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東大前というバス停(10-11-16)

山手通りに東大前というバス停がある。一つ先には東大裏というバス停もある。東大裏のバス停はキャンパスが見えるし、裏門があるからその名の通りなのだが、東大前のバス停が何故東大前なのかを知る人は少ない。
文化村通りと栄通りはその昔、といっても70年以上も昔のことになろうが、農大通りと呼ばれていたそうだ。補助60号線と呼ぶのが正式らしいがそれではなんとも味気ない。いずれにせよ、そこをバスが渋谷駅から東北沢方面に走っていた。山手通りも旧山手通りもなかった時代だ。旧山手通りができたのは古い地図で見ると、1932年から1937年の間らしいことがわかる。駒場キャンパスを東大と呼ぶようになったのは旧制第一高等学校がなくなった昭和25年以降のことで、一高の前は東京帝国大学農学部(1917年~1935年)、その前は東京帝国大学農科大学(1890年~1917年)だった。農大通りというのは農科大学の時代にそう呼ばれていたものと推測できる。
現在の東大前のバス停は、農大通りと呼ばれていた栄通りをバスが走っていたころにそう名づけられたはずだ。栄通りが東大の敷地にぶつかって右折し、三田用水に沿って東北沢に向かう道があった。右折するところに農大の門があり、その痕跡は数年前まで残っていたのだが、現在はそれも撤去されて痕跡がなくなった。
帝国大学の時代は東大ではなく帝大と呼んでいたはずだから、農大前とか帝大前というのが当初のバス停の名前だったはず。一高になってからは一高前だったのかもしれない。東大になった時には、それが既に東大前とはいえない状態であったろうに、機械的に改称されたのだろう。
栄通りを走るようになったハチ公バスの停留所名に松涛美術館入口というのがあるけれど、まぎらわしいのでもっと近くに移すか、停留所名を改称するかをした方がよいのではないかとのもっともな意見がある。ならば東大前の方がもっと不適切ではなかろうか。
なお、昔の農科大学の地図は以下で見ることができる。
http://www.a.u-tokyo.ac.jp/history/images/noukadaigaku-m29.jpg

101116


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松涛・神山町・神泉町」カテゴリの記事

コメント

はじめまして。ちまといいます。

その農大の門の痕跡。撤去されたことを残念に思っています。

で、その痕跡の位置から東大に向けての道路。今は舗装され、歩道も整備されていますが、25年ほど前は舗装もない狭い道で、道沿いに東大の官舎が立ち並んでいました。

なので、「東大前」というバス停の名称はそんなにもおかしくなかったと思います。

その後、東大の官舎は取り壊され、官舎跡地の一部は首都高によって中央環状新宿線の代替地用地として買収され、代替地として提供されなかった残地は一般向けに処分されたようです。

投稿: | 2010年11月17日 (水) 08時38分

ちま様

貴重な情報をありがとうございます。25年前のこと存じませんでした。
考えてみれば、東大前というバス停の名前、都立大学や学芸大学の駅名のあることを考えると、歴史を残すという意味で価値あることなのかもしれませんね。

投稿: 管理人 | 2010年11月17日 (水) 08時53分

ちまです。

「都立大学」駅。

東横線が高架でなく、まだ地上を走ってた頃、「府立高校前」といったような駅名だったよう
です。

投稿: | 2010年11月18日 (木) 01時37分

ちま様
府立高校駅が都立高校駅になり、1952年に都立大学駅になったようです。今は都立大学が首都大学東京となって引越してしまいましたが、駅名を変えることのディメリットの方が多すぎるのでしょう。同様に学芸大学駅も碑文谷駅、青山師範駅、第一師範駅となって1952年から60年近く学芸大学ですね。

投稿: 管理人 | 2010年11月18日 (木) 07時55分

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