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渋谷とハチ公(10-12-8)

渋谷といえばハチ公といわれる程その名は知られている。ハチ公バスというのもあり、渋谷のシンボルとなっている。しかし、そこまで有名になったことには数々の幸運が重なった。渋谷駅が舞台だったこともその一つ。
ハチ公が世に知られるようになったのは昭和7年(1932年)10月14日の東京朝日新聞の記事からだ。日本犬保存会の斎藤弘吉が投稿したものが「いとしや老犬物語-今は世になき主人の帰りを待ち兼ねる7年間」との見出しで掲載された。斎藤弘吉は1928年に日本犬保存会を立ち上げ、その会長となっていたが、調査していた秋田犬のハチが渋谷駅でいじめられているのを見かねて、渋谷駅に亡くなった主人を迎えにいく犬として紹介した。これを機に日ごろから見慣れていた駅員や売店人たちが可愛がるようになったというわけだ。そうしてハチがハチ公と呼ばれるようになった。
おりしも渋谷は10月1日に東京市に編入されて渋谷区になったばかりのとき。それまでは豊玉郡渋谷町で、東京府の郡部にあたっていた。東横百貨店は2年後の11月の開店だからちょうど工事中だったのだろう。テレビのなかった時代、そんな渋谷駅に朝日新聞が取材に来るということだけでも地元では大変なことだったはず。
翌年、東京美術学校出身で斎藤弘吉の友人であった彫塑家の安藤照が銅像を作りたいと申し出、1934年1月から募金活動がはじまり、同年4月21日には完成して除幕式が行われている。美術作品としても価値があるようだ。同じ年の11月には東横百貨店が開店し、その前触れともなったのだろうか。
こうした動きが、東京市のはずれでしかなかった渋谷の知名度アップに貢献したことは確かだろう。また、渋谷区が誕生したばかりで、東横百貨店という話題の店ができたことにも相乗効果があったはずだ。
更に日中戦争のはじまった1937年(昭和12年)には尋常小学校2年の修身の教科書に「恩ヲ忘レルナ」ということで掲載され、日本中の現在72歳から80歳までの人たちの記憶に忠犬ハチ公として残すことになる。
ハチ公物語という映画が1987年に公開され、現在でも子ども向けの本が出ているのは、それだけ純粋に魅力ある物語だからなのだろう。








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