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東急文化会館と渋谷ヒカリエ (11-12-14)

来年4月26日にオープンとなる渋谷ヒカリエは、2003年に閉館した東急文化会館の跡地に青山側の土地も加え、全体で東急文化会館の4倍以上の規模となる。東急文化会館の数値をかっこ内に入れて比較すると、敷地面積9640㎡(5100㎡)、 延床面積144千㎡(30千㎡)、地上34階地下4階(地上8階地下1階)といった具合だ。

とはいえ、東急文化会館は敗戦からわずか11年後の1956年(昭和31年)12月に開館し、当時の東京ではトップクラスの映画館であった1階の渋谷パンテオンと、5階の渋谷東急に加え、6階の東急名画座、地下にはニュース映画専門の東急ジャーナルの4映画館をもつ、他に例を見ない商業施設であったのだ。更に翌57年4月には五島プラネタリウムが営業を開始して、東急文化会館は渋谷のシンボル的な存在ともなった。今でこそシネマコンプレックスは当たり前のようになっているが、当時は複数の映画館を持つ建物は限られていたし、テレビが家庭になく映画が最大の娯楽であった時代に、東急文化会館は新しい時代の夢のような存在ではなかったろうか。

55年前にできた東急文化会館と渋谷ヒカリエを比較しても意味がないように、渋谷ヒカリエに東急文化会館が当時与えたようなインパクトを期待することにも無理がある。
まず東京の中での渋谷の位置づけが昭和30年代とは全くといってよいほど違う。当時の渋谷は、山手の住宅地の住民が集まる場所として、都心をのぞけば、新宿など他の繁華街以上の存在感があったはず。六本木、原宿、恵比寿、代官山などは人が集まる場所があったのか、というほどの時代である。

昭和50年代になると、西武グループの進出から公園通りが脚光を浴び、平成になってからは109とセンター街の若者の街として、渋谷はスクランブル交差点の映像と共に広く知られてきた。その一方では東京の繁華街の多極化が進んだ。渋谷近辺だけでも、代官山、恵比寿、原宿、表参道、自由が丘、二子玉川、三軒茶屋、下北沢に多くの人が集まるようになっている。渋谷が副都心呼ばれるにふさわしい街に再びなることがあるのだろうかと危ぶまれるところだ。

そんな中での渋谷ヒカリエの開館。翌5月には東京スカイツリーと東京ソラマチ、6月には東京駅丸の内駅舎の復元工事が完成する。多極化する東京の繁華街の中で渋谷をアピールするためには、ヒカリエだけではインパクトが弱い。ここはスカイツリーと東京駅舎と一体化したイメージ戦略が有効なのではないか。スカイツリーのある押上駅と渋谷駅は半蔵門線の始点と終点。途中に東京駅から近い大手町駅がある。スカイツリーを左に、真ん中に東京駅の復元駅舎、右にヒカリエを並べた写真でアピールするといい。「2012年、東京は半蔵門線から未来へのスタートを切りました!」といった内容のコピーをつけて。

東急、東武、JR東日本の各社に関わることなのでそんなプロモーションは夢物語ではあるだろうが、新たに渋谷に人を呼びこむには、ヒカリエ単独では相当の仕掛けが必要だろう。

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