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町会の将来(2月19日)

「町会はGHQにつぶされた。何故か。兵隊を送り出す仕組みが町会にあったとみなされたからだ」とある町会長が学生たちに説明をしていたことがある。かつて町会は町内会と呼ばれていた。1940年には内務省通達により、市町村行政の下請け機関として整備された町内会の下部組織として隣組が組織された。1942年7月、組織は大政翼賛会の指導下に置かれることになって地域社会の戦時体制が徹底された。それと同時に疎開が始まる。
1942年4月18日に東京で始めての空襲があってから45年の8月15日まで、米軍機という共通の敵と命がけで戦う組織が町内会なのであった。また食料の配給などで、生活そのものの基盤が町内会の中にあった。
町内会はGHQの指令により1947年5月3日に廃止され、その後1952年10月25日に禁止が解かれ、町会や自治会として復活する。しかし、戦時体制の記憶を持つ人には、町会に対する抵抗感を持つ人と、戦時体制の考え方を常識のように見なす人たちとに分かれたのかもしれない。そこで住民会議という新しい体制が町内会に変わるものとして、これも行政により組織された。いずれにせよ、地域社会の中で5年半の空白の後の町会組織が、大政翼賛会の末端組織としての性格を払拭しきれなかった面もあるだろう。その後の高度成長を支えた経済体制は、基本的に戦時総力戦体制の継続であった、との見方もあり、補助金や交付税をもたらした1940年体制は、地域社会についてもあてはまるのかも知れない。
しかし今、時代は大きく変わっている。戦時体制を小学生の時代に記憶している人は70歳を超えている。目黒区では人口の13.6%だ。国技の両横綱ですら外国人になり、プロ野球選手がアメリカを活動の舞台とすることを目標にするといった事実は、今後の日本社会の国際化に疑問を挟む余地はない。目黒区の外国人登録者数は8千人と人口の3%にもなっている。
その一方で地域社会の重要性も増している。そうした中、町会が将来どうなるのかということは、一人一人の住民がその地域に即して考えていくしかない。それを税金でやってほしいなどということは、主体性を放棄するものでしかないものの、そんな無意識の期待をもってはいないだろうか。

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