月の暦と江戸文化(10-10-21)
江戸の良さを見なおす会の10月例会は「月と太陽の暦制作室」の志賀勝さんに月の暦についてのお話をいただいた。場所はいつものとおり大坂上のハニーズカフェ。
明治になるまでの旧暦は月の姿を反映しているものであることは知ってはいたが、一日(ついたち)は月が立つの「つきたち」である、三日月が3日目の月であり信仰の対象になっていた、上弦・下弦の話、廿日余りの月の頃光源氏が女性のもとに出向いたわけ、などなど、興味深いお話にあっという間に1時間半が経過した。その後も食事をしながらの懇談となり、月と民俗の話に盛り上がったのである。初日の出を拝むのは月の影があってこそ意味があり、西暦での年賀状はおかしいといった話もあった。
江戸幕府を否定し、文明開化と脱亜入欧・富国強兵の中で日本の良さが失われたものも少なくない。近代俳句の祖といわれる正岡子規も月を数多く詠んでいるが「韓に見よ日本に出る今日の月」「船沈みてあら波月を砕くかな」「月昇る大仏殿の足場かな」「名月や笛になるべき竹伐らん」と、いかにも坂の上の雲の主人公の一人という感じになる。「月の出を斯う見よと坊は建てたらん」となると科学的ともいうべきか。
江戸の良さを見なおすことは月の良さを見なおすことにも通じる。月の暦を忘れてしまうことは日本人の歴史を忘れることにもつながりかねないともいえそうだ。
江戸末期の女流歌人秋園古香が長月十三夜について詠んだ歌を「やまとうた」というサイトでこう紹介している。http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/saijiki/13ya.html
<安政五年(1858)六月、幕府は米国と修好通商条約を締結し、同年秋にはオランダ・英国・フランスと次々に条約を結んだ。詞書の「異国にものおくる事はじまりける」はそのことを指す。長く鎖国が続いていた当時にあって、国の産物を海を越えてやり取りすること自体人々の想像に余ることであったが、「なぜ自国にあるもので満足しないのか」との思いを、十三夜の月に託して詠んでいるのである。作者は当時の政治状況に敏感に反応し、国の行く末を憂える歌を少なからず残している。>
と解説された歌は:「長月の 今宵の月の 影みれば 足らでもことは 足る世なりけり」
経済成長戦略が必要であるとしても、高度成長を期待しづらくなっている今日、こんな江戸のやせ我慢文化に学ぶことも多いのではないか。
幸い、11月21日に開館する渋谷区の文化総合センター大和田には12階にプラネタリウムがあり、屋上には天体観望スペースも設けられるようだ。天体というとややもすると「はやぶさ」のような科学的探索に関心が集まりがちだが、歴史を踏まえた文学的な側面も注目されることも必要だろう。そんな場にもなることを期待したい。
なお、10月26日(火)にも江戸の良さを見なおす会夜の部の会が松涛美術館に近い「パブリック松涛」で開催される。
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