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2011年3月

大変な春(11-3-31)

東京の桜が開花したといわれているが、松涛公園や駒場の桜はまだまだ。気温が低いことにもよるのか。花見の自粛ということも話題になっている。

原発国フランスの大統領が急遽来日したり、アメリカから原子力の専門家が多数来る一方、滞在していた外国人が早々と離日したりしている。その比率はすさまじいものがある。東京から関西、沖縄に避難する日本人もいるとか。

消費が低迷していることは明らか。これから経済がどうなるのか、見通しなどできないというのが正直なところのはず。売上げが戻る期待を持てるのかどうか。この近辺の家賃ですらダウンしているという話もある。

こんな時には不安をあおるようなデマが出てくるらしい。デマはインターネットで公開して否定してもらうのがよいのか。マスコミ報道の信頼性もゆらいできている。身近な人のネットワークとインターネットを通じての情報収集が有効だ。

特に身近な区議会議員のツイッターを読んで判断するのがよさそうだ。以下の画面で気の向いたときに閲覧するとよい。ツイッターで情報発信していないと議員が務まらない時代が来る予感がする。
http://www.shibuya-west.com/2_giin.html

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円山町の農場協会会館(11-3-30)

円山町のホテル街、ラブブリングストリートから少し入ったところに農場協会会館がある。日浦晃が1952年に結成した「全国高等学校農場協会」の建物で1972年に落成した。日浦は駒場にあった東京農業教育専門学校出身で、都立園芸高校の教頭を経て都立農産高校の校長を勤めた人物である。「全国の農業教員を対象に、勤務の特殊性に基づく農業教員手当創設に伴い、それを推進、運営するための全国組織」として発足したらしい。農場で仕事をする教員の待遇を守ろうとするもので、現在全国に389校、6927名の会員を擁する。

東京農業教育専門学校は現在の駒場野公園の場所にあった東京教育大学農学部の前身で、東京帝国大学農学部が1935年に本郷に移るにあたり、付属の農業教育養成所を独立させたものだ。戦後は東京教育大学農学部となったが1978年3月に廃学された。筑波大学はそのかなりの部分を引き継ぐ形で新設された大学なので、農学部がなく、農業教育が行なわれていないのも不思議ではない。

全国高等学校農場協会は日浦のいた世田谷区深沢の園芸高校内にあったが、1972年に円山町の現在地に移された。駒場の学校を出た日浦が、駒場に近くて交通の便が良いということで決めたのだろうか。渋谷で酒を飲むことも好きだったらしい。

1878年に駒場の土地に農業教育の場として誕生し、数年のうちに16万5千坪の敷地をもっていた駒場農学校は1935年の東京帝大農学部の移転、1978年に東京教育大の廃学により農業教育の場ではなくなった。しかし、駒場農学校であった敷地から多少離れるとはいえ、その門の外1キロ圏に現在も全国の農業教育を取りまとめる組織のあることは記憶に留めたい。

農場協会会館の入り口
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農場協会会館の建物のある通りで、正面は百軒店の入り口
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松涛でチャリティーパーティ(11-3-29)

東京で桜が開花ということだが、目黒川の桜はまだまだのよう。それでもこの週末にはそろそろ見ごろの時期になっていることだろう。しかし今年はお花見気分になるのは難しい。
その代わりに、被災者のためのチャリティーイベントということだと、その気にもなるのではないか。
そんな機会をというわけではないのだが、3月12日から被災地への支援物資の受付と2度にわたる搬送、東松島の小学校に義援金の手渡しという形で、ごくささやかながらも直接的な支援活動をしている喫茶店の「パブリック松涛」でチャリティーパーティを開催することになった。
4月3日(日)の午後6時からで、7時半から星礼沙さん(ボーカル)と矢吹卓さん(キーボード)によるライブ演奏がある。参加費は2000円で食事つき。ただし飲み物は別料金になる。
それほど多くの人が入れる場所ではないが、チャリティーということで気軽にのぞいて見てはどうだろうか。

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義援金の行き先(11-3-28)

27日の産経新聞のヤフーニュースに、日本赤十字社の担当者などに義援金について取材した記事が掲載された。要旨は以下の通り。

---東日本大震災では25日までに、約401億円もの善意が寄せられた。通常、義援金は、被災した都道府県が設置する「義援金配分委員会」に全額渡される。委員会には市町村や日赤なども加わって分配対象や金額を検討し、被災者に行き渡るようにする。
東日本大震災で、配分委員会を立ち上げた自治体はまだない。被災の全容が分からず、配分を決められないためだ。宮城県社会福祉課は「なるべく早く被災者の元に届けたいが、公平に渡すことも重要。把握できない被害もあり、今分かっている方々だけに渡すのは難しいことも理解してほしい」という。---

義援金は支援物資に充てるのではなく、被災者にできるだけ公平に配分するものと読み取れる。無論被災者には長期間にわたる支援が必要で、急ぐこともないのかも知れないが、それを承知で義援金を出しているのだろうか。今食べ物にも困っている人たちに、少しでも多くの支援物資を送りたいという気持ちからではないのだろうか。

集められた義援金はまとめて日赤に寄付しますという団体や街頭募金も少なくないようだ。しかしその善意が被災者に伝わるのがいつのことかわからないというのはなんともさびしい。ある組織としてこれだけ寄付しましたという体面づくりに利用されそうに見えるものすらある。

