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2011年11月

渋谷駅周辺繁華街のリスク(11-11-30)

渋谷は若者の街として知られている。古くは東京の都心に対する副都心として、新宿、池袋と共に買い物客の集まる街だった。1973年にNHK放送センターが新橋から移転し、渋谷パルコができて、公園通りが注目されるようになった。渋谷109とセンター街が渋谷イメージを作ったのは1990年代。それから20年がたっている。
その間、東京には、湾岸地区、六本木、表参道、丸の内、日本橋といった場所に次々と新しい魅力あるスポットが誕生する中で、渋谷は若者の街としての過去のイメージを引きずったまま現在に至っている。

そして渋谷ヒカリエが、これから始まる新しい渋谷の街づくりの第一弾として来年4月26日にオープンすることが発表されたのである。
しかし、その前途は決して楽観できるものではない。東日本大震災と原発事故の影響で、東日本全体の気分が沈み、東京観光どころではなくなっているだろう。東京近辺の人たちも、20年前はもとより、10年前と較べても出かける場所の選択肢が増えている。

渋谷ヒカリエ開業の4月26日から1ヶ月もたたない2012年5月22日には、地下鉄半蔵門線の終点駅でもある押上に、東京スカイツリーとその足元の東京ソラマチがオープンする。
東京ソラマチの売り場総面積は約52千㎡で、飲食やファッションなど310店舗が出店予定。
「Japan Experience Zone~日本を体感する」という1100㎡のスペースや、落語の林家一門プロデュースで寄席芸と下町の料理などを提供する「江戸味楽茶屋 そらまち亭」、ファッションブランド「サマンサタバサ」が手掛けるスイーツショップなども入る。民放各局の番組グッズなどを販売する「ツリービレッジ」、プロ野球巨人軍初の直営ショップも出店、といった具合に幅広い顧客層を対象とし、話題性にも富む。
海外からの観光客も、成田から近い浅草とスカイツリー・ソラマチを歩くだけ、後はバスで回って東京は終わり、ということにもなりかねない。

11月28日に開催された渋谷ヒカリエの記者発表では「最先端の文化やエンターテインメントが集まる街、エンタテイメントシティしぶや、を目指し、日本、世界中から集客し、日本一訪れた街にしたい」との東急電鉄の意思が明らかにされた。これをより広く地域全体で共有し、「エンタテイメントシティしぶや」という街のアイデンティティを形成していくことなしには、渋谷の現在の賑わいを維持することすら困難であろう。

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渋谷アネマルキュー(11-11-29)

昨日「渋谷ヒカリエ」の開業日と商業施設の内容について記者発表が行なわれた。開業は2012年4月26日。東急百貨店が運営する店舗の売場面積は16千㎡、売場ユニット数200、初年度売上げ目標180億円との発表である。
その新店舗の名称はShinQs(シンクス)。「渋谷 Shibuya」の街に、「輝き Shine」をプラスする、東急百貨店の「新しいお店」、「Q」という文字に「東急百貨店としてお客様との約束を果たしていく」という意味を込めたという。

ターゲットは20代後半から40代の働く女性。10年前には10代後半から30代だった人たちだ。昭和59年に「働く女性のライフスタイルをサポートする店舗」としてオープンした西武有楽町店が昨年12月に閉店し、同様のコンセプトでニュアンスを変えて品揃えをしていた有楽町阪急が今年7月に閉店して阪急メンズ東京となった。しかし、同じ顧客層であっても嗜好が昭和の終わり、バブルの時代とは違う。ShinQsでは、特に、スイッチルームというトイレに工夫を凝らすという着眼には注目してよい。東急本店2階の女子トイレの人気もあってだろうが、モノだけでは人は来ない。

ShinQsは商品が整理・区分けされた「DEPARTMENT STORE」から、モノ・コト・キモチが融合した「SPARKMENT STORE 」( スパークメント ストア)へ。ローコスト&ハイパフォーマンス型の運営システムを確立し、将来的な多店舗化を視野に入れた、従来の百貨店よりも小型で効率的な店舗モデルを確立する第一歩としている。
東急本店の売場面積35千㎡と比較するとその半分程度の規模であり、2010年度の本店・東横店の渋谷地区売上高が990億円と何年も前から落ち込んでいるのを挽回する狙いもあろう。

渋谷は良くも悪くも渋谷109のイメージが強い。そこで、売り場面積10千㎡の渋谷109(マルキュー)を卒業した世代を想定し、『アネマルキュー』と呼べばより多くの関心を集めることはなかろうか。無論そんなベタなネーミングを事業者がするわけにはいかないにしても、『AneCan』(アネキャン)などの雑誌では使われることになるのかも知れない。

来年には東横線の駅が地下になって渋谷駅が終点ではなくなり、地下鉄銀座線の駅が移動して、その後歴史ある東急東横店の建物がすべて解体されることになる。新しい渋谷駅周辺が完成するまでの概ね15年に及ぶ工事期間のはじまりでもある。
http://www.hikarie.jp/data/wp-content/files_flutter/1322489229hikarie_20111128.pdf

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青山方面からの入り口
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ファミリーマート代官山店の開店と蔦屋書店(11-11-28)

旧山手通りに面した12千㎡の土地に蔦屋書店がいよいよ12月3日(土)に開店の運びのようだが、それに先立ち、その建物の一角にファミリーマートが11月25日にオープンした。

このファミリーマートは、50歳から65歳までのお客さまを「フォーカスターゲット=“おとな”」として位置づけ、“おとな”の好奇心・消費意欲をくすぐる品揃えと、落ち着いた居心地のいい空間で、“おとな”の皆さまに、新しいコンビニエンスストアのスタイルを提案するもの。床はムク材のフローリング、壁やカウンター、商品陳列棚、また7席のイートインスペースにも木目を採用し、店舗内装をブラウン系で統一。店内照明もLEDライトとペンダントライト(吊り下げ式の照明)を併用することでやわらかな光を演出し、つい長居をしたくなるような落ち着いた店舗空間を作り出した、と記者発表している。“おとな”の皆さまにゆっくりとお買い物をしていただけるよう、細部にまでこだわったことで、代官山T-SITEのコンセプト“新しい大人への生活提案”と、コンビニエンスストア機能の両立を実現した、ともある。

外観はそこにコンビ二があるとは見えないよう、3棟の建物のみが目立つデザインを保持している。蔦屋書店と完全に一体になっていて、ファミリーマート店内からも書店に入ることができるようにもなる。“おとな”のための品揃えということで、気がついたのは葉巻。どれほど売れるかはともかく、“おとな”の店にふさわしいことに違いはない。そのほか、細部ではいろいろ配慮してはいるのだろうが、“おとな”の店と打ち出すほどのものなのか。むしろ店員を60歳前後の人にして、その服装などで演出した方がよいのではないか。また、“おとな”の店なのに24時間営業というのもどうなのだろう。

とはいえ、蔦屋書店が開店しないことには、どのような客が来るのか見当もつかない。開店の土曜日と日曜日はお祭りだろうから、来週の月曜日にでも出かけてみよう。

蔦谷書店の開店は5日(月)だそうです。正式発表はまだのようですが、お詫びして訂正します。

右側が旧山手通りでファミリーマートの入り口は横にある
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旧山手通りから見た蔦屋書店。左側がファミリーマート
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地域と人のつながり(11-11-27)

