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200年前の駒場(13-08-16)

200年前の江戸時代の駒場野に遊んだ思い出が、井関隆子という旗本夫人の日記に書かれている。
「此頃の事なりければ、広野の気色えもいひやらず芝生など常に御馬ぐさにかりはらへばか、高やかにも繁らず、打ちわたすに限りしられず緑をしけるに、萩薄女郎花よりはじめここらの花ども咲まじりたる、いかで七種には限らむ。摘手にあまり、折る手もたゆきまで多かれば、わらは心地におき所なきまでうれしうおもしろかりき。男共は虫とらへむとて、尾花おしわけあさるに、ここらの虫どもふためきとびはしる中に、松虫すず虫も打ちまじるめり」と。(渡辺京二著「逝きし世の面影」から引用)

駒場野は良く知られるように、徳川将軍の鷹狩のための場所であった。それでも、旗本の家柄で子供のころ四谷に住んでいた日記の筆者が、管理者とのつながりがあったとはいえ、子供が遊びにいくことができた。四谷から駒場まで、ほどよいハイキングコースだったろう。どれだけの子供たちが遊べたのかは知るよしもないが、子供も労働に狩り出されていた時代だから、馬草刈に近隣の子供たちが動員されたと想像することもできる。

明治以前はともすると文明開化前の別世界のように扱われがちであるが、明治維新で日本人の生活が突然変わったわけではない。駒場野の鷹狩場が駒場農学校に変わっても、周囲の住民にとっては徳川時代からの連続した生活の舞台であったに違いない。

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