目黒区は3月14日に第一便の支援物資を区内の運送業者により友好都市である気仙沼市に運搬した。その後、花などを大田市場に輸送した気仙沼のトラックが、帰り道に何か積むものがないかと目黒区に電話があり、気仙沼市の副市長との電話で急遽3月17日に目黒区医師会から気仙沼医師会に医薬品を搬送した。更に23日、同じルートで目黒区の備蓄品の搬送が行なわれている。目黒区が募金活動をしている気仙沼市への義援金はこうした形で使われるのか、復興支援として形の残るものにするのかは知らないが、いずれにしても気仙沼市の要望にもとづく目に見える支援の方が義援金を出す気にさせるのではないか。
http://www.city.meguro.tokyo.jp/area/kyo_konogoro/20110323/index.html
東京で荷物を降ろし、空のまま被災地に返るトラックがあるとすれば、なんとももったいない。「公平に渡すことも重要」というのは行政の立場。民間は渡せるところに、マンガ本でもいらなくなった玩具でも、仕分けに手間のかからない範囲で早く渡すという考え方から支援物資を贈ることを考えたい。

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パブリック松涛チームが自衛隊ヘリで!(11-3-27)

23日のこのブログでも紹介した宮城県東松島市に19日に搬送した飲料水生成装置を、気仙沼の対岸にある大島に自衛隊のヘリコプターで移すことになった。出発は26日未明。パブリック松涛に集められたさまざまな支援物資に加え、現地に米がないとのことから、25日夕方に神泉仲通の米店で精米をお願いして準備した。松涛からは車で出発し、自衛隊松島基地から気仙沼市の大島まで飛行。そのヘリコプター内部の様子がYouTubeにアップされている。

個人の支援物資を東京から直接運ぶルートはなかなかないようなので、さまざまな手持ちの提供可能なものが遠方からも宅急便でパブリック松涛に集まっていた。

支援物資を直接届けることができるのであれば、何かしたいという気持ちは誰にもあるはず。2日の土曜日にも支援に向かうかもしれないが、3日の日曜日にはチャリティー・コンサートが予定されている。支援物資は集めておけば役に立つ。マンガ本でも何でも、自分が避難所に置かれたことをイメージすると、いろいろ欲しいものが出てくるのではないか。


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ギャラリー・アースでの個展(11-3-26)

3月20日から26日まで、東大裏のギャラリー・アースで開催された個展は「~ジブンノニチジョウコウナッタ~」という題の、1000個の紙コップに絵を描いて並べたというもの。作者は女子美術大学の大学院に在籍するkakuline(カクライミサト)さんで初めてのコテンとか。

紙コップに描かれているのは空想上の動物ということだ。紙コップを画材にするということがこれまでもあったのかどうかは知らないが、学校の文化祭などで、一人一個の紙コップに絵を描き、それを並べるということも考えられる。

1000点の渋谷の絵を描いたり写真を貼ったりして、来年のshibuya1000で展示するということもありそうだ。

東大裏の神山町にあるギャラリー・アースは、新しい表現方法に挑戦する若いアーティストに発表の場を提供している。

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元気になった渋谷(11-3-25)

3月11日に帰宅難民であふれた渋谷は、その後静かな街になってしまったが、昨日あたりから元気を取り戻しているようだ。109前もセンター街も、通常とほとんど変わらないほどになっている。
こんな時期ではあるが、23日に東急本店から東急ハンズに抜ける道に寿司屋がオープンした。回転寿司でも立喰寿司でもない「すしざんまい」。24時間営業・年中無休で伝票は回転寿司と同様である。カウンター席とテーブル席のある寿司屋としては大型店。駅から東急本店まで歩いて、その少し先だから場所的には不便ではあるが、価格も手頃で居酒屋代わりに使えるような店だから、気軽に寿司を楽しむ店として人気店になりそうだ。
http://www.kiyomura.co.jp/shop/shop43_stm-01-00.html

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人出の増えた109前
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原子力発電と映画(11-3-24)

2月19日から3月11日まで、ランブリングストリートの映画館ユーロスペースで「ミツバチの羽音と地球の回転」という映画を上映していた。そして12日からは同じビルの2階にある、リニューアルで3月4日に誕生したばかりのイベントスペース、オーディトリウム渋谷で上映される予定であった。
しかし11日に大地震があり、その影響を考慮して現在上映が中止となっている。この映画は山口県上関の原子力発電所建設に向き合う祝島の人々と、スウェーデンでのエネルギーへの取り組みについて描いたもの。
これまで、原子力発電に対する批判はタブー視されていたらしい。そんな中での原子力発電批判の映画ということで話題になっていた。いずれ上映が再開されるのだろうが、偶然とはいえ驚くべきタイミングといえそうだ。予告編映像を見ることができる。


原子力発電については、NHKが制作した番組がグーグルビデオに出ている。違法流出なのかも知れないがこの時期に参考になる。
世界が情報を共有し、インターネットにより、流出映像を見ることができることになったことの影響は計り知れない。
放射性物質が東京の水道水にまで検出されると、さすがに「2度とこのような問題は起こしません」とのことがあっても聞く耳はないだろう。いずれにしても当面の電力不足は避けられないことを前提として、省エネルギーの街渋谷が実現することを期待しよう。




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東松島市での支援活動(11-3-23)