地域社会、地域活性化、地域主権といった言葉が使われる。しかし、その実態が何であるかは問われていないようでもある。その言葉を使う人自身が地域とどう関わっているのかが分からない。
政治家であれば、選挙区が地域だろう。自治体関係者は市区町村となるのだろう。住民は町会ということになるはずだ。しかし、中央省庁で政策のとりまとめを行う人たちが、当人自身にとっての地域をどう意識しているのか。その結果として言葉だけが踊っているということにはならないのか。
たとえばの話。目黒区が地域といえるだろうか。渋谷区が地域といえるだろうか。目黒区であれば、駒場の住民が自由が丘の住民と知り合いであることは、渋谷区や世田谷区の住民と知り合いであることよりはるかに少ないはず。また、区ごとに住民サービスが違うのだが、そのことを意識し比較する住民は区の職員や区議会議員のほかにどれだけいるのか。

地域での古くからの人のつながりは地方ではあたりまえのことだろう。東京でも、銀座、日本橋、浅草といったところでは、そうした人のつながりにより地域活性化が議論されているようだ。
それに対して渋谷はどうだろう。渋谷区全体ではない、渋谷駅周辺地区の人のつながりだ。小学校区、中学校区も西側だけで2つある。もしかしたらビル所有者が渋谷区民であることの方が少ないかも知れない。ましてや、店の経営者で区内に住む人はどれだけいるのだろうか。
地域社会、地域活性化、地域主権のいずれもが、その地域での人のつながりなしにはありえない。にもかかわらず、人のつながりはせいぜい町会レベルだ。駒場と神泉町、松涛は隣同志でも人のつながりはほとんどないといってよい。同じ町内どころか、同じ集合住宅内でも人のつながりは限定的という現実もあるのだ。

地域で人のつながりをつくる方法としては、近所のそうした機能をもつ喫茶店・居酒屋・バーに行くことがてっとり早い。それらの店を地域交流店とし、税金で運営されている施設や施策がどれだけの効果があげているのかを評価しながら、その予算の一部を割引券に振り向けるということもあってよいかも知れない。渋谷であれば、来街者交流の場作りとして考えられないだろうか。一例として、東大の駒場祭のプログラムに駒場東大前商店会の割引件がついているというものがある。

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駒場祭非公式サイト(11-11-26)

25日(金)から27日(日)まで、駒場キャンパスで第62回駒場祭が開催されている。駒場祭の公式サイトでそのプログラムを公開しているが、非公式サイトというのもあって、そちらの方が簡潔に全容を知ることができる。公式サイトが従来型ホームページの作り方とすると、非公式サイトはこれからのホームページのスタイルを先取りしているように見える。公式サイトは主催者ごとの画面で、非公式サイトは主催者とは企画を一覧できるようにしている。デザインのシンプルなのが非公式サイト。公式サイトは文字の大きさを極端に変えるなど、印刷物のデザインの流れを引いている。

非公式サイトにある、東大駒場祭2011を訪れるゲスト・有名人という項目が、一般の人にとっては一番気になるところなのではないか。出ているのは、岩瀬大輔、馬淵澄夫、森生明、江川雅子、加藤嘉一、田村耕太郎、山内一馬、桝田淳二、河上正二、貝原俊民、森山 博、笠原健治、広瀬隆、黒崎真音、BABY GAMBA(仲谷明香・田名部生来) といった具合。その名前を知る人が興味を持てばよいということだろう。
http://utnavi.info/komabasai/

駒場祭企画外のイベントも昨日あった。東京大学教員有志主催特別企画シンポジウムというもので、場所は駒場Ⅰキャンパス内にあっても、駒場祭の会場外となる数理科学研究棟。「日本のエネルギーを考える」と題して講演とパネル討議という内容である。講師は山口光恒先端研特任教授、萩本和彦生産研特任教授、飯田哲也環境エネルギー政策研究所所長、河野太郎衆議院議員といった顔ぶれだった。知っていれば聴きたかったという人も少なくないはず。

駒場祭は毎年ゲストの話を聴く機会でもある。企画外のものも含め、気をつけておくとよいようだ。毎年見ている駒場祭だが、今年はテントが立派になったような気がする。

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東急百貨店ヒカリエ新店(11-11-25)

来春オープンする渋谷ヒカリエの地下3階から5階までの8フロアーは、東急百貨店がプロデュースするショッピングエリアとして紹介されている。東急百貨店が運営する新しい商業施設との表現もあるが、「東急百貨店ヒカリエ新店」として開店するらしい。その内容が28日(月)に発表されるという。

それに先立ち、「東急百貨店ヒカリエ新店」のツイッター・アカウントでのアナウンスが始まっているが、そこからこれまでに流れてきた情報は、メインターゲットは30代・40代の働く女性、発電床を使った光の演出がある、ということ。

オフィス、劇場、飲食フロアーをもつ渋谷ヒカリエと、その中にあるショッピングエリアとは切り離して見たい。何よりも、「アトレ」や「ららぽーと」といった専門店を集めたショッピング・モールの新設が数多くあるとはいえ、東京都心部での百貨店の新設ということでは、1996年に開店した新宿高島屋以来になるのではないか。「東急百貨店ヒカリエ新店」が、各地で閉店が相次ぐ百貨店という業態を、どのような形で蘇らせるのか、ということで注目されているはずなのだ。

一方、大阪では、この5年で百貨店の売場面積が1.5倍以上に拡大しているそうで、今年の春に増床した大阪駅の大丸梅田店が好調の上、来年には阪急うめだ店が国内最大級の規模となってリニューアル・オープンする予定。2014年には日本一の超高層ビルとなる大阪市阿倍野区の「あべのハルカス」内に、近鉄百貨店が日本最大級の百貨店となってオープンの予定となっている。

そんな中での「東急百貨店ヒカリエ新店」の開店。元気の良い大阪の百貨店とのノウハウ共有はできているはず。しかし、28日の発表で以下の気になる点が明らかになるのだろうか。

1.渋谷駅周辺地区再開発により東横店は解体されることになっているが、営業はいつまで続けるのか。
2.246沿いの南口側に高層ビルが建つが、その完成を待って東横店が移るのか。
3.東急本店の売場は現状を維持するのか。
4.渋谷センター街の東急ハンズがヒカリエに移ることはないのか。
5.東横のれん街の移転はいつになるのか。

渋谷駅周辺で事業をしている人たちや駅の利用者には、「東急百貨店ヒカリエ新店」の魅力そのものより、このあたりのことに関心があるはずだ。

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渋谷ものがたり(11-11-24)

平成2年、1990年5月に発売された新沼謙治が歌う「渋谷ものがたり」という曲を見つけた。作詞は麻生香太郎で作曲は浜圭介。インターネットがあるからそんな曲の存在も分かるのだが、20年以上も前の歌、関係者でなければ知る人もないだろう。「俺たち時代にはぐれたね」「俺たち昭和の忘れ物」「俺たちやっぱり昭和だね」と1番から3番まで、それぞれの歌詞をしめくくる。平成2年の時点での歌詞なのだが、歌の昭和とは昭和30~40年代を指しているようでもある。
3番には「道玄坂の人目忍んだ仮の宿」というのがある。こんな歌が似合いそうな店は、百軒店や神泉駅周辺にはある。昭和というのはパソコンもインターネットもなかった時代。こんなご当地ソング、渋谷にはやはり似合わないのか。



