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書評『東京松山』 (14-6-30)

句集『東京松山』を手にした。2012年1月に刊行された井上じろという人物の作品集である。夏井いつき氏(Wikipedeaで松山在住の俳人と知った)の序文によると、その人物は松山に赴任したことのあるサラリーマンでエライ人らしい。1997年に句作をはじめたときからの作品を自ら選句・構成をしたとある。

これまで俳句も少しは知っておこうということで『子規句集』は手元に置いていたけれど、俳句の鑑賞はなかなか難しいものだとわかっただけである。俳句をたしなむ先輩にその点を聞いたところ「俳句というのはなんだかわからない句がいいんだよ」と教えられ、なるほどと思っていた。

そこで『東京松山』。1ページに2句、見開きで4句という構成である。岩波文庫の『子規句集』だと1ページに10句が詰められている。そうだ、俳句というのは余白が必要なのだ。余白に句に押し込められた情景がにじみ出てくるのだ、と俳句を知らない素人の野暮な感想である。

その中の一句「武蔵野に武蔵野残る桜桃忌」。武蔵野残るというのは、国木田独歩の作品『武蔵野』にある情景を踏まえているのか。「桜桃忌」は季語であり、ここでは太宰治の墓がある三鷹の禅林寺か入水した玉川上水の6月を指しているのだろう。武蔵野の雑木林も子供の時からよく知っているから、イメージが膨らむ。
これを「武蔵野の面影残す禅林寺」とすると素人の俳句もどきか。そもそも季語がないこと、文章の一部のようであってはいけないことが分かる。

ところが、同じ句集にある「山羊の乳ためしてゐたり漱石忌」となると、さて。17文字でどれだけ多くの想像を巡らせることができるか、作る側だけでなく鑑賞する側も力量が問われそうだ。

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