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駒場野公園とこまばのまつり(11-10-6)

8月28日に記載したこまばのまつりに関する内容について、一部事実に相違のあったことが判明し、過去の目黒区報で確認して正確を期すことにした。

1963年に国は筑波研究学園都市構想を策定し、市街地にある国の教育機関や研究機関を移転させることを決定した。駒場にあった東京教育大学農学部の敷地もその一つであり、移転跡地を地元住民のために全面的に開放してほしいと、目黒区は十数年にわたって国の関係機関に提出するなどして取り組んできた。

1977年7月には、町会・自治会・婦人団体・青年団体・PTA・労働組合・福祉や商工業関係者など区内全域にわたる人々が結集し、「筑波研究学園都市移転跡地確保目黒区民連盟」を結成した。会長には都庁を退職後、都立大学教授、東洋大学学長を勤めた都市社会学の専門家の故磯村英一氏が選出され、署名運動など国に対する要請を続けていた。その一方で目黒区は東京都との協議により、1978年9月、利用計画書を国に提出した。

東京教育大学農学部跡地については、「公園(体育館・プール・テニスコートなどを含む)、都立高校」であった。これに対し、国の筑波移転跡地小委員会が78年11月に発表した試案は、「公園および高校用地として利用することとし、公園の一部を体育館用地として利用して差し支えない(水田・池はなるべく保存)。一部分を大学入試センター用地としてりようする」というもの。

目黒区は東京教育大学農学部跡地の一部を大学入試センターの用地とすることに強く反対していたが、妥協点が見出せないまま、最終的に同意する結果となった。全面地元開放という目的は達成されなかったものの、区民あげての運動により、第2国立劇場計画は解消されたとの総括が1980年2月にされている。

1982年になって、区立公園を具体的に計画するにあたり、道路事情が悪く消防困難地となっていることから、幅8メートル程度の道路を周辺に整備する必要のあるとのことが課題となった。そのことを受けてなのか、同年10月3日に駒場公園で実施された第6回目黒区民祭り駒場お祭り広場で、第1回のかかしコンクールが開催されている。

そして1986年4月に駒場野公園がオープンし、第10回目黒区民まつりのおまつり広場の駒場での会場が駒場公園から駒場野公園に変更になり、かかしコンクールもケルネルたんぼで開催されたのである。

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駒場」カテゴリの記事

コメント

ちまです。

貴重なリポート。ありがとうございます。

わたしが駒場に移り住んだのは、ちょうど住区住民会議が設立される頃で、教育大跡地の再開発についても地元の勉強会が開かれている頃でした。

目黒区の公園計画については、余計なことは何もせず広場と雑木林だけにして欲しいという意見がありましたが、区は、テニスコート設置について区民要望が多いのでそのことにも理解して欲しいということでした。

当初はもっとコート数が多い計画だったようですが、地元の意見を尊重していただけたので現在の面数になると同時に雑木林も確保されました。

防災道路計画については、西側の世田谷区の方々が抜け道になって交通量がすごく増えるのではないかとしきりに心配されていました。区境とはいえ用地が目黒区側にあり、道路の設置目的が防災ということなのでしょうか、世田谷区役所は地元世田谷区民の要望には積極的には関与しなかったようです。

投稿: | 2011年10月 7日 (金) 08時57分

ちま様

貴重な追加情報をありがとうございます。
このような地域の知識が蓄積される場ができればという思いでやっています。
これからもよろしくお願いいたします。

投稿: 管理人 | 2011年10月 7日 (金) 16時05分

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