« 松村克彦の作品展(12-2-15) | トップページ | 情報源の変化(12-2-17) »

東日本大震災を忘れない(12-2-16)

昨夜吉祥寺で開催された、ここで2月4日に紹介した講演会を聴講した。福島原発での注水活動を実施した東京消防庁の総隊長であった佐藤康雄さんと、津波被害を想定して後方支援の準備をしていた遠野市長の本田敏秋さんが講師という豪華な顔ぶれ。一般公開で申込も不要ということだったので、早目に出かけたのだが、若干の空席が見られたのはいささか残念でもあった。講演会は1分間の黙祷から始まった。

東京消防庁のハイパーレスキュー隊は2月22日に起こったニュージーランドの地震の救援活動から帰国した直後の出動であった。その前から訓練をしていて、そこでの失敗を教訓にした上での出動になったとか。無論3月11日の本番に備えたわけではなく、いざという事態に備えてのことだ。講師自身が撮影した写真や映像をふんだんに使った1時間にわたる講演は迫力満点。現場で指揮をとった人が自ら記録映像を残しているということは画期的ともいえ、歴史資料としても貴重なものになるだろう。その中の一つに福島原発の作業員交代の場となったところでの写真があった。そこには寿司やバナナが豊富にあったのだが、レスキュー隊員はマスクをし、空腹にもかかわらず、一切食べ物を口にさせなかったそうだ。放射能から防護するためにマスクをした隊員と、現場から戻って、マスクをせず、タバコを吸う人もいる原発作業員が混在する写真には重いものがある。現場に行くにあたっては、日本語の情報だけではなく、家族や知人を通して海外の英語情報を収集したそうだ。海外はメルトダウンしているということなのに、日本でメルトダウンを認めたのは6月になってからのこと。日本語の情報を信用しないのも危機管理のプロならではということか。ユーモアも大事で、出動直前の笑顔の写真も紹介し、最後には「日本の救世主になって下さい」と書かれた奥様からの携帯メールの写真も出して会場の笑いを誘った。

遠野市長は岩手県庁職員だった時に阪神淡路大地震の救援活動を経験していた。それを踏まえ、遠野市の防災活動として、津波被害が何度も起こっている三陸海岸を被災地と想定して後方支援拠点とすることした。2年前には自衛隊も参加する大規模な防災訓練を行なうなど、後方支援拠点として準備をしていたことから、自衛隊が最盛期3500人も遠野市に駐屯できたのである。本田市長の情熱の賜物だったのではないか。
地震が発生してからは電気が消え、情報はラジオだけになったが、三陸地域の惨状を知るのは夜中になっていた。暗闇のスーパーで支援物資の市役所職員による素早い買占め、ガソリンの輸送といった臨機応変の対応も、日頃の防災意識からできたことなのだろう。

東日本大震災からもうすぐ1年になるが、現在も支援を必要としている。最後に主催者が読んだ「被災地支援・連帯宣言!!」の項目は次の通り。
1.持続的にボランティアに行こう!
2.家族・グループ・団体で現地へ旅しよう!
3.被災地の物産品を購入しよう!

講演会が始まる前にスマートフォンで撮影し、すぐに電源を切ったため空の舞台
120216


|
|

« 松村克彦の作品展(12-2-15) | トップページ | 情報源の変化(12-2-17) »

地域社会」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 松村克彦の作品展(12-2-15) | トップページ | 情報源の変化(12-2-17) »