭和7年5月の「5・15事件」、昭和10年8月陸軍省庁舎内での永田鉄山軍務局長の暗殺。そして昭和11年2月には「2・26事件」が起きている。
そしてその翌年、昭和12年7月からは日中戦争に突入する。
前田利為侯爵は昭和12年11月に満州に派遣されるが、翌年12月には参謀本部付となり帰京する。事実上の解任だろうか。
昭和14年から昭和17年4月に臨時招集を受けるまでの3年間は、主として貴族院議員として活動した。昭和15年9月は日独伊三国同盟の成立、10月には大政翼賛会が発足し、昭和16年に太平洋戦争への道に進むことになった。
当時の前田侯爵邸はそのような環境の中にあったのである。
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