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松涛坂に住む(11-11-23)

SHIBUYA109前から始まる文化村通りは、松涛郵便局前交差点の先から栄通りとなる。東急本店通り商店会の表示が街路灯にあるが、それは片側が円山町のエリアまで。そこから先の坂道は松涛坂と呼ぶことを提案している。栄通りは日本全国にあり、どちらかというと中央商店街であることが多い。渋谷の栄通りもかつては道玄坂下までの名称であったのが、東急本店ができてから東急本店通りとなり、Bunkamuraができてから文化村通りとなった。東急本店通り商店会はBunkamuraが出来る前に付けられた名前だろうが、その先、山手通りとの松涛2丁目交差点までは何の表示もない。
かつて栄通りは、通りの名称というだけではなく、住所でもあったのだが、50年ほど前の住居表示に関する法律により、片側が松涛、片側が円山町と神泉町になったという経緯がある。街のイメージということを考えると道路を挟んでその呼び名が違うのは好ましくない。ここを松涛坂とすれば、住居表示とは別に街としてのイメージをつくることができる。
コラム神泉の隣で今日から内覧を始めた「ロアール渋谷松涛」は、住居表示こそ神泉町になるけれど、松涛坂のマンションということにするとよい。渋谷駅から信号を渡ることなく10分足らずで歩ける距離で、しかも閑静な住宅地にあるというのは魅力的。特に上層階の部屋からは眺望が開けていて、夜景が素晴らしいはずだ。
http://www.shinwa-ent.co.jp/loire/shibuyashoto/index.html

松涛坂に完成したロアール渋谷松涛
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山手通り方面
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東急本店方面
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渋谷のイメージ戦略(11-11-22)

書店で東京のガイドブックを開いたところ、渋谷は109とセンター街のみの紹介となっていた。渋谷のイメージとは残念ながらそんなところのようなのだ。
渋谷センター街は、渋谷駅周辺の渋谷区商店会連合会中央ブロックに加盟している13の商店会の一つ。その公式ホームページのトップ画面には「渋谷センター街といえば若者文化発祥地として、また過去に変造テレカや合法ドラックを売る外国人露天商がはびこる「怖い街」「汚い街」という危険なイメージがついてしまいました」とマイナス・イメージのあることを認めている。そこで、センター街パトロール隊(SCGP)の結成、路上へのはみ出し看板や商品の是正、1年365日1日6時間の徹底した清掃活動を実施した。それでもなお悪いイメージが払拭されないでいる事実を知らされ、新たに、センター街エリアのメイン通りを今年の9月に『バスケットボールストリート』と命名した。「情報発信地・健康的な街・安心出来るきれいな街と来街者に楽しんでいただける、地域の特色を活かした新たな街づくりを目指し『バスケットボールストリート』にする事で、さらにスポーツ振興に力を入れ、青少年の健全育成に努めます」ということである。しかし、バスケットボールストリートの通称「バスケ通り」も使われた例は知らない。センター街としないと誰もピンと来ないからだろう。

今日の東京新聞には「カルトの脅威 今も」「オウム 懸念される若者の無関心」との見出しの記事があり、センター街の写真が掲載されている。写真の説明には「若者たちでにぎわう渋谷センター街」とある。その写真は読者にどのような心理的影響を与えるだろうか。「カルトの脅威を受けそうな無関心な若者たちの街」とのイメージにならないか。若者に怖い街というイメージ素材としてのセンター街になっているようだ。

それはともかく、13ある渋谷中央ブロックの商店会組織の一つであるセンター街が渋谷のイメージを代表するということでよいのか。渋谷のマイナス・イメージの責任や改善努力をセンター街頼みでよいのかということにもなる。

渋谷はファッション、音楽、映画の街と言われる。若者だけの街でもない。とはいえ、「オトナ発信地」のイメージ戦略をもつ渋谷マークシティを挟んで、中央街、246の先の桜丘、センター街の隣の公園通り、東口の宮益坂や宮下公園周辺といったところは、渋谷ヒカリエが誕生しても、遠方からの客を期待できるだろうか。
渋谷のイメージ改善には、音楽、映画の街であることをアピールしていくのが一番確実のようである。そのためには、年に一度の音楽祭、映画祭、芸術祭といったイベントの開催ではなく、ファッションを含めたクリエーターが情報交換の場として利用しやすい街になることだろう。その場所はファッションは公園通りの丘の上、音楽・映画は円山町・百軒店をおいてあるまい。

東京新聞に出たセンター街の写真
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住居表示の道玄坂(11-11-21)

現在の住所を表す住居表示は、1962年に施行された「住居表示に関する法律」に基づいており、郵便物の配達の利便性を目的としたものだ。行政事務の効率化という面ではそれ以前の地番のわかりにくさを解消したかも知れないが、地域の歴史や住民のアイデンティティはほとんど無視されているといってよい。1200年を超える歴史をもつ京都市が住居表示を使用していないのは、そうした事情の反映だろう。
そんな住居表示が渋谷に適用されてからほぼ半世紀が経過しているが、渋谷の訪問者に対して適切なものと理解されているのだろうか。例えば、道玄坂1丁目と2丁目。地域社会は商店会となるが、渋谷道玄坂商店街振興組合が道玄坂2丁目をカバーする。ただし百軒店商店会は別である。マークシティを挟んで南側になる道玄坂1丁目は、渋谷中央街と渋谷道玄坂商店街振興組合に属す道玄坂上商店会。道玄坂上商店会は道玄坂上交番前交差点から先の道玄坂の両側で、片側の住居表示は円山町となる。
住所というのは、それを見てどのあたりなのかがすぐにイメージできることが望ましい。道玄坂は歴史ある通りの名称であるだけに、道玄坂2丁目だけでなく、文化村通りや道玄坂小路など、面している道路名の表示を自主的にするようにすることが、訪問者に対して親切なのではないか。渋谷は何度も来たくなる街にすることが、商店会の関係者には期待されているだろうから、年に一度のイベントの繰り返しだけではないきめの細かい工夫がほしい。

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駒場の防災・避難訓練(11-11-20)

3・11以来、防災・避難訓練への関心は高まっている。避難所生活というものが現実にあるわけだから、そうした事態を想定して、それに対応できる訓練をする必要がある。地域社会で力を合わせることで、災害に直面した際の精神面を含めた被害の軽減は容易に想像できよう。
だから、日本中すべての地域で行政の指導も受けながらそうした訓練は行なわれている。しかしそのやり方は地域により様々なのだし、その違いに消防や行政機関、あるいはマスメディアがどれほどの関心をもっているのかが気になる。
訓練のメニューは、消火器操作、小型ポンプの放水、救急救命、起振車、煙ハウス、ということで多分全国共通しているのだろうが、どのような人たちに運営され、どのような住民が参加するかということで違いが出てくる。駒場近辺だけをとっても少なからぬ違いがあるわけだが、そんなことに興味を持つ人はまずいない。しかし地域社会を診断するのに、これほど分かりやすいものはないから調査研究の対象になるはずだ。

