神様になった難民(2015-9-20)
古代の日本では渡来人が大陸から新しい文化をもたらしたと教科書にある。その渡来人という人たちがどういう経緯で日本に来たのか。さまざまな理由があったのだろうが、南西朝鮮にあった百済の660年の滅亡、北朝鮮にあった高句麗の668年の滅亡に至るまでの戦乱で、今流にいえば難民として日本列島にたどり着いた人たちも多かった。現在のシリアからの難民と同様の立場であったとえいそうである。
ただ、現在の難民とは違い、最新の武術や産業技術をもつ日本に有益な人たちであったとはいえるのだろう。また各地に土着する豪族がある中で、朝廷直属の武人として有用であったかもしれない。一方で、歓迎されないこともあったと考えるべきだろう。
7世紀には九州に近い百済からの難民が多かったようであるが、北の高句麗からも戦乱を逃れて命がけで日本に向かった人たちがいた。日本の海岸にたどり着けたのはどれほどの割合だったのか。
その様子が、「高麗王若光物語」という、高句麗の王族である玄武若光から数えて60代目にあたる高麗神社の宮司の想像で書いた小説にある。若光は新羅と唐の連合軍から高句麗を守るための使節として日本に来たが、滞在中に高句麗が滅びてしまった。その高句麗の難民を関東に集め、高麗郡を作ったというものである。
高麗郡ができたのは716年。2016年は郡ができて1300年にあたり、若光を御祭神として建てられた高麗神社でさまざまなイベントが企画されている。
その高麗郡の入口は八高線の高麗川駅。駅前にモニュメントが置かれている。
高麗神社の入口には韓国の民俗信仰で魔除けという将軍標がある。
鳥居のそばには浩宮皇太子殿下の献木が駐日韓国大使の献木と並んで植えられている。境内には多くの韓国大使や日本の有力政治家の献木が見られる。
高麗王若光の墓所である聖天院にも将軍標。
聖天院には高麗王若光の像がある。
その奥には在日韓民族慰霊塔が。
そして一番奥には檀君の像。韓国・朝鮮の始祖神である。
大阪の枚方市には百済王神社があり、百済も高句麗も唐・新羅に滅ぼされて日本に逃れて来た人たちなのだが、新羅系の人たちも岐阜県多治見市に新羅神社を作ったようだ。神社は日本独特のものであることはいうまでもない。だから、現在は北朝鮮の地域にあった国の王族が神社の祭神になってしまうことについて、日本人なら何でも神様にすることで一応理解できるものの、西洋人はもちろん、献木している韓国人もどう受け止めるのだろう。ちなみに、境内の表示は日本語とハングルだけで、英語はない。
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