駒場公園は目黒区の区立公園である。その敷地は1930年に竣工した前田侯爵家の屋敷跡なのであるが、公園の名前からはそのことが分からない。目黒区には西郷山公園があり、渋谷区に鍋島松濤公園、港区に有栖川宮記念公園と、それぞれ皇族・華族の邸宅跡であることを表しているから、前田駒場公園でもよさそうなのであるが、単に駒場公園と名付けられたのはなぜだろうか。
駒場公園が開園したのは1967年。1945年から57年までは米軍が接収していて、接収解除後の10年は活用方法の検討と、東京都近代文学博物館と日本近代文学館の開設準備などに費やされたのだろう。67年から都立の駒場公園として公開されたのである。目黒区に移管され区立駒場公園になったのは1975年である。
洋館の建物が東京都近代文学博物館として利用されていたのは1967年から2002年まで。博物館閉館に先立つ1991年に、東京都有形文化財「旧前田侯爵邸洋館」として登録されていた。
東京都近代文学博物館の閉館後は旧前田侯爵邸洋館として東京都の管理により公開されることになった。そして2013年に国の重要文化財に指定され、2016年から2年3カ月かけて修復工事を行い、先月27日に工事後の公開が実現したのである。
金沢の加賀前田家16代当主、前田利為侯爵が東洋一といわれた邸宅を建て、そこに住んでいたのは1930年から42年までのわずかに12年の期間ではあった。しかし陸軍軍人であった前田利為候自身の好みで、塚本靖(東京帝大名誉教授)の設計監督の下、高橋貞太郎(日本橋高島屋など設計)、雪野元吉(東京国立博物館など設計)、佐々木岩次郎(東本願寺など設計)、原熙(新宿御苑、京都御所など作庭)といった、当時の一流建築家を動員し、1927年から3年の歳月をかけて完成させた旧前田家本邸は、現在では再現できない素材も使われ、貴重な文化遺産となっている。
その洋館の修復により、ようやく文化遺産としての体裁が整ったので、駒場公園と名付けられた時代とは違い、この公園を重要文化財旧前田家本邸として自信をもって紹介できるだろう。
駒場公園と駒場野公園がまぎらわしくて困ることが多いという、生活上の理由もさることながら、今回の洋館の修復を記念する意味でも、また目黒区と金沢市とのつながりを示す意味でも、旧加賀前田家記念公園などに駒場公園の名称を変えることを提案したい。