20日の朝日新聞WEB版によると、文科省は「困難を生き抜く力」や「絆づくり」を復興教育の柱に据えることにしたとのこと。「地域コミュニティーとの協働」を掲げ、実践的な防災マニュアルづくり、ボランティアによる放課後学習支援、復興教育に取り組む大学やPTA、NPO法人への活動費支給を進めるためのタスクフォースを文科省内に設置するそうだ。
小学校・中学校はどこでも地域の防災訓練の会場なっていて、中学生が訓練の主役になっているケースもある。学校の現場には「復興教育」についての経験は豊富であるはずなのに、更に何をとの感想もある。予算折衝のためのアドバルーンかもしれないが、復興教育予算を計上するのであれば、自治体とのすり合わせが必要だろうし、その過程で分かったことをインターネットも使って地域社会に還元してほしいものだ。

20日の今日は、駒場町会と住区住民会議からなる駒場防災会議による防災訓練が、駒場小学校で行なわれた。サンマ祭りの縁で目黒区との友好関係にある気仙沼市の被害の模様を撮影した60枚余りの写真が会場に展示され、会場のアクセントともなった。
前日からの雨でグランドの状態が心配されたが、日差しが心地よい素晴らしい日曜日となり、近隣町会を含む185名の参加者と、運営側の住民ボランティア、目黒区役所、目黒消防署、目黒消防団の50名ほどにのぼるメンバーによる訓練が無事終了した。毎年のこととはいえ、参加者の顔ぶれは変わり、地域の絆は広がっている。今後の課題は、6千人余りの駒場住民に対して、1万人以上の東大関係者や、数千人になる駒場東大前駅を利用する高校関係者との連携にあるようだ。

駒場小学校での防災訓練の模様
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円山町映画会館(11-11-19)

Bunkamuraから道玄坂上に抜けるランブリングストリートに映画館がある。2006年1月に3館5スクリーンのミニシアターがある「Q-AXビル」としてオープンした建物だ。そこに、昨年11月、2スクリーンの映画館があったスペースに1997年に設立された映画美学校が移転してきて、建物もKINOHAUS(キノハウス)という名称になった。
映画館はユーロスペースとシネマヴェーラは従来通り。映画に限らない観客席のあるスペースとして、オーディトリウム渋谷が誕生した。そして、この建物をKINOHAUSではなく、円山町映画会館と呼ぶこともあるようだ。円山町映画会館と聞けば、それだけで場所が分かる。広い東京の中で、渋谷のKINOHAUSというより、円山町映画会館とした方が一発でピンと来るだろうし、記憶することもできる。
ラブホテルとライブハウスが混在し、歩道のないランブリングストリートは、歩きにくい道ともいわれているが、これからは、映画と音楽の制作に関わる人たちが集まる場となっていくはずだ。円山町映画会館という、ちょっと古臭い名称でより多くの人たちの記憶に残れば、円山町がラブホテルだけの町ではないことを知ってもらえることにもなるだろう。ランブリングストリートの入り口にはBunkamuraとSARAVA東京がある。

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老人いこいの家(11-11-18)

目黒区には老人いこいの家が25ヶ所ある。目黒区内に住所をもつ60歳以上の人が登録して利用証を持てばどこででも利用できるというものだ。駒場老人いこいの家では駒場寿会が老人クラブとして活動していて、詩吟、手芸、書道、民謡、社交ダンス、輪投げ、民舞、いきいき体操、茶道、絵手紙、華道、カラオケといったものがある。これに入会するのは年会費1500円が必要だが、ヨーガ、水彩画、カラオケの目黒区講習会を受講するだけであれば、無料の登録だけでよい。
老人憩いの家とは、1965年に厚生省社会局長が都道府県知事に通知した「老人憩の家設置運営要綱」に沿って、市町村が設置する高齢者福祉の施設であるが、老人福祉法で規定する老人福祉施設には該当しないのだそうだ。全国に約3900ヶ所あるようだが、渋谷区や世田谷区には該当する施設が見当たらない。渋谷区の地域交流センター大向では、60歳以上の区民は登録することで、浴室とその入り口にあるスペースの利用ができる。しかし、シニアクラブは優先権があるものの、一般の施設利用団体の一つとの位置づけだ。
いずれにしても、60歳以上を老人として、その専用福祉施設を持つことについては意見のあることだろう。大橋老人いこいの家は大橋図書館がクロスエアタワーに移動する2013年のはじめには、駒場老人いこいの家に統合されるらしい。介護保険の対象となるデイサービス利用とからめ、今後は単独で設置されている施設の維持費についての議論はありそうだ。

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落書き消しで善行賞(11-11-17)

駒場で8年前から落書き消しをやってこられた大内喜三郎さんは、今年の10月24日、東宮御所に招かれて皇太子殿下の御接見を受けられた。2年前に日本善行会から表彰があったためだ。
大内さんの駒場町内からその周辺に及ぶ単独での落書き消し活動は、その後、目黒一中の総合学習となって、先生と一緒に生徒を指導するようにもなっている。目黒区や目黒警察署からもその活動が評価されていった。中学生の指導の際に、指揮をとるため大声を出せるようになった裏話として、ポンプ操法大会に指揮者として出場のため練習中、声が小さいと言われていたのを、ご近所の狂言師の方に声の出し方の指導を受けて声がでるようになったと。それが生徒の指導にも役立ったとすれば、地域社会での協力の賜物ともいえるだろう。
大内さんの落書き消し技術は独自のもので、塗料も個人負担するという純粋のボランティア。
8年前に駒場であった講演会でのお話は今でも生きている。無益なことは必ずしも無意味ではない、と。

http://www.shibuya-west.com/rakugakikesi.html

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文化・芸術の街(11-11-16)

1969年7月から2000年4月まで、公園通りの山手教会地下に渋谷ジャン・ジャンという小劇場があり、前衛舞台芸術の発信地として知られていた。二代目の高橋竹山はそこで当時の高橋竹代という名で1980年に初の独奏会演じた。1997年には、津軽三味線を全国に知らせることになった初代高橋竹山と共に、二代目の襲名披露演奏会を渋谷ジャン・ジャンで開催している。
渋谷ジャン・ジャンの文化を引きついだような場が昨年12月にオープンしたばかりのSARAVA東京。渋谷ジャン・ジャンの収容観客数が200人だったのに対して、SARAVA東京は60席、全員スタンディングでも100人だからその規模は小さい。そこで高橋竹山が「東北を歌う」と題した演奏会を11月23日に行なう。2部構成になっているイベント、ことばのポトラックの6回目となる「東北を想う、東北を歌う」の第2部としてのものだ。
その第1部は谷川俊太郎、高橋睦郎、佐々木幹郎といった著名な詩人が参加しての詩の朗読と、東日本大震災復興構想会議の副議長を務めた御厨貴東京大学先端科学技術センター教授が入ってのトークセッションがある。
ことばのポトラックというシリーズは休日の昼間という時間帯であることによるのか、過去5回のうち3回は満員売り切れと、公開されている毎月のスケジュールに表示されているように人気がある。今回は入場料3000円+ドリンクとの価格設定だ。
東大駒場キャンパスから文化村通りにかけての経路が、栄通りの整備により魅力的な散歩道になるまでもうすぐ。2つの東大駒場キャンパス、前衛舞台芸術のこまばアゴラ劇場からBunakmuraにかけて、いつでも文化・芸術そして学術のイベントに出会うことができる街となっていく。


