« 復興へのテーマソング(11-4-3) | トップページ | 白鷺のくる池(11-4-5) »

駒場農学校の跡地と駒場野公園(11-4-4)

目黒区のホームページに駒場野公園の歴史についての説明がある。そこにこんなことが書かれている。「駒場農学校はその後東京農林学校、東京帝国大学、農科大学等を経て、東京教育大学農学部となり、昭和53年に筑波へ移転しました。その移転跡地に造成されたのが駒場野公園です。」

どうでもよいことのようだが、やはり歴史はできるだけ正確を期した方がよい。東京帝国大学、農科大学は続けて「東京帝国大学農科大学」。別の学校ではない。また、その学校が東京教育大学農学部になったわけではない。東京帝国大学農科大学は東京帝国大学農学部となり本郷に移った。旧制第一高等学校と敷地の交換をしたのだ。その一部であった農学部附属農業教員養成所が農業教育専門学校となって現在の駒場野公園の場所に残り、後に東京教育大学農学部になった。
さらに、昭和53年に筑波へ移転したという事実はない。東京教育大学が廃学となり、その資産を引き継ぐ形で筑波大学が新設されたのである。1973年10月に筑波大学開学、1978年3月東京教育大学閉学、と筑波大学のホームページにもある。

一方、駒場野公園正門横の「目黒区みどりの散歩道の案内」にはこうある。
「駒場農学校はその後、大学農学部などに発展的解消。記念の駒場農学碑が東大教養学部構内にある。」これは目黒区の都市整備部の作成したものだ。東京帝大農学部が本郷に移動したことで駒場農学校は発展的解消をしたということにしている。

しかし、そのすぐ横にある、目黒区のみどりと公園課によるケルネル田圃の説明には、「なお、駒場農学校は、後に東京農林学校になり、東京帝国大学農科大学等を経て筑波大学に継承されました。」とホームページと同じの立場にたつ。
教育大付属中・高校が筑波大付属中・高校になったのは、学校のホームページによると単なる改称であり、ケルネル田圃を現在管理しているのが筑波大付属中・高校であることから、本体が駒場から筑波に移転したという見方をしてしまったのかも知れない。

それに対し、ケルネル田圃の上にある水田の碑にある歴史の紹介は名文ともいえる。
「農学校は いくたびか 学制の変更により 名称を変えて その歴史を継ぐ学校が この地で 発展を重ねた」
具体的な学校の名前などここでは不要ということだろう。

110404


|
|

« 復興へのテーマソング(11-4-3) | トップページ | 白鷺のくる池(11-4-5) »

駒場」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 復興へのテーマソング(11-4-3) | トップページ | 白鷺のくる池(11-4-5) »