これまでこのブログでも何度か紹介してきた、パブリック松涛のチームで、3月19日に行われた東松島市での支援活動の様子を写真で紹介する。

まず宮城県庁へ。支援物資が書かれている。
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東松島市役所の倉庫に救援物資が集められ、これらを避難所に運搬する。
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小学校が避難所。パブリック松涛の中村さんが支援物資・義援金をお届け。 
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学校のプールの水が使える!
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飲料水生成装置はこんなもの。
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電気が来ないので発電機を用意した。
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飲料水ができた!
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問合せはこちらにと電話番号が書いてある。
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パブリック松涛からの報告
http://ameblo.jp/larcobaleno/

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松涛から被災地へ(11-3-22)

東日本は津波の被災者、原発による避難者、地震による道路などの損壊による物資の欠乏などの問題を抱えている。それぞれで支援のニーズが異なるのだろうが、報道はそれらを混同させるようにも感じられる。なによりも対象範囲がかつての災害で経験したことのないほど広い。だから報道の対象となっていない地域も少なくない。

他に手段がないので、とりあえず気持ちを義援金で、というのは人情かも知れない。しかしそれでは遅い、と感じている人たちもいるだろう。それが避難所への直接支援という形になった。
「パブリック松涛」に支援物資を集めての訪問活動である。そんなことはできない、というのが常識かもしれない。東北自動車道は道路が破損していて、安全とはいいがたいそうだ。だから一般の通行が禁止されている。支援物資は運送業者により、そうした幹線を通って送られている。しかし、現地に支援物資が届いていてもそれを被災者に配布することは容易でない。各避難所に向かうガソリンがなく、指揮系統から判断しかねていることもあるようだ。中には手持ちぶさたでいる人も少なくないとのこと。

そんな中で、焼け石に水のようなことかも知れないが、渋谷から避難所に直接支援物資を届ける活動をしている。もちろん通行許可を取得してのことだ。栄通りの喫茶店「パブリック松涛」でのプロジェクトだ。

支援は現金がよい、というのはほとんど常識になっているが、その現金は被災者にすぐ届くわけではない。みずほ銀行は義援金の振込みが集中してパンクしたともいわれる。直接手渡せるものであれば、メモ用紙でもボールペンでも欲しい人がいるはずだ。避難所には本があってもよいかもしれない。支援物資の制限をしているのは緊急性の高いものを輸送する必要があるためだろうし、仕分けや配布に時間のかかるものは避けたいということもある。「パブリック松涛」で実施している支援は便乗支援。メインの支援物資である飲料水生成装置を運ぶついでというものだ。

こうした活動は真似ができるはず。真似してもらえれば、それで成果があがったことにもなる。20日のエントリーで報告した第1便に続いて第2便を準備中。思わぬところから支援物資が届いている。

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渋谷のこれから(11-3-21)

3月22日に予定されていた「渋谷駅地区地区計画」素案等の意見交換会が延期となった。節電のため夜間の会場が使えないことを理由としているが、渋谷駅地区がこれからどうなるのか、その計画通りに進めることができるのか予断を許さない。
津波により福島・宮城・岩手の海岸線が壊滅的な打撃を受け、その復興が緊急の課題となっている。首都機能の分散といった日本の国の形まで変えてしまおうという考え方すらあるようだ。大型工事に対する予算配分への影響が気になるところとなる。

海外を含めた広い範囲からの街来者により成り立っているといってもよい渋谷の街が、これまでのように集客できるのか。現状の営業時間の短縮とネオンの消灯がいつ元に戻るのかの見当すらつかない。3月11日にはじまった事態の中から新しい未来が見えてくるのはいつの日になるのか。

その一方で、渋谷が元気を出さずに東京のどこで元気が出るのか、ともいえないだろうか。「暗い渋谷を見に行こう」という人たちがあってもよい。暗い渋谷も今のところは新鮮だ。

栄通りの拡幅と電柱地中化工事はこれから本格化する。見違えるような道路が1年以内にはできている。渋谷の未来への希望を担う場所がここに生まれることを楽しみにしよう。

見通しが良くなった栄通り
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被災地への民間ボランティア(11-3-20)

東日本大震災の被災地に、河川、防火用水、プールの水などを安全な飲める水に浄化する装置を提供することになった。その飲料水生成装置『アールウォーター』を被災地に届ける最初の活動が、宮城県東松島市の避難所となり、ミツイワ(株)、(社)日本ベトナムビジネスブリッジ、(株)オスモ、(株)アール免震の各社でその設置を行なう手配が行なわれた。
それに便乗する形で、喫茶店の『パブリック松涛』に持参された支援物資と義援金をオーナー自ら『アールウォーター』を運搬する車に便乗して現地に届けることになったのである。

19日(土)午前2時10分にパブリック松涛で支援物資を積み込み、東北自動車道で仙台へ。
午前8時には宮城県災害対策本部(県庁)で情報確認の後、9時に東松島市へ出発。10時30分に東松島災害対策本部(市役所)にて飲料水生成装置の設置場所を検討し、矢本東小学校のプール横への設置を決定。12時に矢本東小学校にて飲料水の生成装置設置開始。午後2時に飲料水及び生活用水供給開始。矢本東小学校への支援物資お届け。午後3時矢本第一中学校へ支援物資お届け。午後3時半に東松島市出発して午後8時30分に渋谷に帰着した。その間何と18時間20分という強行軍であった。

「民間ボランティアは政府・県レベルの公的ルートで穴があいているところ(現地避難場所)へ自分の思いで勝手に届けること。『自己責任・自己完結』を守れば、とにかく勝手に動くことだとで、早ければ早いほどよい」というのがこのプロジェクトを遂行されたミツイワ(株)の羅本さんの考えだ。

