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日本での難民の受け入れ(2015-9-7)

シリアなどからヨーロッパへ向かう難民が問題となり、日本でも議論の対象となっている。
日本での最近の大規模な難民の受け入れはインドシナ難民。外務省の発表によると、1978年から2005年までの間、ベトナム・カンボジア・ラオスからのインドシナ難民の受け入れ数は11,319人。『ベトナム難民少女』としてドラマ化されたボート難民となって日本で15歳から勉強して医者になった女性の例もある。

過去をさかのぼると、1950年代には済州島からの難民が相当の規模であったようだが、その数は把握されてはいないのだろう。さらに大昔、668年の高句麗の滅亡にあたっては多くの高麗人が難民となり、716年に高麗王若光を首長として新たに武蔵国にできた高麗郡を開拓することになった。それにより、1799人のこれまで東国に入植していた高麗人が移り住んだという。若光を偲んで創建したのが埼玉県日高市にある高麗神社で、若光の子孫が代々高麗氏として宮司を務め、現在の宮司は60代目となる。渋谷区にも血縁の方がお住まいで、1300年以上の血筋が守られているのだ。
2016年が高麗郡建郡1300年ということで、記念事業も行われる。難民の神様として紹介されることになるかどうか。

1917年のロシア革命でも多くの難民が出ており、ロシアに住んでいたイスラム教徒であるトルコ系のタタール人が迫害を逃れてシベリア経由で避難し、日本でも受け入れられた。その人たちのために礼拝堂が渋谷区上原に建設されたのが1938年。その跡地で2000年にトルコ共和国宗務庁のもとに東京ジャーミイが完成した。日本最大規模のモスクである。

日本では難民の受け入れは難しいとよくいわれるが、歴史から学べることもあるだろう。

(東京ジャーミー礼拝室)

150907


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