国民栄誉賞を辞退した男(14-7-28)
国民栄誉賞の創設は1977年。本塁打数で世界新記録を達成した王貞治に賞を出したいということが目的だったとか。2013年に長嶋茂雄と松井秀喜のダブル受賞があったがそれでもこれまでの受賞者数は23人。うち没後受賞者は12人で、それだけ栄誉ある賞なのである。
その賞を辞退したことが知られている人が3人いる。そのうちの一人、作曲家の古関裕而は故人で親族が辞退したとされる。もう一人のイチローは候補者となって2度辞退しているが、いつか受賞の可能性はある。
そしてもう一人は1983年に盗塁数で当時の世界記録を達成したことで受賞を打診された福本豊。その活躍の記憶をもつ人が今、特に関東でどれだけいるだろう。
松下電器から阪急ブレーブスに入団したのが1969年。ドラフト順位は7位で、同僚が読んでいた新聞で知ったという伝説がある。高校時代からのスーパースターではなかった。
福本豊のプレーを見たのは1974年夏の西宮球場。阪急ブレーブスの本拠地でガラガラの外野席であった。守備がセンターなのですぐそばに見える。ピッチャーが投球する直前まで体操したりしていて落ち着かない。どうして投球したのが分かるのか、と思うようなタイミングでバッターに集中する。その1球ごとに見られる個性あふれる挙動が魅力であった。しかし、今、満員の球場で外野手がそんな態度だとクルームが来そうである。
球が来ると正確に方向と飛距離を読んで落下点まで走り捕球する。その一連の動きが芸術的ともいえる美しさである。近くからは「おい、福本、こっち来いや。ビール飲もや。」といった野次が聞こえたりするのどかな光景であった。
国民栄誉賞辞退の理由は「そんなんもろたら立ちションもでけへんようになる」とのこと。そんな昭和の時代のヒーローをふと思い出した。まだ60代で関西ではテレビでも活躍中。「熱血タイガース党」の党首ブログを書いているが、国民栄誉賞を受賞していたら書けなかったかもしれない。