この活動はこれからも続けられ、4月3日(日)にはパブリック松涛で女性新人歌手のチャリティコンサートを行なうことになっている。

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便乗支援(11-3-18)

東日本大震災の被災地への支援金が日本赤十字に送られることが多いようだ。団体が募金をしてそれを日赤に送るというもの。それを日赤がどう配分するのは分からないが、配分作業は職員の仕事となる。こんな時期だからと職員を増やすわけにはいくまいし、アルバイトで解決できる問題ではない。派遣する救援班の管理も大変だろうから、日赤ではボランティアの受け入れをしていない。だから、被災地支援はできるだけ日赤の手をわずらわせることなく、直接することが必要なのではないか。日赤はパンク状態にあったとしても、そうとはいえないだろう。

そんな中で自主的なホームページができている。ボランティアによって立ち上げられたものだ。インターネットで被災地のニーズを支援できる人につなぐというもの。
http://www45.atwiki.jp/volunteermatome/pages/1.html
支援できる側として、渋谷区内のボランティア団体が被災者のホームステイを受け入れる活動をしている。
http://www45.atwiki.jp/volunteermatome/pages/119.html
浦安市でさえも支援を必要としていることはもっと知られなくてはならない。
http://www45.atwiki.jp/volunteermatome/pages/18.html
支援金が必要であることは間違いない。救援物資を運ぶガソリン代にも支援金が必要だろう。
しかし、直接支援できるとことを見つけ、それに少しでも時間を割くことで力になることもある。駅前などでの日赤への募金を呼びかける活動より有効なのではないか。

栄通りの喫茶店「パブリック松涛」では被災地に機械を運搬する車に、義援金と支援物資を便乗させることをやっている。日赤は個人からの支援物資はお断りだし、東京都も対象となる品目が限られる。それはニーズとの兼ね合いと同時に、管理ができないからなのだろう。しかし、便乗支援物資であれば、少量であるし、受け取った先で何らかの役に立つはずだ。
被災地支援を考えるのと同様、客足の減った近所の飲食店の支援もあってよい。

パブリック松涛に集まった救援物資
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米軍からの支援(11-3-17)

東北の被災地には米軍の航空母艦が接近し、ヘリコプターによる救援活動が行なわれている。陸上からの支援物資が届きにくい中、こうした機動力は素晴らしいし、その映像を簡単に見ることができるようになっていることも重要だ。

ボランティアによる支援についても勝手にするのは相手に迷惑という常識的な考え方と、あらゆる角度から勝手にすることも大事だとの考えがある。米軍支援は勝手にやっている部類に近いのだろう。災害対策本部の指揮命令系統とは無関係な災害対策をしないと、今回の大災害には対処できないはずだ。

新しい動きがいろいろ出てきそうであり、これまでの秩序にはこだわらない方がよいのかもしれない。

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大災害と情報共有(11-3-16)

史上最大の大災害に見舞われている。そのような中で、インターネットにより知ることのできる情報の量が、既存メディアだけによるものと比較して圧倒的に多くなっていることには注目すべきだろう。
ツイッターにはさまざまな情報源が紹介され、海外の論評などもリアルタイムで知ることができる。そうした情報源の中にあった、事故発生時に福島第1原発内にいた東電社員からの発信は、MIXIを利用していないと閲覧できないものではあるが、事故現場で奮闘する社員の姿が目に浮かぶようでもある。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1690319956&owner_id=24641205&org_id=1689991019
東京ディズニーランドのある浦安市も被災地で、浦安市がツイッターで情報発信をしている。今日のツイートにはこんなものもあった。
「浦安市では、上下水道に大きなダメージを受けたところがあり、トイレの問題が深刻になっています。便袋が必要です。全国の皆さんのご支援をお願いします。」
浦安市はかねてから心配されていた液状化現象が起こり、市内は水不足で自衛隊の船による給水も行なわれたのだ。

この災害は報道の対象となるべき被災地が多すぎ、リアルタイムでの情報はインターネットがいかんなく威力を発揮する。従来のメディアによる過去の情報は混乱するだけでもある。テレビ放送もNHKをはじめ、インターネットの動画サイトである、ニコニコ動画やUstreamで見ることができるようにもなっている。テレビ放送にコメントが流れるようになり、質問する記者の態度に対して怒りを共有するという場面もあるのだ。

茨城県も災害の深刻なことは、余り知られていないようでもあるが、インターネットでその様子が伝えられる。
http://ameblo.jp/ashitano-gakkou/entry-10829985456.html
ツイッターによる識者の解説や過去の議論、海外の論調などが次々に共有されていくと、従来のメディアの価値はソーシャル・メディアにアクセスできない人のためのようにも見えてくる。

こんな状態がいつまで続くかわからないが、日本社会が3月11日以前に戻ることは、たとえ残念ではあっても考えにくいだろう。

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気仙沼市への救援活動(11-3-15)

目黒のさんま祭りは気仙沼市からのさんまで成り立っている。目黒区のホームページによると、友好都市協定を締結している気仙沼市との連絡を取ろうと努力していたところ、13日の午前9時20分に通話ができ、菅原気仙沼市長から青木目黒区長に救援物資援助要請があった。その内容は以下の通りである。

石油ストーブ 58台
灯油(20リットル) 24個
毛布 1,400枚
大人用オムツ 5,000枚
サバイバルブランケット 1,250個
マット 200枚
アルファ米 10,600食
けんちん汁 1,500食
ビスケット 5,000食
水(500ミリリットル) 9,000本

