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渋谷の坂の上の街(10-12-12)

渋谷百軒店は現在道玄坂2丁目の町名になっているが、50年ほど前まで円山町という町名で、ランブリングストリートの反対側の円山町と一体であった。道玄坂、文化村通り、道玄坂小路、神泉駅から坂や階段を上がったところは丘を整地したような平坦な土地になっている。100年以上も昔に荒木山と呼ばれていたところが整地されて現在の姿になったのだろう。その中で、百軒店は1912年に計画的に名店街として整備された歓楽街となったのだが、その周辺は道玄坂上に置屋をとりまとめる検番をもつ料理屋、置屋、待合の三業地であった。置屋は芸者の管理事務所で、待合は料理を外から取る寝具付きのお座敷。遊郭とか花町ともいわれたようだ。
そんな場所だから、坂の上の街はもとより、三業通りとも検番通りとも呼ばれた神泉仲通ですら、表通りの住民には通りづらかったように聞く。表通りとは隔絶されたような雰囲気となっているのだ。土地の利用効率という意味ではもったいない、ということになるのだろうが、ラブホテルに囲まれて小さな個人営業の飲食店が静かに営業している百軒店と円山町。そんな入りにくさが逆に魅力ともなるはずだ。異性と二人連れで歩くことには抵抗のある場所ではあるが、そこを多くの人が普通に利用することで店が繁盛すれば、その街の魅力が拡大することになるのではないか。
東京の現在の主要花街は新橋、赤坂、神楽坂、芳町、向島、浅草なのだそうだ。いずれも江戸時代からの歴史をもつ。円山町は明治期からの新興花街ではあったのだが、歴史を誇る花街がいずれもその痕跡をわずかにしかとどめなくなっているときに、ラブホテルという待合の現代版が60軒近くもあるこの街を、文化遺産として評価する考え方もあるのかもしれない。
性風俗には悪のイメージがつきまとう。悪所ということばもあるほどだ。しかし人類最古のビジネスとも言われるものを完全に否定してしまうことにも無理がある。道玄坂上交番からBunkamuraに抜ける道幅が狭くて歩きにくい道の周辺を再開発することも検討されているが、その構想がどこまで実現可能なのかは知らない。いずれにしても、そんな話題で盛り上がる場所が渋谷駅のすぐそばにあることはもっと多くの人に知って欲しい。
『円山・花町・母の町』(1973年)という歌がヒットしたのは随分昔になるが。


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