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駒場バラ園の今(13-6-3)

駒場バラ園は日本に現存する一番古いバラ園といわれる。ただ、バラに関心のない人はそんなものがあることを知らないし、初めての来訪者だと、駒場東大前駅からたどりつくのが難しい。場所はちょうど神泉との間にある井の頭線のトンネルを出て高架になるところにあたるのだが、その前を通り抜ける人ですら少ない。バラ園といってもバラ苗を販売する店で、バラを観賞させる場所ではないのである。
駒場ばら園は明治44年(1911年)に伊藤栄次郎が創業した。井の頭線も山手通りもなかったから、渋谷から文化村通りのつきあたりが東京帝国大学農学部正門で、その横に大学の農場の一部のようにバラ園があったのではなかったかと想像できる。
伊藤栄次郎は和歌山から東京に出て「ばら新」で駒場バラ園を創業するまで働いていた。「ばら新」は、創業者の横山新之助が皇室御用達の植木職人で植木屋として独立し、明治16年ごろにはバラ専門店となっていた。アメリカ人の園芸技師ルイス・ポーマーが創設したポーマー商会を通じて輸入していたとある。おそらく日本で最初にバラの販売をした店なのだろう。当時バラは高価なもので、買いに来る客は皇族や高官などの限られた人たちだったようだ。どこでも売っているというものではなかったはず。ばら新は、駒込と池上で営業していたが、戦後は池上だけになり、その後バラの販売はしなくなった。戦争の間はバラどころではなかったのである。
伊藤栄一郎の長女嘉代が入沢正義と結婚し、夫婦で駒場バラ園を支えてきた。入沢正義は2007年1月に95歳で亡くなり、創業以来のバラ農園も敷地が縮小されたが、営業は続いている。
駒場バラ園が営業を開始してから27年後の昭和13年(1938年)に鈴木省三が創業した「とどろきばらえん」が、戦後は順調に復興して日本一ともいわれるようになった。しかし、鈴木省三は京成電鉄の誘いにより、昭和33年(1958年)から京成バラ園芸で新品種の制作に専念することになる。京成バラ園芸は広大な敷地と見学用のバラ園ももち、鈴木省三の開発したバラを売り出すことで、バラ苗の市場で大きな存在感を示すようになっていったのである。
駒場バラ園は個人経営のバラ園として存続しているけれども、2005年末でバラ花壇が宅地となり、残ったスペースで咲かせているバラは見えにくくなった。そんな中で駒場バラ会が駒場バラ園の記憶を伝えるために発足し、駒場公園や東大正門横などで駒場のバラを咲かせている。

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右の車の前が駒場バラ園
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かつてはここにバラが植えられていた。
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井の頭線の線路の反対側から駒場バラ園方向を見る。
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