この中で行政での調達ができなかった、旧式の石油ストーブについて、目黒区民に調達の依頼があった。駒場からも保存していそうなお宅に電話をして、2時間で2台を探し出し、目黒区役所に届けたそうだ。
そうして14日朝、4台のトラックに区職員など10名が乗りこみ出発、14日夜に気仙沼市に無事到着して救援物資を届け、15日には目黒区役所に帰還した。
救援は物よりお金、といわれることは気仙沼市から要請のあった内容を見ると明らかだ。気仙沼市では50箇所の避難所に15000人を越える市民が避難しているという。
目黒にさんまが届けられるように、という希望をもって救援活動がこれからも続けられるだろう。
目黒区では気仙沼市に対する被災募金を各住区センターで受け付けている。

14日の上記の記事は目黒区のホームページから削除され、15日の帰還後の報告がされています。
http://www.city.meguro.tokyo.jp/area/kyo_konogoro/20110315/index.html

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静かな渋谷(11-3-14)

月曜日の渋谷は遊びに来ている人がほとんど見られなかった。109も閉まっていた。こんなことがあるのかというほど。金曜から日曜の夜まで、それなりの人出はあったのだが、さすがに遊ぶ雰囲気ではなくなってしまったのだろう。フードショーも米、納豆、タマゴ、牛乳などが売り切れ、パン屋には長い行列ができていた。
原子力発電所が停止して、それをカバーすることは容易ではない。いつまで続くのか検討もつかない電力不足が続く。経済活動への影響は津波の被災地にとどまらない。営業ができなくなる商売も出てきそうだ。海外からの観光客も途絶えるだろう。
テレビには悪いニュースしかない。被害は拡大するばかり。もうこれ以上の被害がない、という時が早く来てほしい。最低それまでは渋谷の活気回復の期待はできない。

109が閉店
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スクランブル交差点も人がまばら
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空っぽの棚
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災害と報道(11-3-13)

3月11日の午後3時前に発生した地震と津波による被害については、現時点ではその全貌はほとんど分かっていないといってもよいはず。原子力発電所のニュースが、緊急性が高く発表が逐一行われているから報道がそこに集中するのは当然としても、千葉の工場火災から北海道の沿岸まで、その被害の規模と範囲の大きく知ることができる部分は限られる。米軍の空母による支援活動や自衛隊の大規模派遣などについても、その現場には報道関係者が入ることもできまい。
通常であればトップニュースになるような被害が延々とあるわけだ。新聞だと紙面が完全に不足するし、テレビもニュースばかりやっていても時間の枠があるし、放送の映像の時期がさまざまである。

電気が無くてテレビが見えない場所でも見れるよう、テレビ放送をインターネットで配信するとか、インターネットのラジオ放送radikoが聴取エリア制限解除、グーグルが人探しのための画面を開設、ツイッターで人探し、といったことが行なわれている。災害時にはインターネットを利用せざるを得ないことが明らかになった。

特にツイッターでは、リアルタイムでの情報配信、デマの可能性の指摘、海外の報道の紹介などが実現されている。YouTubeの映像にもテレビカメラが到達していないものがある。その全体像はこれから見えてくるのだろう。
2011年3月11日はメディア史上でも重要な日となろう。

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地震と防災訓練(11-3-12)

地震災害は現在も北日本の広い範囲で進行中であり、まだ反省している場合ではないかもしれない。また、福島原子力発電所の炉心溶融の懸念が最大の関心事となっている。見学に行ったこともあり、その安全性をアピールされたが、その何重もの安全システムも壊れてしまったようだ。

それでも東京での「避難」ということでは、ひとまず終わったといってもよいのだろう。そこで、日ごろから防災訓練をやっていて、それがどこまで役にたったのか、考えるのは早い方がよい。

東北の津波被害や原子力発電所からの避難と較べると東京の地震被害は過少評価されそうであるが、東京でもそれなりに被害は出ている。東京でも関東大震災以来の大地震であったことは事実。被害が軽微であったとしても、それをやりすごすような防災活動なら、何のための防災活動かということになりかねない。防災訓練で想定している被害がでないと防災機能が発揮されないというのもおかしい。

目黒区防災課では住区センターなどを帰宅困難者のために開放するという措置をとった。しかし日ごろの防災訓練の担い手である、消防団や町会防災部がどのような機能を果たしかのかが分からない。住区センターの開放は今日目黒区のホームページで知ったが、駒場高校の開放は猪瀬副知事、東大駒場キャンパスのコミュニケーションプラザについては、駒場生協がそれぞれツイッターで通知していた。目黒区は何をしたのだろうか。自主防災組織は何かできたのか。

東北地方の被災地でわれわれのやっているような防災訓練がどれだけ役立っているのか。被害が大きすぎず、小さすぎない、ほどよい災害を想定した訓練をしているというのが実態ではないのか。そのような災害が現実にあるのかどうかは分からない。

それはともかく、今回の事態でこんなことをしていればよかったのではないかということがある。
それは町会の防災部を中心に、防災倉庫を案内所とすることである。昨夜の東京は間違いなく非常事態であった。R246、山手通り、淡島通りを歩く人の数はこれまで見たこともないほど。公衆電話には10人以上の人が並び、道玄坂上交番には20人ほどが列をつくっていた。いわゆる帰宅困難者が現実のものになった。

