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渋谷区と目黒区の境界(9月24日)

渋谷区と目黒区の境界は遠く7世紀にまで遡るようだ。武蔵国には21郡があったとの記録があり、渋谷区と目黒区の境界は豊島郡と荏原郡との境界にあたる。渋谷区は豊島郡で目黒区は荏原郡であった。その境界は渋谷川と目黒川を谷間としてその間にある尾根筋にあたる。つまり分水嶺となっていたわけで、水利権ということからも、自然な境界であったのだろう。現在の建物をなくしてこの地域をイメージするとその境界が目に浮かんでくるようだ。
現在では山手通りや旧山手通りを区界にした方が便利だろうし、駒場など246の北側は渋谷区にした方自然ということもあるかも知れない。駒場を目黒区と理解している東京都民は半分もいないのではないか。しかし住民感情としてはこれまで別の地域と思っていたところと一緒になるということはできないだろう。1960年代後半には大山町が松涛2丁目になり、上通りが道玄坂になったりするという住居表示の変更があったが、現在ではそうしたことに対する抵抗は強いのではなかろうか。
渋谷区と目黒区の境界で特にわかりにくいのが、松涛2丁目と駒場3丁目の境界だ。東大の敷地だったところが駒場で、その外側が渋谷区であったと推測できる。徳川時代から幕府の御用地であったのは目黒区側で、渋谷区側はそうではなかったと見られるからだ。幕府の御用地が駒場農学校となり、東大農学部となったわけだ。
1945年5月の空襲でこのあたり一帯が焼け野原になった後に家屋が建てられ、区界が住宅の中にあるような状態になった。このブログへのコメントで道路の中に電柱があることを教えていただいたが、見慣れた場所なのに意識をしていなかった。確かにおかしい。恐らくもともと電柱があったところの道路を拡張し、電柱を移設する場所がなかったことによるのではないかと推測する。土地の歴史には興味深いものがある。

松涛から駒場方向
100924_1

駒場から松涛方向
100924_2

右が松涛、左が駒場、突き当たりは東大
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右が駒場、左が松涛
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