不老長寿願望と嫌老(2016-2-23)
爺さん・婆さんは差別用語のようになっている。高齢者と呼ばれることも嫌われ、後期高齢者という呼称への反発は大きかった。日本では100歳を超える健康長寿を理想としているようにも見える。それを達成できなければ、敗北ということなのか、残念なこととなるわけである。
健康長寿が理想ならば、次善は不健康でも長寿ということになっている。寝たきりでも認知症でも長寿であることが求められているようなのだ。何故なのか、それでよいのか、ということも言われていて「尊厳死」「安楽死」「平穏死」「満足死」が議論の俎上に上がっているものの、特に安楽死についてはタブー視されているといってよいほど議論が活発とはいいがたい。
それはともかくとして、不老長寿を理想とするのがよいことなのか。また、高齢の男性と女性、つまり爺さんと婆さんとでは生活上の役割意識が違っている。若い人には仕事も育児も男女均等といいながら、爺さんたちは、配偶者や娘などの女性に依存するのが当然と考えている人が少なくないようにも見受けられるのである。誰かから生活上の世話を受けていて健康長寿といえるのかどうか。
嫌老とは敬老の反対で、老人を敬わずに嫌うという意味で使われるのであろうが、人が自らの老化を嫌うことも意味するのだろう。爺さん・婆さんと呼ばれることを嫌う所以である。
しかし、逃れることのできない、老化と死を嫌うことは自分自身を嫌うことにしかならない。老と死を自然のこととし、嫌ったり恐れたりしない生き方を見つけたいものである。
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