そういう人たちのための道案内が場所によっては有効だろう。何よりも地域の人たちにテレビ以外の情報を伝える場とすることができる。今回の地震ではツイッターが電話より確実性が高いことが分かった。ツイッターでの情報を伝える場とすることができれば、心理的に助かることもあるだろう。

食器棚の扉が空き、ガラス食器がいくつか床に落ちて割れてガラスの破片が散乱した。恐怖で泣き出す若い女性の姿も見た。余震が続く中、一人暮らしで不安な人が安心できる場としても有効なのではないか。ガスが止まって復旧する作業に困らなかっただろうか。東京ガスの電話はつながらなかったという。防災倉庫にある備品も役立つかもしれない。

いずれにしても、今回の大規模災害で防災訓練が役に立ちました、という事例報告が具体的にされないと、地域防災活動に対する視線が更に冷たくなることを懸念する。

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東急本店に農家の台所(11-3-10)

東急本店に野菜売場が今朝オープンした。野菜売場は紀ノ国屋があるから間に合っています、と受け止められそうなのだが、売場を見るとコンパクトにめずらしいものが並んでいて、楽しい。大きな白いアスパラガスを見つけたのは驚きだった。缶詰はどこにでもあるが、生のものはドイツの名物料理。ドイツで最高の季節の料理と奨められて食べたことがあるが、日本ではどうなのだろう。
レンコンやサツマイモなどそれぞれ特徴があるらしいが、見た目は普通なので、見たことのないキノコや野菜に興味がいく。
肉や魚の産地ブランドもよいが、野菜の方が種類豊富。味の多様性を楽しむなら野菜で、ということにこれからなっていっておかしくない。健康管理上、肉や魚を制限される人が増えている中、野菜料理を楽しむことが増えてくるだろう。南平台にもそんな店が今月オープンする。

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飛行機と国防(11-3-9)

3月10日は東京大空襲から66年。いくら非人道的と非難しても残念ながら日本が敗戦国であるという事実は変えることができない。アメリカに対してだけでなく、中国に対してもロシアに対しても。それを忘れた国防論は現実的ではないだろうし、被爆国であると同時に敗戦国であることから先人たちは苦労してきた。だからどうすればよいのかはこれからの課題。まずはその問題と格闘してきた戦後日本の歴史を直視しなくてはなるまい。
駒場にあった航空研究所での成果は敗戦により消されてしまった。航空機の技術者は自動車産業へと転進した。日本の戦闘機ゼロ戦はよく知られているが、中攻と呼ばれた爆撃をする陸上攻撃機の存在ももっと知られて良い。戦争の映像を見て、戦争はこりごりだ、では思考停止になる。日本軍がどう戦ったのかを映像で見ることは今ではYouTubeで容易になっている。これもりっぱな教材になるだろう。
敗戦国日本が戦勝国と対等になるにはどうすればよいのか。ここ数十年は経済力であったかもしれないが、これからはそれも難しい。それこそ国家戦略なのに「政治と金」ばかりが議論されているのはなぜか。国民がクリーンな政治を求めているからなのか。
必要なことは事実を冷静に見ること。尖閣の問題にしても問題を煽るだけだったのは、報道というビジネスの宿命なのだろうか。一色正春著『何かのために sengoku38の告白』はいろいろな意味で議論のきっかけになるのかもしれない。そして、猪瀬直樹著『昭和16年夏の敗戦』も。


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渋谷区と目黒区の境界(11-3-8)

東大駒場キャンパスの北側の航研通りは、東大の北門までは両側が渋谷区なのだが、そこから三角橋までは東大側は目黒区、反対側は渋谷区となっている。山手通り、旧山手通り沿いでも目黒区か渋谷区かがわかりにくい。
もちろん、わかりにくくしたのではなく、区界とは関係なしに道路を作っただけのはず。区界が地形により決められていることが今でもわかる。今ではもとの地形から高い所を削っている可能性はあるが、それでも、よく見るとなるほどと思わせるものがあるのだ。
東大のキャンパスと農学校の敷地だった駒場4丁目が目黒区であるのは、農学校を作った時点で当時の村、同時に荏原郡と豊島郡という歴史ある境界を学校の境界としたためだろう。

グランドの右の塀が区界で外は渋谷区
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ここから歩道までが渋谷区となる
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ここは歩道までが渋谷区で建物は目黒区
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山手ラーメン(11-3-7)

東大の学生が作っているホームページにUT-Lifeというのがあるのだが、本郷キャンパスが主体のようで、駒場のホームページからはリンクが張られていない。だから実は最近まで知らなかった。そのサイトに「東大な人」というのがあって、東大の関係者とのインタビューが掲載されている。その中で目をひくのが山手ラーメンの坂田さん。東大の出身ではないのだけれど、アルバイトが全員東大生なのだそうだ。ラーメンはどこかで修行したのではなく、自己流とか。
それだけに、よくあるラーメンとはかなり違う。個性的な味なのだ。しかし、交通の便が最悪なので、客のほとんどが東大関係者だというのも納得できる。
ウリというのもおかしいが、この店はビールの箱を使った椅子で有名。知らなければ入る気にはならないような店構えなのだ。
店のホームページは、ドイツ語、2種類の中国語、フランス語、ハングル、日本語があるが、なぜか英語はない。ホームページを制作した会社は「幽玄の間」。クリエイターによるクリエイターのための人材バンクとある。のぞいて見るとなかなかおもしろい。
http://yamate-ramen.com/

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キノハウス(11-3-6)

