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Bunkamuraと円山町(4月7日)

Bunkamuraは文化村とは書かない。文化村通りという表記はあるが、Bunkamuraそのものを文化村としないのは、商標上の問題からだろうか。平成元年にできたこの大型文化施設は今年の9月から22年目に入る。東急本店通りが文化村通りに改められ、1998年にはブックファーストの大型店が東急本店前にできたが2007年にわずか9年の営業をもって閉店し、そのビルも壊されて、跡地にはH&Mの入るビルができた。文化村通りが今のようになることをその名がつけられた時点で想定していたのかどうかは分からない。
現在工事中で2012年春に渋谷駅東口側に完成する地上34階建てのビルに東急百貨店が入居する予定になっている。そのビルには約2000席とオーチャードホール並の規模のミュージカルを中心とする劇場も開設される。東急本店を東横店と一体化して入居させることも選択肢の中にあるかもしれない。
Bunkamuraと道玄坂上から渋谷マークシティへのつなぐ道はランブリングストリートと呼ばれ、若いミュージシャンの演奏会が開かれるライブスペースが10以上、5スクリーンのシネマコンプレックスもある。しかしながら、道路が狭くちっと入りにくいような雰囲気から回遊性に乏しく、通る人は限られる。
Bunkamuraとマークシティの道玄坂上の出口がつながれば、渋谷の魅力が圧倒的に高まることは間違いなく、そのための構想が練られ、その実現に向けての地権者との勉強会が平成18年度というから、もう4年も行なわれていることになる。今年度は「まちづくり専門家派遣事業勉強会」として継続される。
渋谷の街は1920年から1990年までの70年の間は、どの20年を切り取っても街の姿を大きく変えていった。しかし1990年からの20年は、丸の内、六本木、新宿、新橋、品川、浅草といった他の地区と較べると、相対的に停滞しているといわざるを得ない。
円山まちづくり勉強会でのイメージ映像は、地権者の方々の理解と協力を得るためのものとはいえ、こんな街ができたらその経済効果は計り知れない。Bunkamuraのイメージが建物から外に拡がっていくことができるかどうかがカギだ。

http://sites.google.com/site/maruyamacho/home-2

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