中川伯爵邸の痕跡(4月16日)
「私たちは子供の頃、道玄坂の途中右側に、幅1間(約1.8メートル)の私道を15間(約27メートル)も奥に引いて、そこに武家屋敷ふうに門を構えた中川伯爵邸のあったことを覚えている」と『大正・昭和道玄坂』(1978年)にある。
中川伯爵とは豊後の岡藩主だった7万石大名中川家の当主であり、現在は菅刈公園、西郷山公園となっている場所を別邸として所有していた。それが、1869年の版籍奉還、71年の廃藩置県の後、廃城令により1872年までに岡城が破壊され、岡藩領は大分県に吸収されてしまう。その後、西郷山と呼ばれるようになった約6ヘクタールの別邸を1874年に西郷従道に売却し、江戸藩邸の上屋敷、下屋敷も失って、現在は百軒店になっている1ヘクタールほどの土地に移り住んだのだろう。西郷従道は西郷隆盛の弟であるが、その父吉兵衛は41石の鹿児島城下士であった。維新後わずか7年の間に41石の城下士の子として生まれた31歳の若者に7万石大名の屋敷を売り渡すことになったのだ。明治維新で活躍した人がいる一方で、先祖代々の資産を失った人たちも少なくないわけだが、その物語は語られない。
それから50年後の1923年には、西武グループの祖で当時34歳だった滋賀県の農家長男の堤康次郎が皇族・華族の土地を買いあさる活動をはじめる。その対象の一つに中川伯爵邸も選ばれたのだろう。その土地は堤の会社の分譲地となった。
それから百軒店の歴史が始まるのだが、百軒店と西郷山とが中川家という共通の歴史をもつことはほとんど意識されてはいないようだ。道玄坂との境界の切通し上の道は、上記の15間奥にあった幅1間の私道だったのではないかと思われるわずかな痕跡である。
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コメント
初めまして、たまにで申し訳ないですが
拝見しています。
百軒店奥の千代田稲荷神社の隣にある「中川稲荷大明神」は中川伯爵を祀っているのですかネ…?
投稿: 渋谷カイト | 2010年4月17日 (土) 10時15分
中川稲荷の由緒は確認して、改めて書くことにします。神社の総代の中川さんが中川伯爵とは無関係であることは確認しているのですが。。。
投稿: 管理人 | 2010年4月17日 (土) 16時25分