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江戸と東京 (19-6-29)

東京という地名が、1868年7月17日に江戸を東京と改称してからのものであることは当たり前のこととはいえ、明治時代には江戸町民のみならず、京都の人たちの中にも、違和感がもたれていたのかもしれない。また、参勤交代で江戸藩邸と国元を行き来していた旧藩士たちの気持ちはどうだったのだろう。

それでも、江戸という地名のもつ前近代のイメージを払拭し、西洋化を推進していた文明開化の帝国日本の首都として、かつてなかった都市名が全国に浸透していったのであろうか。江戸の名は、文明開化以前の時代の象徴のようにみなされていたこともあったろう。江戸の街並みが滅ぶような形で東京になり、明治の学校教育がはじまると、江戸という地名に親しみを持つこともなくなり、全国的な政治・経済活動の中心地の首都東京が定着していったと思われる。

目黒や駒場は、東京が誕生する前からの地名であるが、江戸の一部ではなかった。それが1871年の廃藩置県により東京府の荏原郡となって、東京の一部となったのである。江戸が東京になったのではなく、江戸の跡地を中心に東京が作られたといってもよいかもしれない。

東京があれば西京はどうかということなのだが、京都市には西京区があり、「西の京」を称している山口市もある。北京、南京はいうまでもない。

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