今朝の読売新聞社説によると、昨年の日本の映画の興行収入が1955年に調査が開始されて以来最高の2207億円を記録し、映画館に入館した人の数も過去35年では最高の1億7435万人に達して日本の映画界も活気づいているとか。
そんな中で、日本初の映画専門の単科大学、日本映画大学が開校すると紹介されている。映画制作者だけではなく、映画教育の専門家を育成することも大切なことだとも。
日本映画大学は1975年4月に今村昌平が設立した「横浜放送映画専門学院」が母体となり1985年に「日本映画学校」に改称。川崎市、小田急電鉄、映画会社等の協力により、新百合丘駅前に新校舎ができた。来月4月1日に日本で始めての映画専門の単科大学として発足する。初年度入学定員は140人だ。
一方渋谷では「映画美学校」がランブリングストリートに京橋から転入してきた。ミニシアターが5スクリーンで2006年1月にオープンした「QA-Xビル」がシネマ・マルチプレックス「キノハウス」となって、そこに昨年の11月末に入居した。
映画美学校は日本映画大学のような全日制の大学ではなく夜間の専門学校。1997年にアテネ・フランセ文化センターとユーロスペースの共同プロジェクトとして設立、現在の受講生は約250人とか。映画館スペースを活用した公開イベントも予定されている。
キノハウスは一般公開の映画館と試写会会場との複合施設。作り手と観客の開かれた関係を模索するようだ。1階はカフェ・テオとなって9日にオープン。全世界から人を集め、情報発信をしていく渋谷の拠点の一つとなるのだろう。円山町から百軒店にかけての迷路とその猥雑感は、世界一のサブカルチャーの街として知られるようになる可能性も秘めている。

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サラヴァ東京(11-3-5)

サラヴァ東京」は1965年に創設されたフランスのレコードレーベル「SARAVAH」の店。ボサノバを初めてヨーロッパに紹介したそうだ。そのSARAVAが昨年末に東京で店を出した場所が渋谷クロスロードビルの地下。松涛郵便局前交差点にある1階には2月にオープンしたファミリーマートの入っているビルだ。
入り口には店の名前は出ているが、どんな店なのかは何かで知っていないとわからない。ホームページでライブのスケジュールが掲載されているので、それを見て知ることになるのだろう。
今ではめずらしくなったシャンソンのライブや、アフリカの音楽に限らず、さまざまなジャンルのアーティストが出演している。
「音楽だけでなく、いろいろな表現をする人たちが発表できて、年齢も、出身国も様々な人たちが、食べ物を楽しみや酒を酌み交わしながら語り合える「オシャレじゃない」サロン、詩の朗読もあれば、芝居も、ダンスも、お笑いも、ジャムセッションもあるような・・」ということらしい。
渋谷が若者の街というイメージを変える場所となることも期待できるし、そのビルから始まる栄通りを渋谷クロスロードという呼び名にするのも一つのアイディアかもしれない。
3月15日(火)には世界各地でアフリカの民族音楽のコンサートをしている西アフリカ・ギニア出身のBA CISSOKOが出演する。



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航空研究所から先端研まで(11-3-4)

駒場Ⅱキャンパスの正門から入り、時計台に向かって左側に銅像「航空」がある。1935年に作られた彫刻家吉田三郎の作品である。そこには斯波忠三郎の肖像レリーフと紹介文が書かれている。斯波忠三郎は1918年に発足した東京帝国大学航空研究所で1923年から32年までの期間所長を務めた人物。退職後まもなく1934年(昭和9年)10月に他界した。63歳であった。

1923年9月の関東大震災は、本郷の東京帝国大学のキャンパスをほぼ焼き尽くし、越中島に開設されていた航空研究所も同様に被災していた。そこで、本郷のキャンパスは代々木の陸軍用地に移転する方向に一旦は決まったものの、それが困難ということで本郷の敷地を拡大して復興をはかることになったらしい。
本郷キャンパスの中心部はほぼすべて加賀藩の上屋敷であったのだが、明治4年に明治政府のものとなって、前田家は懐徳館(現在の建物は1951年に再建されたもの)のある付近を自邸として保持していた。

その前田家の自邸をも東京帝国大学の敷地に統合し、代替地として駒場を提供することになった。本郷キャンパスの敷地拡大の話がはじまった1923年には前田家の当主前田利為は38歳。その時の航空研究所所長斯波忠三郎は前田家の家老家当主の立場で51歳。男爵・貴族院議員でもあったのだ。

そうした背景から、斯波忠三郎が東京帝国大学、文部省、前田家の間に立ち、航空研究所駒場移転に尽力したことが想像できる。
移転は1927年から30年にかけて行なわれ、30年1月に高松宮、31年5月に昭和天皇、32年4月に伏見宮と次々に天皇・皇族方の来臨も得るほどの立派な研究所であった。

1945年の敗戦により航空分野の研究が禁止され、1946年航空研は理工学研究所となった。1952年に航空分野の研究が再開され、1958年に航空研究所、1964年には東大の生産技術研究所の一部と航空研究所が合併して宇宙航空研究所となって空への夢がつながる。1981年に宇宙航空研究所は廃止されて、キャンパスは東京大学の工学部付属施設と、大学共同利用機関の宇宙科学研究所になった。そして先端科学技術センター(先端研)が1987年5月に設置され、1989年に宇宙科学研究所は相模原に移転した。昭和の終わりは駒場での航空宇宙分野研究の終わりでもあったようだ。

