渋谷は闇市から(2月8日)
1945年5月24日と25日の空襲により渋谷の街は焼き払われた。東京大空襲の3月10日にだけ空襲があったわけではなく、1944年の11月から45年の8月15日まで、東京は頻繁に米軍の空襲を受けていたのだが、渋谷一帯は5月24日と25日の両日焼夷弾の爆撃があった。25日に来襲したB-29爆撃機の数は470機と記録されている。
8月15日に戦争は終り、米軍の第一陣が厚木飛行場に上陸したのは8月28日。それに先立つ8月20日には新宿に早くも闇市が出現した。闇市が盛んだったのは、新宿の他は渋谷、新橋、上野、銀座、池袋で、これらの街が東京の繁華街の始まりだった。買い物、飲食の場が、それらの闇市しかなかった時代が何年か続く。パチンコ屋もこの闇市から生まれている。
その闇市に更に先立つ8月18日には「外国軍駐屯地における慰安施設設置に関する内務省警保局長通牒」が発令され、27日には「特殊慰安施設」が大森で開業したそうだ。円山町もそうした慰安施設の場所の一つとして指定されたのだろう。
東京湾内に来たミズーリ号上での調印式は9月2日。それまでのわずか半月の日々は、現在75歳以上の人たちの記憶に鮮やかなものがあるようだ。その人たちの記憶を記録していくことにする。
写真の三叉路は現在の109前交差点
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