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2009年2月

第4回ひゃっけんだな祭り(2月28日)

2003年12月に百軒店商店会が主催する第1回の百軒店祭りが開催され、2004年12月、2006年3月と続いて行われてきたが、今回は、1年以上の準備期間を経て、「ひゃっけんだな祭り」として開催されることになった。企画制作は学生ボランティアの「渋谷百軒店かくれまちプロジェクト」が担当する。期間は3月14日(土)から22日(日)まで。会場は道玄坂、あるいはランブリングストリートの途中からそれぞれ坂を上がったところにある百軒店商店街の千代田稲荷神社と商店街の協力店舗だ。街の入り口にはちょっと入り難い不思議な雰囲気が漂うかくれた街なので、「かくれまちプロジェクト」となったのだろうか。
商店会のイベントとして、百軒店の古写真や古地図、トイカメラで撮影した現在の渋谷の写真を千代田稲荷神社社務所や商店会会員店舗でまつりの期間を通しての展示がある。それに加えて、木遣り・平安朝雅楽・山伏神楽などの千代田稲荷神社奉納ライブ(15日)、新宿ゴールデン街と浅草の商店会振興の担い手によるまちづくり座談会(22日)が開催される。
また、ひゃっけんだな祭りの協賛イベントとして、期間中に30人以上のアーティストが参加する「ポタライブ百軒店のミセ」(期間中随時)、世界各国をさすらう旅回り芸人「旅河童」のパフォーマンス、プレイバックシアターという即興演劇のパフォーマンスグループによる「百軒店プレイバックシアター」(14日)が行われる。
http://www.hyakkendana.jp/event.html
渋谷はいつも何かやっている、ということではあるのだが、いつも静かでちょっと不思議なまち百軒店にいってみるちょうどよい機会だ。

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渋谷WESTオンラインショップ(2月27日)

駒場から神泉にかけては買い物が不便だということをよく聞く。それは渋谷駅を日常使わないシニア世代の声でもある。だからといって、東急東横店が日常の買い物のためのスーパーの役割を果たしているとは言いがたい。買い物に不便だということは坂道が多くて自転車が使いづらいということもあるのだろう。
だったらオンラインショップを使いやすくしてみよう、と考えてちょっと画面を作ってみた。「シニアのシブヤおすすめアイテム」というのがショップの名称。項目も商品も増やせるが、とりあえず、6項目でそれぞれ9品を並べている。アマゾンのオンラインショップから拾ったもので、シニアのためのお勧めアイテムということにしてみる。驚くほどいろいろなものを売っていることを知った。オンラインショップに慣れていない世代にその一部を知ってもらうことにも意義がありそうだ。いろいろな対象を想定して、セレクトショップを開くということもできる。
消費が冷え込んでいるといわれる中でもオンラインショップは結構伸びているらしい。それで店がなくなっていくのも好ましくないのかもしれないが、需要が少なければいたしかたのないことなのだろう。
http://astore.amazon.co.jp/shibuyawest-22

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駒場野公園で炭焼き(2月26日)

3月7日8日の土曜から日曜にかけて駒場野公園で炭焼きがある。炭といわれて何のことか誰にでも分かる人は今では50代の半ばを超えているようだ。家庭に火鉢があり、その炭火でささやかな暖をとっていた時代を知る人は、既に世の中では少数派になっている。インターネットでブログを読んでいるような世代では炭など知らなくて当然なのだ。備長炭で焼かれている焼き鳥や、炭火焼の焼肉店で見たとしても生活感はない。
50年ほど前までは炭屋という商売があった。燃料店として重要だった。しかしエネルギー革命の結果ガソリンスタンドに商売替えしたりして消えていった。今ではアウトドア用品としてネットショップで炭を買うのが手っ取り早い。炭はスポーツ用品の一つとなっているのだ。
年配の人たちにとっては感慨を覚えるものがあるかも知れないが、今や炭焼きは子供の遊びの一つとして教えられる。薪や炭から石炭、石油、そして原子力発電による電気へと、暖房のための手段は変わっている。暖房のスイッチをリモコンで操作するのと、炭に火をいれて暖をとるのとでは手間だけでなく、暖かさの意味を理解する上でも大きな違いがある。
リモコンのスイッチを入れるだけで暖かくなるということに慣れてしまっていても、暖かさとはどういうことなのかを理解するのに、炭焼きをしてそれで暖を取るという体験は、子供たちにとって意義深いものだろう。

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山手通りの工事はまだまだ続く(2月25日)