歴史が王朝ごとに記録されるように、組織の記録もそれぞれの組織ごとに残される。その土地の歴史、その敷地の歴史は部外者でしか書けないということで、これからも駒場キャンパスの歴史を見てみたい。

銅像「航空」と斯波忠三郎のレリーフ像
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駒場Ⅱキャンパス正門と時計台のある13号館
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あおげば尊し(11-3-3)

「あおげば尊し」はある時期までの日本人にとっては、卒業式のために学校で一番練習させられた歌ではないのか。愛知県教育委員会の調査によると、昨年でも愛知県の中学校303校中141校で卒業式に歌われたと、東京新聞で報じている。日本人共通の思い出の歌を代表するものともいえるだろう。
そして今年になって、「あおげば尊し」の原曲がアメリカの「Song for the close of school」であることが分かったと報道された。アメリカではまったく流行しなかった曲らしい。一方、卒業式のもう一つの定番曲であった「蛍の光」がスコットランド民謡であることはよく知られている。いずれの曲も「鬼畜米英」といっていた太平洋戦争時代の方が現在よりも愛されていたに違いない。無論著作権問題などなかったはずだ。

そこで駒場キャンパス内で師であった人たちの像を探すと見つかるのは、ドイツ人、フランス人、イギリス人の3名のみ。すべて一高が本郷・弥生にあった時代の教師で駒場には無縁と思われる人たちだ。一方でケルネル田んぼにその名を残すオスカー・ケルネル、ハチ公の飼い主でもあり、駒場で農学部の教授であった上野英三郎の胸像は本郷・弥生のキャンパスにある。こちらも本郷・弥生とは無縁なのだ。いずれも胸像を管理する組織のある場所に、その組織にゆかりのある人物の像があるものと解釈するのがよさそうだ。教養教育の師の像は教養学部に、農業教育の師の像は農学部にということになるのだろう。
日本の大学教育の師として胸像が残されているのが、駒場ではすべて外国人であり、「あおげば尊しわが師の恩」と歌った曲もアメリカ製ということでは納得しかねるとの立場もあるかもしれない。しかし、そうした事実は事実として受けいれなくてはなるまい。


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嫌煙者のためのカフェ(11-3-2)

世の中には、喫煙・非喫煙・嫌煙の3種類の人がいる。タバコを吸う人、吸わないけれど側で吸っている人を許せる人、そしてタバコを吸う人に近づきなくない人である。
最近は喫煙スペース以外禁煙とか、セルリアンタワーのオフィスのように、ビル内全面禁煙というところも増えているようだ。ビルの外で集まって喫煙している場に出会うことが多い。
そんな環境の中、飲食店は喫煙者にとっては大切な憩いの場であるかも知れない。店内禁煙というのはタバコ吸いに来る客を排除するわけだから、なかなか表には出しにくいだろう。
そのためか、喫煙席を設けている店はあっても、全面禁煙というのは意外に少ない。スターバックスのように禁煙で有名な店はともかく、そうでないとなかなか分かりにくい。しかし、これからは入り口に標準の禁煙マークがでるようになると助かる人も多いはずだ。
そんな嫌煙者のための店が「パブリック松涛」。午後3時からの営業で夜11時まで。基本はあくまでも一杯400円のコーヒーか200円のエスプレッソ。食事はその時の事情で、食べられるかどうかはわからない。でもワインやビールなら飲める。おつまみはいいものがたまたまあるかもしれないが、これも保証はない。
この映像のような場面に出くわすことがあっても、中に入れるし、カウンターでコーヒーを飲んでチャージがかかるわけではない。こんな店はなかなかない。
すぐ側にはメキシカンの料理をスタンディングで食べる店もあるから、そちらで腹ごしらえをするという手もある。いずれにしても、嫌煙者の方は覚えておくとよい店だ。場所は松涛2丁目交差点からBunkamuraに向かう道の左側にある。

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渋谷区議会傍聴(11-3-1)

渋谷区議会を何年ぶりかで傍聴した。議長席から傍聴席の距離が短く、議員全員の後姿が見えるのもすごい。といっても目黒区議会との比較。
いうまでもなく区議会は区政についての議員と区長とのやりとりなのだが、区としての約束の場だから一言一句重要である。記者席には一人いたけれど、国会とは当然扱いが違う。メディアも商売だから区議会など相手にしていられないのはわかる。
地域メディアを標榜するからには頻繁に取材しなくてはならないとしても、区政だけを扱ってもだめだろう。時間に余裕のある人がツイッターで傍聴記を書くようになるとよい。
国会の政局を楽しむ暇があったら、区議会を傍聴した方がよいという考えを改めて強固にする。
それはともかく、渋谷ヒカリエに防災センターができるという話は知らなかった。情報機器を使っての被災時対応を予定しているとか。また、区外秘にしたいだろうけれど、保育所の待機を2年でゼロにする計画とのこと。
渋谷区の地場産業はファッション、IT、伝統芸能、情報メディアということで、それらを街づくりと連動させて進めたいと区長答弁もあった。
中でも具体的だったのはハチ公バス「丘を越えてルート」の増便・時間延長についての質問。まだ始まったばかりということで、利用状況を見て検討するとの答弁であった。議場からは他のルートが終わってからとの独り言も聞こえた。帰り道に東急百貨店本店前の停留所にちょうどハチ公バスが来たので乗ろうとしたが、満員だったので見送った。
渋谷区にはいろいろなエリアがあり、いうまでもなく優先順位の問題がある。主張すべきところは主張することは必要なのだろう。

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