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地域猫と呼ばれる猫(2018-1-29)

もう7~8年も前のことだったか。商店街の人たちから可愛がられていた野良猫がいた。エサは十分に与えられていたようだった。それでも何年もしないうちにその猫は死亡した。するとまもなく、商店街の路肩に猫の写真が飾られた祭壇が設けられ、その前で手を合わせる人の姿が見受けられた。

地域猫ということばを最初に聞いたとき、その猫のことを思い出していた。
しかしそれは妄想でしかなかったのだ。

目黒区のホームページでは地域猫を次のように説明している。

無責任な飼い主に捨てられてしまった猫に端を発するノラ猫は、充分なエサや健康等の管理を受けていません。このため、ゴミ漁りやふん尿の被害等で多くの地域で問題を起こしています。
また、不妊・去勢手術を施されていない場合が多く、放っておくと驚くほど繁殖します。被害は更に拡大、恒常化し、ほとんどのノラ猫は地域の嫌われ者となっています。
「地域猫活動」とは、この全く管理されていないノラ猫を地域の方が管理することにより、ノラ猫のトラブルを少しでも減らしていこうという試みです。そして、その管理されている猫たちを「地域猫」と呼びます。

恐らく、日本全国でこのような理解なのだろう。地域猫とはノラ猫のトラブルを減らすために管理された猫ということになるようだ。「無責任な飼い主に捨てられてしまった猫」ということなのだが、責任ある飼い主ならどうするのか、という突っ込みを入れたくもなる。

野良猫という管理責任者が明らかでない存在は許しがたい。ただし殺処分は動物愛護の考えに合わないので、不妊・去勢手術をすることで自然消滅するようにしていく。という思想なのだろう。

猫は飼い主がいる限りはよい。そうでない猫はいらない猫だ、という考え方は、責任者のいない猫がいては困るということ。だから、地域コミュニティで共有する猫の存在が堂々と認められるのかどうか、となると残念ながら難しそう。どうも何にでも責任者を求めるのが現代日本社会のみならず、現代世界の常識のようにも思えるのではあるが。

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