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駒場と渋谷(11-11-15)

「駒場」で検索をすると、トップは「東京大学駒場アクセスマップ」、2番目が「東京大学大学院総合文化研究科・教養学部」、3番目が「東京都立駒場高等学校」。続くWikipedia駒場には、目黒区駒場とさいたま市駒場などが列挙されている。それから駒場東邦中学校・高等学校、駒場学園高等学校と駒場の地名を入れた学校名が並ぶが、いずれも目黒区駒場にあるわけではない。駒場祭とは東京大学の学園祭のことで、都立駒場高校の学園祭は都駒祭、地域の祭りは「こまばのまつり」となる。
駒場町会はホームページを持たないから、インターネット上には存在しない。駒場とは東大駒場キャンパスの影に完全に隠れているようだ。確かに駒場キャンパスが駒場の町より先に出来ている。地名は駒場であったとしても駒場農学校周辺地域に過ぎないかったのだろう。
さらに、駒場が目黒区にあることを知る人は少数派のようだ。駒場東邦、筑波大付属駒場、駒場学園といずれも世田谷区池尻ないし代沢にあるから、それらの学校出身者や家族にとって、駒場は学校の住所である世田谷区と理解していてもおかしくない。ちなみに駒場高校の場所は目黒区ではあるが駒場ではない。
井の頭線だと世田谷区にある池ノ上駅を出ると、かつての駒場農学校の敷地に入って、駒場東大前駅。そこからしばらくするとトンネルに入りトンネルの中に神泉駅がある。駅を出ると踏み切りで、わたるとすぐにトンネルに入って地上に出ることなく渋谷マークシティ内の渋谷駅に着くのだ。
池ノ上駅と駒場東大前駅を結ぶ道路はないといってもよく、駒場東大前駅は渋谷の地下を通るトンネルと駒場野学校時代に作られた広大なキャンパスに挟まれているといってよい。つまり、渋谷の繁華街と世田谷の住宅地の中間にある学園地帯といえるのだ。渋谷の繁華街といってもその中身はさまざま。学園地帯とつながる文化活動が活発なことは見逃せない。駒場と渋谷を一つのイメージでつなごうというのが「渋谷WEST」。遅々とはしているものの、10年目に入ってようやくピントが合ってきたと感じている。

井の頭線の線路を中心に見た駒場の光景(右奥が東大駒場キャンパス)
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渋谷のジャズ喫茶・バー(11-11-14)

ジャズ喫茶という業態は今では一部のファンにしか知られていないようだが、1970年代まではその軒数も多く、音楽を楽しむ場所として親しまれていた。渋谷でも特に百軒店にはジャズ喫茶が何軒もあったという。
そんな百軒店の丘に上がる途中、ドンキホーテ裏にあたる袋小路に10月に開店したLeemie’s。ジャズ喫茶であると同時に開店の午後1時からジャズのレコードを聴くバーでもある。今日はマイルス・デイビス、ソニー・ロリンズ、アートブレーキーらが競演した1951年録音のレコードや、1967年のジョン・コルトレーンのレコードなどを聴かせてくれた。カウンターの隣に座った30代とおぼしきアメリカ人の常連客は、ジンやウォッカを飲みながら、そんな古いジャズを楽しんでいて、ちょっと旅行でもした気分に。彼は2千円の価格が書かれた1967年のレコードジャケットを見て、その高さに驚いていたが、当時は1ドル360円だったと説明すると、ドルでもらった金を今シティバンクで円に替えてきたといって、現在のレートを嘆いた。
レコードでジャズを聴くというぜいたくを気軽に楽しむことができるのは渋谷の裏町だからこそ。そのアメリカ人もさいたま市からわざわざ来ているという。ラブホテル街の中にあるようで、慣れないとちょっと近づきにくいともいわれる場所なのだが、路地の反対側はエスニック料理のゴールデン・バーニング。その2階にはクレイドル、隣のビルの2階にはBAR CARROTといった、大人の隠れ家ともいえるバーが並ぶ。なじみの客しか来ないことは安心してくつろげる場所ともいえるだろう。
当面休日はないのだが、11月15日は、都合により開店以来初めての休みとなる。

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1969年という時代(11-11-13)

「1969」という今年の10月に発売された、由紀さおりと米国のジャズオーケストラグループ、ピンク・マルティーニのCDアルバムが世界のヒットチャートで上位に入ったことが話題になっている。
「1969」というのは由紀さおりがデビューした1969年のことで、アルバムは当時の日本でよく流れていた曲で構成している。1.ブルー・ライト・ヨコハマ(いしだあゆみ)2.真夜中のボサ・ノバ(ヒデとロザンナ)3.さらば夏の日 [Du soleil plein les yeux](フランシス・レイ)4.パフ [Puff, The Magin Dragon](ピーター・ポール&マリー)5.いいじゃないの幸せならば(佐良直美)6.夕月(黛ジュン)7.夜明けのスキャット(由紀さおり)8.マシュケナダ [Mas Que Nada](日本語版:アストラッド・ジルベルト)9.イズ・ザット・オール・ゼア・イズ? [Is That All There Is?](ペギー・リー)10.私もあなたと泣いていい? (兼田みえ子)11.わすれたいのに / 原曲[I Love How You Love Me](モコ・ビーバー・オリーブ)12.季節の足音 [bonus track]、という内容だ。

この1969年にはどんなことがあったのか、どんな時代だったのかを調べて見ると、いろいろと考えさせるものがある。
この年、政府が1968年の日本のGNPは西側諸国で第2位と発表し、世界では人類初の月面着陸ということに沸いていた。一方で全米ではベトナム反戦デモがあり、日本海に近い中ソ国境で武力衝突という事件もあった。国内では、東大安田講堂占拠の学生排除や新宿西口フォークゲリラの活動と排除など、学生紛争で荒れていたこともある。
玉電の廃止と東名高速の全線開通があったのも1969年。ミニスカートの流行からパンティストッキングの発売もあった。ミュージカル「ヘアー」が東急東横店にあった東横劇場で初演されたという記録もあり、テレビ番組は「8時だヨ!全員集合」が始まり、来月で42年の旅を終えて最終回を迎える「水戸黄門」がスタートしたのもこの年だ。映画では「男はつらいよ」で寅さんの旅が始まった。

海外の音楽シーンでは、ジョンとヨーコが結婚し、ビートルズ最後のレコーディング・セッションが行われ、ビートルズの音楽が完成した年でもある。

渋谷には天井棧敷館及び地下小劇場が落成。天井桟敷とは寺山修司が横尾忠則らと共に立ち上げた当時アングラ(アンダーグラウンド)と呼ばれた劇団で、そのメンバーであったカルメン・マキの「時には母のない子のように」が大ヒットしている。
1969年という時代を蘇らせる、寺山修司の遺した唯一の長編小説「あゝ、荒野」(1966)と、森山大道の時代を鋭く記憶した写真とのコラボレーションによる写真展が、渋谷の裏町にあるポスターハリスギャラリーで開催される。11月17日(木)~11月30日(水)13時~19時、月曜は休で入場料は300円。

