明治時代の浮世絵(2月1日)
三鷹の国際基督教大学で『帰ってきた浮世絵 CHIKANOBU』と題する特別展を3月19日まで開催している。天保9年(1838年)に生まれ、大正元年(1912年)に没した楊洲周延(ようしゅう・ちかのぶ)が描いた浮世絵で、アメリカのスクリップス大学(カリフォルニア州)のコレクションからそこでの展示レイアウトをほぼ再現したものだ。アメリカでは2006年から6つの大学を巡回していて、それがニューヨークの日本基督教財団の協力によりこのたび日本でも実現したという。
浮世絵はもともと庶民のための安価なもので、日本では芸術としての評価はされていなかったのだが、幕末から明治にかけて海外に流出したことにより、海外での研究が盛んになった。ヨーロッパ絵画に大きな影響を与えたことはよく知られている。
日本人も浮世絵に芸術的な価値があると知ったのは、浮世絵がもはや作られなくなっていた1910年に、ドイツ人ユリウス・クルトが写楽に関する著書を出版してからなのだそうだ。それも欧米の初期の研究者がその価値を認めた春信、清長、歌麿、写楽、北斎、広重の6人の作品に価値があるとしたため、日本でも単純にその評価に従ったままの状態であった。その後1987年頃から西欧で明治期の浮世絵の研究も発表されるようになっているそうだが、まだ研究の手付かずになっている作家が多いという。
楊洲周延は上越高田生まれの武士橋本直義で、戊辰戦争で幕府方につき、函館戦争での降伏の後、浮世絵師としての活動をはじめたとされる。
国際基督教大学での展覧会は3月19日まで行われているが、並行して浮世絵の美術館である原宿の太田記念美術館でも、3月1日から所蔵のコレクションにより『生誕170年記念楊洲周延展』が開催されることになっている。
そんな中で、2月2日から28日まで、大坂上のハニーズカフェでも『江戸の良さを見直す会』のコレクションによる楊洲周延の作品の中から9点を展示する。スクリップス大学のコレクションとは違い、大奥の光景を描いた作品は気品も漂うもので、また、江戸時代の花魁を描いた美人画とは異なる雰囲気のものである。
今年は明治時代の浮世絵に関心が高まることになるのかもしれない。
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