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駒場の50年(2月13日)

大橋図書館4階の一番奥に、目黒区の資料を並べた書棚がある。そこには『駒場の50年』と書かれた厚さが2センチもありそうな立派な本が置かれている。駒場の歴史がこんなに詳しく書かれているのか、と期待して手にとって見ると内容は東大教養学部の50年史。しかも学部の組織の変遷が主体のようなので、なあんだ、と失望してさっさと書棚に戻したことがある。
しかし今回は、東大前商店街が活気を失うきっかけとなったともいわれる東大紛争について調べてみようと、巻末にある年表から関係ある箇所を拾ってみた。
東大紛争は1967年1月から3月までの医学部ストに始まった。翌68年1月の医学部の無期限ストから7月には駒場の教養学部もストに入り、10月に法学部が無期限ストに突入したことで全学ストに突入した。明けて69年1月18日から19日にかけての、世に言う安田講堂攻防戦を経て事態は収束に向かう。3月4日には駒場キャンパスにも機動隊が導入され、学生41名が逮捕されている。
東大紛争が終わった後も、駒場キャンパスでの紛争は続く。1971年11月の沖縄返還協定批准反対のストとそこでの混乱収集のため、11月19日に駒場に機動隊が導入された。74年1月24日には内ゲバにより教養学部学生2名が死亡、75年10月27日駒場の構内で学部学生1名が内ゲバにより死亡、76年6月6日駒場寮内での内ゲバで1名が負傷、77年12月9日構内で学部学生1名死亡1名重傷といった事件が続いている。80年代の記録では、82年と87年に学生自治会によるストがあった程度で駒場キャンパスに平和が回復しているようだが、96年には駒場寮の廃寮をめぐっての紛争が起こり、4月3日には寮周辺で不審火も出た。また6月14日には駒場寮廃寮反対全国集会が開催されている。98年には旧駒場寮食堂建物で火災が発生し、2001年8月22日の旧駒場寮明け渡し強制執行をもって紛争の歴史はようやく終わったともいえそうだ。『駒場の50年』の年表がその強制執行の記載を最後としていることが象徴的だ。
1968年以来2001年までの33年もの長期の間、混乱を引き起こす外部からの侵入者を防ぐために駒場キャンパスは閉ざされていたともいえる。数々の事件の舞台ともなった駒場寮が完全に閉鎖されてから7年半が経過した。外部の利用者を歓迎するレストランのルヴェソンベールが開店したのが2004年。駒場寮の跡地には2006年にコミュニケーションプラザが完成し、今年は駒場池も整備されて、駒場キャンパスには新しい風が吹き始めているといえそうだ。
「なつかしい、しかしそれ以上に忌まわしい、そういう矛盾した感情を東大紛争に真剣にかかわった教師ほどもっているようである」と、東大新聞研究所所長をされ、後に東久留米市長にもなった故稲葉三千男氏が1984年に書いている(『決定版昭和史第16巻』)。駒場キャンパスで、外部からの出入りを規制することを余儀なくされた33年の歴史が書かれることが、何年か後にはあるのだろうか。

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