1969年という年の記憶がある人はもちろん、そうでない人たちにも、世界的に歴史上の重要な年として、1969年を振り返ることに大きな意義があるのではなかろうか。


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今日・明日は渋谷音楽祭(11-11-12)

渋谷は音楽の街といわれる。そこで今年は12日・13日が第6回の渋谷音楽祭。
しかし、ひとことで音楽といっても人によりイメージするものが全然違うのが今の世の中。100年前の日本であれば、民謡と学校で習う唱歌がほとんどだったろうし、60年前の1950年頃にはクラシック音楽と今では死語ともいえる流行歌に、ジャズ、シャンソン、ラテンといった分野が加わったということか。当時、音楽といえばクラシック系の洋楽であり、流行歌は音楽とは見なされていなかったようだ。Wikipediaによると、流行歌は「狭義には日本の商業制作による大衆歌謡のうち、欧米のフォークソングなど新しい音楽が流入して分野が多岐に分かれる以前、昭和初期~30年代初頭までのもののこと」とある。
1950年代後半からロカビリーが急激に若い人たちの人気を集めるようになり、テレビの普及と高度経済成長の波に乗って音楽も多様化していった。1960年頃からはアメリカンポップスに人気が集まり、レコードを聞かせるジャズ喫茶も数多く出現した。
1975年ごろから夜の酒席での余興として始まったカラオケは、1980年代半ばからのカラオケボックスの普及により学生の間でもブームとなり、そこで歌える曲が幅広い層に共有されていた。
90年代になるとJ-POPと歌謡曲が分かれる傾向となり、その流れにあるJ-POPの人気グループであるAKB48や嵐が現在の音楽シーンを代表するとはいいがたい。
過去50年の期間に高品質で録音されている音源の蓄積はもとより、100年、200年の間に作曲された音楽資産には膨大なものがある。しかもそれらにYoutubeで簡単にアクセスでき、どんなものかを確認することができるようになっている。そのジャンルの多様性さには気が遠くなるほどだ。

音楽の楽しみ方は時代によって違っていた。渋谷音楽祭は街頭での演奏を楽しもうということもさることながら、若手音楽家に活動の機会を与えるものといってもよいのかも知れない。
渋谷で40年~50年前には数の多かった名曲喫茶、ジャズ喫茶がほとんどなくなり、その代わり踊ることのできるディスコが大型になった。カラオケボックスの人気が衰えたとき、人々は音楽をどのように楽しむようになるのだろう。
今から60年ほど前、ビートルズが熱狂的に迎えられた頃、その曲は音楽教育の現場ではどのように評価されていたのか。また、現在の音楽教育はどうなのか。日本の伝統音楽まで含めた多様なジャンルの音楽を知るだけでも大変なことだし、人によって好みも違う。そう考えると、あらゆるジャンルの音楽文化に触れることのできる場が必要なように思えるし、渋谷音楽祭にそうした要素が加わるとより魅力的になりそうだ。
それよりも、いっそのこと、渋谷に音楽を語る店の集まる通りを作り、その名を例えば「ペニーレイン」としてはどうだろう。


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松涛・円山町のクロスロード(11-11-11)

Bunkamuraの前、松涛郵便局前交差点にあるクロスロードビル。松涛と円山町を分ける栄通りの入り口にあたる。高級住宅地の松涛と、ラブホテル街で知られる円山町の境界が栄通りなのだ。かつてこの道路の両側は栄通りという町名であったが、1965年前後に行われた町名変更により、丘の上の花街であった円山町の町名が表通りにまで、またその反対側は松涛の名前が摘要されるようになったのだ。だから、通りに面したところは、住居表示が円山町であっても松涛であっても雰囲気に違いがあるわけではない。しかし、通りに面していない所は別世界となるわけで、その環境の違いの大きさは他に例がないともいえるだろう。
東急本店前の文化村通りが栄通りとなり、ライブハウスの並ぶランブリングストリートが、松涛の高級住宅地に向かう道となる。クロスロードビルはさまざまな文化のクロスロードにあたるといえる。そのビルの1階は普通のファミリーマートなのだが、その地下にはシャンソンやさまざまなジャンルの生演奏・パフォーマンスを行なうレストラン&バー「SARAVAH東京」が入っている。
文化村通りの賑わいが途絶える交差点は、さまざまな文化が交差する場として、もっと注目されてもよい。栄通りの拡幅工事の完了に向けて、地域としての強いアピールが必要なのかもしれない。

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代官山にデンマーク王室(11-11-10)

10月26日から11月13日まで、「デンマーク IN 代官山」のイベントが開催されている。旧山手通りに面したデンマーク大使館の壁面にはデンマーク女王の作品が飾られ、先週の11月3日、ヨアキム王子とマリー妃を迎えてのイベントが行なわれた。その模様が現在youtubeで公開されている。
「デンマーク IN 代官山」のメインとなるのがアンデルセン童話の「白鳥の王子」を映画にしたもの。ヒルサイドフォーラムで展覧会が開催され、会場では映画の特殊撮影を紹介するビデオが連続で上映されている。その会場では、特殊撮影のカメラの前に立って、映画で使われたと思われる背景の中に自分の姿を見ることもできる。ヒルサイドカフェはカールハンセン社の家具が置かれ、パンのアンデルセンがデニッシュカフェとして営業する。
これからの映画の上映会は、旧朝倉家住宅横の駐車場地下にあるヒルサイドプラザで、12日(土)と13日(日)にそれぞれ4回行なわれるスケジュールだ。
ちなみに、デンマークは風力発電で知られるが、今日の夜8時からNHK総合テレビ「地球イチバン」で自然エネルギー100%のロラン島が紹介される。旅人は俳優の時任三郎さん。



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一高/獨逸(11-11-09)

東大駒場Ⅰキャンパス内にある駒場博物館の1階で、「一高/獨逸 第一高等学校資料に見る日独交流史」の展示を、12月4日までの期間開催している。
明治維新後、ナチスドイツの崩壊までの日独関係について、日本がドイツからどのような影響を受け、日独伊三国同盟による破局に至るまでの過程の一面を、旧制第一高等学校の収蔵品の中から明らかにするというもの。交流というより、ドイツの思想・科学の受容であった。しかし、1938年にヒットラー・ユーゲントの一行が一高を訪問した折には、対等な立場ということで、日本語で対応し、「バカヤロー」の挨拶をしたとか。「バカヤロー」は一高生の親愛の気持ちを表す挨拶だったそうだ。
展示された内容で特に印象に残ったのが三国同盟を締結したことへの批判。マキャベリやビスマルクの国は信じがたいという文書のあること。三国同盟を本国の確認を得ずに先走った白鳥敏夫イタリア大使の叔父にあたる外務大臣を経験した石井菊次郎のものだ。そうしてドイツ国家の消滅へと続く。
駒場野公園にあるケルネル田んぼの名前の由来となるオスカー・ケルネルもドイツ人であるが、一高ではなく駒場農学校・東京帝国大学農科大学の教師であった。「後ろ向きで反未来志向の展示ですが、お楽しみいただければ幸いです」というのがチラシの紹介文にある結び。節電のためか、博物館も暗いのだが、何となく憂鬱になるような内容でもある。
11月27日(日)10時から11時半まで、「愛憎の日独交流史:第一高等学校篇」と題する講演が、東大駒場キャンパスの岡本拓司准教授により行なわれる。

