店から見世へ(9月24日)
買い物が不便と思うのはそれだけ選択の範囲が広がっていることにもよる。欲しいものをできるだけ安く買いたいという要求に対し、どこにいけば買えるという知識があると、それが近所で買えないと欲求不満となるのはやむをえないのだろう。外食でも近所でうまいものが食えないと嘆くこともある。
これまでは、そうしたニーズに対応するように新しい店ができてきたとかもしれない。コンビニができたり100円ショップができたりしてきた。
しかし、これからはそうはいかないだろう。たとえば、食料品は食品スーパーでなければ配達してくれるインターネットでということになりつつあり、従来からの店での売り上げ増が期待できないばかりか、コンビニですらこれ以上店はいらないという状態になっている。だから買い物が不便だというような不満が解決されることはもうない。多少遠くても気に入った売り場にいくか、商品の選択範囲をあきらめるしかない。東京であればちょっと足を伸ばせばその選択肢は多分世界一といってよいのだから贅沢はいえない。
そんなわけでここ数年は小規模な店で新規開店というと物販ではなく、ほとんどが飲食店ということになっていた。このあたりでも、この半年で10件近くの飲食店が開店したり入れ替わったりしている。
それでもこれまでのような飲食店では客集めはむずかしくなりそうだ。これまで飲食店で提供されていた料理を宅配で提供するサービスが増えている。宅配ピザはその典型だし、寿司も飲食店の寿司屋から出前を取るのではなく、茶月などの宅配専門チェーンに注文することの方が多いはず。喫茶店への需要は自動販売機の缶コーヒーなどに置き換わったのかもしれない。食品スーパーですらワイン、日本酒、焼酎で多くの銘柄を揃え自宅での飲酒に誘う。
そもそも飲食店は社交の場であった。社用での接待や、仕事帰りに一杯という需要に対応した店が多かったが、それも世代交代により飲食店の利用方法が変わっている。だから飲食を楽しむ場である以上に、社交の場であるという原点をはずさず、新しいニーズに対応した店づくりが必要になる。そのヒントが世の中を見る場ということで「見世」ということばにつながる。いうまでもなく浅草は仲見世がその中心にある。
飲食のみならず、物販にしても世の中の様子を見るという楽しみがない店に魅力は乏しいかろう。店から見世へ、時代は大きく変わりそうだ。「墨東まち見世2009」というイベントがその先がけのようにも見えてくる。
http://machimise.net/index.html
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