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2018年11月

肥後細川庭園のライトアップ(18-11-17)

12日に文京区に肥後細川庭園があることを書いた。昨年3月に新江戸川公園から名称を変更したばかりの公園である。事情を知る文京区の方にたまたま話を聞く機会があり、江戸川公園と新江戸川公園とが紛らわしいので、住民投票により名前を決めることになった、という説明であった。
肥後の名称がついたためなのか、熊本県がこの庭園を熊本県出身の照明デザイナーにより紅葉ライトアップをすることになった。通常は無料の公園だが、ライトアップの時間だけ有料にするというもの。

肥後細川庭園ライトアップ

地下鉄のポスターでもPRしている。このようになることを狙って公園の名称を変更したのではないようなのだが、その効果は大きい。

駒場野公園と駒場公園の混同を避けることを主たる目的として、公園名の変更を考える時期が来ているのではないだろうか。

181117


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肥後細川庭園と加賀前田庭園(18-11-12)

駒場公園と駒場野公園の名称が混同しやすいこともあり、駒場公園の名称を変更してはどうだろうか、ということをこのブログで提案している。
そこでちょっと調べてみたら、文京区で区立公園の名称変更がされていることがわかった。昨年3月に、新江戸川公園が「肥後細川庭園」になっているのである。近くにある江戸川公園との混同を避ける意味もあったのだろうか。

この肥後細川庭園は、明治15年に熊本細川家本邸となったものが、昭和36年に都立新江戸川公園として開園し、その後、昭和50年に駒場公園と同様、都立公園から区立公園となったものである。

公園が庭園になったのは庭園の整備をしたからかもしれないが、開園時間が決まっていて、年末年始が閉園ということもあるのだろうか。

文京区にならって、駒場公園を「加賀前田庭園」に名称変更することは、東庭の整備なしには名前が泣きそうであるとしても、魅力的ではないか。すでに肥後細川庭園とめぐるバスツアーが出ているが、加賀前田庭園・旧前田家本邸との組み合わせも人気がでそうである。

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駒場と駒場野(18-11-9)

駒場公園と駒場野公園という2つの公園が井の頭線の線路を挟んである。駒場と駒場野とどう違うのか、なぜまぎらわしい名前になっているのか、調べてみた。

駒場公園も駒場野公園も徳川時代は駒場野狩場であり、その広さは15万坪で上目黒村に属していた。その広大な土地が明治になって駒場農学校の敷地となり、東京帝国大学農学部として、1935年に本郷などに移転するまで、現在の東京大学農学部の前身としてこの地にあった。

駒場野農学校ではゴロが悪いから駒場農学校にしたのではないかとも思われるがそれはわからない。いずれにせよ、駒場野から駒場へと名称が変わっていったようである。

それからくだって1967年、東京帝国大学農学部の敷地の一部で、前田侯爵邸となっていた部分が、都立駒場公園として開園した。それが1975年には目黒区に移管されて、現在目黒区立駒場公園となっている。さらに11年後の1986年、今度は、東京帝国大学農学部から独立して東京農業教育専門学校となり、その後東京教育大学となっていった敷地部分が駒場野公園として開園したのである。

駒場も駒場野も元は同じ地名とすると、記号としてそれぞれを覚えるしかない。アルファベットだとKOMABA PARK、KOMABANO PARKとなる。知らない人にはわかりにくいから楽しい、という人もいるかもしれない。しかし、このままでよいものだろうか。

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駒場公園と旧前田家本邸 (18-11-8)

駒場公園は目黒区の区立公園である。その敷地は1930年に竣工した前田侯爵家の屋敷跡なのであるが、公園の名前からはそのことが分からない。目黒区には西郷山公園があり、渋谷区に鍋島松濤公園、港区に有栖川宮記念公園と、それぞれ皇族・華族の邸宅跡であることを表しているから、前田駒場公園でもよさそうなのであるが、単に駒場公園と名付けられたのはなぜだろうか。

駒場公園が開園したのは1967年。1945年から57年までは米軍が接収していて、接収解除後の10年は活用方法の検討と、東京都近代文学博物館と日本近代文学館の開設準備などに費やされたのだろう。67年から都立の駒場公園として公開されたのである。目黒区に移管され区立駒場公園になったのは1975年である。

洋館の建物が東京都近代文学博物館として利用されていたのは1967年から2002年まで。博物館閉館に先立つ1991年に、東京都有形文化財「旧前田侯爵邸洋館」として登録されていた。

東京都近代文学博物館の閉館後は旧前田侯爵邸洋館として東京都の管理により公開されることになった。そして2013年に国の重要文化財に指定され、2016年から2年3カ月かけて修復工事を行い、先月27日に工事後の公開が実現したのである。

金沢の加賀前田家16代当主、前田利為侯爵が東洋一といわれた邸宅を建て、そこに住んでいたのは1930年から42年までのわずかに12年の期間ではあった。しかし陸軍軍人であった前田利為候自身の好みで、塚本靖(東京帝大名誉教授)の設計監督の下、高橋貞太郎(日本橋高島屋など設計)、雪野元吉(東京国立博物館など設計)、佐々木岩次郎(東本願寺など設計)、原熙(新宿御苑、京都御所など作庭)といった、当時の一流建築家を動員し、1927年から3年の歳月をかけて完成させた旧前田家本邸は、現在では再現できない素材も使われ、貴重な文化遺産となっている。

その洋館の修復により、ようやく文化遺産としての体裁が整ったので、駒場公園と名付けられた時代とは違い、この公園を重要文化財旧前田家本邸として自信をもって紹介できるだろう。

駒場公園と駒場野公園がまぎらわしくて困ることが多いという、生活上の理由もさることながら、今回の洋館の修復を記念する意味でも、また目黒区と金沢市とのつながりを示す意味でも、旧加賀前田家記念公園などに駒場公園の名称を変えることを提案したい。


181108


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