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渋谷の地域振興(11-11-08)

地域振興は観光振興といってもよいだろう。その地域に人が訪れ、お金を使うようにするための仕掛け作りなのだ。その主体は商店会である。商店会ごとに集客のためのイベントを企画し、それに行政が助成をする。渋谷区では商工観光課の担当ということになるのだろう。
しかし商店会ごとの企画では観光振興にはなりにくい。渋谷駅周辺はいくつもの商店会に分かれているから、渋谷音楽祭のように全体で何かするにはその調整も必要になる。また年に一度のお祭りが地域全体の振興につながる観光振興になるとも考えにくい。
そこで、たとえば、渋谷センター街でバスケットボールストリートと名づけたような話題作りが必要になる。そうして、その話題をどのエリアまで、またどれだけ継続的に伝えることができるかどうかが鍵となるのだ。話題があればそこに人は集まる。テレビドラマが観光につながるわけでもある。渋谷の場合ハチ公物語がそうした話題作りに一役買っていたとしても、もはや賞味期限は切れていると考えるべきだろう。その一方でセンター街のチーマー・ガングロの記憶が、いまだに渋谷に対するマイナスのイメージを払拭しきれていないことが憂慮されている。
東京は点としての観光スポットが多すぎる。それぞれの点に大勢の人が集まるという傾向が著しい。来年の5月はスカイツリーとその周辺に話題が集中することだろう。同じタイミングでオープンする渋谷ヒカリエが、その影に隠れてしまう恐れもある。
その中での渋谷の地域振興策だ。
特定の建物や街並みを観光資源とするのではなく、ある活動が行なわれている街としてPR活動をし、それを求めて客が集まるようにするのがよいのではないか。まず活動する人が集まっていることを知ってもらい、それに興味のある人が集まってくるという仕掛けだ。「芸能人が来る店」を売りにするようなものといってもよい。
渋谷がファッションの街であるとすれば、渋谷でファッションをどう楽しむのか、というガイドを作る。音楽の街、映画の街でもあるから、そこでの演奏活動や映画のラインナップと解説のあるガイドを作るとよい。
そんなことは一つの商店会ではできないし、行政も主体として動くわけにはいかない。当事者が自分のために渋谷ブランドを利用すればよいのだ。そんな場を「渋谷WEST」というサイトで担うことができるのかもしれない。

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ラブホテルの街を歩く(11-11-07)

円山町から道玄坂2丁目の百軒店周辺にかけては、ラブホテルの多いことで知られている。それも坂の上に続く細い道を上っていくため、そこを歩くのはホテルの客と見られるのではないかと気後れしてもおかしくない。慣れないと、カップルで歩く人を見るだけでも、のぞいえいるような気恥ずかしい思いをするのはやむをえないことともいえよう。

周辺の住民や仕事をする人たちでも、ホテル街をあちこち歩く必要は全くないわけだから、その全体像を知る人は宅配業者とか、ホテルと何らかの形で仕事を受けている人に限られるはず。ライブハウスが並び自動車が坂を上っていくランブリングストリートを挟んで2つの街があり、このエリアの面積は広い。
そこで、心理的に近づきにくいこの丘の上の街を、神泉駅前の踏切横の階段を上って百軒店を回り、東急本店前に出る散歩コースとして提案してみる。

出発は井の頭線の神泉駅。改札口を出てからエスカレーター横の階段を降りて、踏み切りの先のトンネル横にある階段を上って飲食店の並ぶ道に出る。少し左に折れてすぐ右に入ると道玄坂地蔵のある交差点に着く。両側は料亭の建物。それぞれの方向がどこに通じるのか分かるのは、ここをいつも歩く人たちに限られよう。一番距離のある左方向の下り坂を進む。突き当たりを右に曲がると百軒店のアーチが見える。そのアーチはくぐらずに右に曲がって坂を少し上がり、O-EASTの先を左斜めに。道玄坂が見える所でまた左折し、突き当たりを右に折れてすぐ左へ。そこからまた左に入り、ランブリングストリートに向かう百軒店のアーチの手前を右に行くと千代田稲荷神社に突き当たる。
そこから道玄坂方向に向かい、名曲喫茶ライオンの前を通って、ローソンのところで左折してすぐまた左折。ラブホテルしかない狭い坂道を下り、突き当たったところを右に折れると、左側の坂の下に東急本店が目に入る。そこがこのコースのゴールとなる。表通りに出てほっとするかも知れない。

どこをどう歩いたかわからなくなるミステリー・ツアー。見慣れない建物に驚き、日常から離れたような気分が味わえるコースになるのではないか。

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駒場キャンパス内の保育園園児の足裏(11-11-06)

東大駒場キャンパスの駒場池の山手通り側にログハウスのような保育園がある。東大の保育施設ではなく、NPO法人を設置主体とする認証保育所で、東大駒場地区保育所という。園児定員45名の小規模保育所で、駒場キャンパスの自然に親しむ形での保育をしている。食事は玄米を使った和食が中心で、おやつは市販のものを使わずに手作りで、という具合。先週は構内の柿の木から大量の柿を園舎に運び込んでいた。
そんな東大駒場地区保育所のこどもたちの足裏を撮影した写真展が、駒場キャンパス内にある駒場博物館の2階で開催されている。足の裏を刺激することが、幼児期の成長を促すといわれ、裸足を理念にしているという東大駒場地区保育所の園児たちの写真にどんな特徴があるのか。博物館を訪ねて確認をするしかない。この写真展は12月2日までで、開館は10時から18時まで、火曜日が休館となっている。

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円山町と映画「恋の罪」タイアップ企画(11-11-5)

11月12日から明治通りに面したcocoti SHIBUYAにあるヒューマントラストシネマ渋谷他全国でロードショー公開される映画「恋の罪」。園子温監督の作品でカンヌ国際映画祭にも出品され、12月の台湾を皮切りに世界各国での上映も予定されている。「渋谷区円山町 ラブホテル街の殺人事件」ということで、水野美紀、富樫真、神楽坂恵の3人の女優による演技バトル、最高の女優映画とうたうのだが、気になるのは舞台となる円山町がどう受け止められるか。
円山町のいい意味での宣伝になればよいのだが、この映画によって風俗、売春のイメージが全国に広がることには歓迎しかねる面もあるだろう。しかし、その怪しげなイメージを観光に使えないこともないはず。たとえば、cocoti SHIBUYAで映画を観た後はJRのガードをくぐり、公園通りとセンター街を横切って東急本店・Bunkamuraから円山町までの道を歩いてから食事というコースはどうだろうか。「事件」現場に近い神泉駅からのコースもあってよい。無論女性グループが対象だ。ちなみに、映画では女性3人連れを対象とする割引企画もある。


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渋谷WESTカルチャーマップ(11-11-04)

