ビジネス街を指向する渋谷(9月13日)
渋谷の歴史は1945年5月の山手空襲によって一面の焼け野原になったときからということでよいのだろう。1946年から1964年までの18年間は焼け跡からの復興と、道路の拡張や路面電車から自動車交通への転換が始まった時代である。今ではその痕跡を見つけることが難しいものの街の基層はこの時代にできた。この時代を記憶している人はまだ健在だが、知らない人の方が多い。東急沿線の買い物の街だった時代だ。
1965年から1989年までの24年間は東急本店や公園通りの西武やパルコができたりして、大型商業施設で繁栄の時代といってよい。東京圏の若い人たちのショッピングの街であったが、これも遠い過去となっている。
1990年から2010年までの20年間が現在もたれているイメージでもある若者の街。全国から集まるようだ。大人が敬遠する街との印象もある。しかし、それがいつまでも続くわけでもないことは過去を思えば見えてくる。
2011年からは既に109付近で圧倒的に目立つ観光客と共に、現在工事中の大型オフィスビルの完成により、ビジネス関係者の比率が増えるようになってくるのではないか。2012年に竣工する34階建てのヒカリエのオフィスが18フロアー、南平台のビルは22階建てだが3階から20フロアーがオフィスで、数百人規模の人を集めるイベントホールが1階と、地下1階に2箇所できるようだ。ヒカリエがショッピングや劇場の利用者があり、飲食街もあるのに対して、南平台はビジネス関係者だけのビルとなる。2012年以降にオフィスビルの需要がどれほどあるかは分からないにせよ、古くなったビルの立替は活発化するはずだ。マークシティから南平台にかけて、国際的なビジネス街に変容していくと考えてもよさそうだ。国際的というのは南平台には経済的力のあるマレーシアやアラブ首長国連邦の大使館があり、このあたりのビルに投資する可能性もありとしてのことだ。
姿を見せ始めた22階建ての南平台のビル
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