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空蝉-うつせみ(8月18日)

せみしぐれの日々、空蝉や瀕死のセミの姿を近くで見ることが多い。セミの脱け殻は美しい姿とはいいがたいものの、それが古典文学で扱われると洗練されたものに感じられる。
「空蝉の 身をかへてける 木のもとに なほ人がらの なつかしきかな」(光源氏)
(セミが脱け殻を残して姿を変え、去ってしまった後の木の下で、もぬけの殻の衣を残していったあの人の気配をやはり懐かしく思っている。)
「空蝉の 羽におく露の 木がくれて しのびしのびに ぬるる袖かな」(空蝉)
(空蝉の羽に置く露のように、木陰に隠れて、人目を忍んでは、涙に濡れるわが袖よ)
源氏物語空蝉の巻の講義でこの歌を紹介する先生は、本物の空蝉の標本を見せるような無粋なことはしないだろうが、こんな昆虫の抜け殻でも女性の名前の代わりにしてしまうのは自然の中で生活する時代の故か。今その姿に光源氏が愛した女性を思い浮かべるためにはそれなりの心の準備が必要のようだ。
いずれにしても今はセミの季節。朝の散歩がてらに駒場で空蝉をさがしてみてはいかがだろう。


090818

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