渋谷には数多くの演奏会場、展示会場がある。それらを集めたサイトはあるのだが、もっと絞り込んでみては、ということで、大人の渋谷エリアで集めてみたのが「渋谷WESTカルチャーマップ」。選択範囲が多すぎるのは迷いの元となるし、狭い街の中で選べる方が出かける気にもなるはずだ。
一言で渋谷といっても、若者の街とのイメージとは違う様々な顔のあるのが特徴。銀座や浅草、あるいは六本木などのように、一つの街のイメージで捉えられないところが渋谷の本当の魅力であるはずなのだ。だから、渋谷が若者の街とされがちなのが残念なのだ。
「渋谷WEST」は当初から渋谷の若者の街とは違う顔の街として紹介しようとしているのだが、理解を得られるまでにはいたっていないと反省する。
ハチ公前広場やセンター街、もちろん公園通りも対象としない「渋谷WEST」は、東大駒場キャンパス周辺もその範囲に入れている。渋谷と駒場は区も違うし、全く無関係な街というのが常識ではあるが、それを強引に一体化させることで一つの街のイメージを作っていこうとしているのだ。
こうして「渋谷WESTカルチャーマップ」を作ってみると、こまばアゴラ劇場や日本民藝館がその中に入ることに意義があると思うし、人が集まる場所として、松見坂も神泉とつながっていると見ておかしくない。
いずれにしても、選択しやすい範囲の渋谷のカルチャーマップとして、利用いただけるようにしていきたいのだ。スマートフォンでも見やすい形にしたが、リンク先もこれからはスマートフォン対応画面になっていくものと期待している。さらに、渋谷WESTのサイトもスマートフォン対応となるようリニューアルをしていく。
地域情報がインターネットで入手しやすくなっているのだから、渋谷WESTとしたエリアから発信される情報が確実に伝わるようにしていくことを課題としていきたい。
http://www.shibuya-west.com/sp/2_culture_map.html

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文化庁から選ばれた「こまばアゴラ劇場」(11-11-03)

文化庁に「優れた劇場・音楽堂からの創造発信事業」という制度がある。「劇場・音楽堂等の文化施設が中心となり、地域住民や芸術関係者等とともに取り組む、音楽、舞踊、演劇等の舞台芸術の制作、教育普及、人材育成、劇場・音楽堂スタッフの人材交流等を文化庁が支援する」というもの。音楽堂というのはコンサートホールとした方が分かりやすいのかもしれないが、役所用語なのだろう。「このことにより、優れた舞台芸術の創造・発信を自ら行うことができる劇場・音楽堂が各地で事業を展開し、我が国を代表するような舞台芸術を創造する役割や、都道府県内における舞台芸術の振興の中心的役割を担い、他の劇場・音楽堂を牽引するリーダー的存在となって、地域の文化芸術活動の活性化と住民の鑑賞機会の充実を図るとともに、我が国の文化芸術の水準の向上を図ることを目的」とするという。

文化庁に対して支援の申請をした劇場・音楽堂の中から選ばれたわけだから、申請をしていない有力施設もあるのだろうが、重点支援劇場・音楽堂は、申請19件に対して採択されたのは12件。「我が国の舞台芸術の水準を向上させる牽引力となる劇場・音楽堂の自主企画制作公演、教育普及事業、人材育成事業に対して支援する」というものだ。

平成23年度に東京都で採択された3施設の中に、サントリーホール、世田谷パブリックシアターと並んで、こまばアゴラ劇場がある。2006席のコンサートホールであるサントリーホールや、600席の主劇場と218席の小劇場をもつ世田谷パブリックシアターに対し、こまばアゴラ劇場はベンチ+座布団で100席程度という小規模劇場。劇場の外観もそのロケーションも、よほどの演劇ファンでなければ興味の対象とはなるまい。

文化庁のこの事業の対象には、重点支援劇場・音楽堂の他に、地域の中核劇場・音楽堂があって、こちらは申請127件で採択67件と数が多い。「都道府県内における舞台芸術の振興を牽引するリーダー的役割を担う劇場・音楽堂が地域住民や芸術団体とともに取り組む舞台芸術に関する公演、教育普及事業、人材育成事業に対して支援」するという内容。

東京都では、すみだトリフォニーホール、東京文化会館、第一生命ホール、江東公会堂、杉並区立杉並芸術会館「座・高円寺」と5ヶ所が採択の対象となったが、いずれも自治体か大企業を背景とするもので、「座・高円寺」を除けばいずれも大型の施設。3つのホールをもつ「座・高円寺」と較べてもはるかに小規模で、地域を越えた民間の施設というこまばアゴラ劇場の特殊性をうかがわせる。大型の劇場とは違い、幅広い層の観客を集める上演内容ではないけれども、こうした劇場が目黒区の駒場にあることは、演劇ファンでなくとも知っておきたい。
今年4月のニュースではあったが、今日は文化の日ということで。

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6日は東大前商店街のフリーマーケット(11-11-02)

11月6日(日)の午前10時から午後3時まで駒場東大前商店会主催のフリーマーケットが開催される。東大前商店街は駒場東大前駅の東口から出たところ、東大前駅と駒場駅が廃止され、駒場東大前駅となった1965年以前にあった東大前駅の駅前商店街。だから旧駒場駅に近い駒場東大前駅の西口は別だし、その中心部はかつて東大前駅のあった踏み切りの階段下なのだ。その踏み切りから商店街の反対側にあたる東大のキャンパスに入ったところには駒場寮があり、その寮生たちにとって東大前商店街は生活の場でもあった。当時の東大前商店街は現在とは比較にならないほどの活気があったという。
東大前駅がなくなってから46年もの年月が過ぎている。商店会組織の名称は駒場東大前商店会となっているけれど、商店街の表示は東大前商店街なので、もともとは東大前商店会だったのだろう。どうでもいいような細かいことではある。
この商店街のコンビ二があった場所に食品スーパーの「マイバスケット」が入って人通りが若干増えて来ているようではある。しかし、商店から住宅や事務所になってしまったところもあって、商店街は静かな街といわざるを得ない。
その商店会が主催する年に一度のフリーマーケット。大きな釜で作る1杯100円の豚汁が名物で、フランクフルトソーセージやワタ飴を求めて子どもたちも集まる。フリーマーケットでは掘り出し物もあるだろう。その中心はこまばアゴラ劇場の前あたり。当日午後3時からはこまばアゴラ劇場で演劇の公演もある。
ちなみに、東大前商店街については3年前に商店街の長老からお話をうかがっているので参考まで。
http://www.shibuya-west.com/interview_2.html

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電柱にある東大前商店街の電光表示
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メイン会場はこのあたり
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つけ麺の駒鉄オープン(11-11-01)

つけ麺の駒鉄が10月30日にオープンした。開店以来行列が絶えないようで、3日目の今日も午後4時近くになっても行列が見られた。食べログには早くも5件もの長文の口コミが書かれている。
駒場東大前駅の西口前という好立地でもあり、学生食堂より高いとはいえ、学生証提示で味玉又はライス無料とか、特大盛無料といった特典もある。1度は食べてみようと思うのも自然だから、一巡するまではこの行列が続きそうだ。
周囲の飲食店から客を奪うこともあるかも知れないとはいえ、行列のできる店のあることは街に活気をもたらすことになる。この行列がこれからどう推移するのか、店の経営者でなくとも気になるところだ。

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