中央環状新宿線が平成21年度に大橋ジャンクションで首都高速道路とつながって完成する。しかしそれで新宿線の部分の工事が終りかというとそうではない。中央環状品川線とつなげるための工事が、松見坂交差点から大坂橋の間で平成25年度まで続くことが発表されている。施工ステップ図を見ると一旦完成させる新宿線のトンネルの壁を壊して品川線につなぐ道路を作るようだ。それなら始めからその段取りで、とも思うのだが、そこは予算の関係もあり、別の工事ということになるわけだろう。無駄といえば無駄なのだが、それで仕事ができてお金が回るからよいのだ、といわれればそういうことなのかもしれない。作っては壊す公共工事は建築廃材の問題があるにしても、景気対策として意義があると考えよう。
いずれにしても、松見坂交差点の景色は残念ながらこれから5年間改善されないということになる。3月10日の午後7時から、大坂橋下の日本地図センターで工事説明会がある。これまでの工事中の状態があと5年続きます、というだけのことなのだが、沿道の住民はやれやれ、ということか。こればかりは、いかんともしがたい。
神泉町交差点に建設予定の高層ビルの工事が止まり、近所の店では工事関係者の需要がなくなって影響を受けているとか。山手通りの工事でもそんな需要があるのか。
ともかく山手通りの混雑は5年後には緩和されることになるのだろう。でもそのころの日本経済の見通しはどうなのだろう。期待数値があるだけではないのか。ただ、社会の高齢化が一層進んでいることだけは確実だ。


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渋谷WEST商店会の寄合(2月24日)

毎週火曜日は渋谷WEST商店会の寄合の日。まだ設立準備会というところなのかも知れないが、今日の時点ではこんな話になっている。

ハチ公、109、センター街でイメージされる渋谷はシニア世代には近づきにくい街ともいわれています。
しかしその西側の駅から離れたエリアにはシニアから若い人まで落ち着いて楽しめる魅力的なスペースがたくさんあります。
ただそこが一つの街として紹介されることがないために見過ごされ、結果として、渋谷はシニアには合わない街と思われているようです。
このエリアにあるさまざまなスペースをつなぎ、魅力ある場所であることを伝えることで、ここでの生活が豊かなものになるようにしていきたいものです。

渋谷WEST商店会は、渋谷の西、代官山の北にあたるエリアで、シニア世代も楽しむことができる場所の情報交換を活発にして、街に刺激を与えます。
そのための活動としてハニーズカフェで作品の展示、イベントの開催を実施します。
目的は通常の商店会と同様に、街への来客を促すことにあります。
銀座のような伝統もなく、六本木のように計画的な商店街ではありませんが、坂道と迷路からなるこのエリアは、演出次第でどこにもない魅力的な街・商店街になりそうです。
この商店会には会則がありません。無論会費もありません。
通常の商店会より広い範囲をカバーし、その上渋谷区と目黒区にまたがります。
ハニーズカフェという場での交流を重ねながら、インターネットで情報を発信してイメージをつくっていこうというものです。
その結果として人のネットワークがひろがり、生活に活気と潤いが出てくるのと同時に、新しいサービスがこのエリアに誕生してくることを期待します。

あいまいさがこの商店会の特徴です。商店会の境界があいまいです。誰が会員なのかがあいまいです。活動内容があいまいです。参加対象があいまいです。
その中で江戸商人とその文化を見直し、それを参考にすることを活動の一つとします。

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銀座ACB(2月23日)

銀座ACBをギンザアシベと読める人はインターネット利用者の中では少数派だろう。
1960年代にポップ音楽に関心のあった、今では60代、70代の人たちということになる。
その銀座ACBの雰囲気を再現するステージが3月10日から15日まで、銀座博品館で行われる。その時代に活躍したミッキーカーチス、山下敬二郎、田代みどり、松島アキラ、久保浩といった人たちが出演すると共に、その歌を若手アーティストたちがカバーするという内容のようだ。「懐かしのオールデイズ満開、銀座ACBへようこそ」というのがその企画のタイトル。http://www.ginza-acb.com/
作・演出がドリフターズのコントなどを手がけた田村隆さんということで、笑いの多いエンターテイメントになるものと想像できる。
高齢者というと演歌ショーという時代から、アメリカンポップスの時代になりつつあるともいえる。60年代の歌が蘇る。駒場、大橋、菅刈とそれぞれに「老人いこいの家」があるのだが、ロカビリーを愛した人たちに「老人いこいの家」の居心地はどうなのだろうか。

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ログハウスの展示場(2月22日)

旧山手通りの第一商業の向側にログハウスの総合展示場「BESSスクエア」がある。
丸太を利用した自然の中にある別荘のイメージで建物が展示されているので、別荘地に紛れ込んだような気分にもなるところだ。中を見学するときには受付でアンケートに答える必要があるが、普通の住宅展示場のように、気軽にそれぞれの建物の中を見て回ることができる。散歩がてら一見の価値はあるだろう。
実は数年前から話には聞いていたのだが、立ち寄ったのは初めて。このエリアの環境に貢献しているともいえる貴重なスペースと改めて知った。


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蜂蜜のケーキ(2月21日)

渋谷WEST商店会の寄合所としている大坂上のハニーズカフェでは、蜂蜜ケーキがメニューにある。ケーキに限らず甘いものは苦手で、これまで関心がなかったのだが、今日は今月開催中の浮世絵展を鑑賞する7人のグループで店に。皆さんケーキセットなので、ちょうどよい試食の機会としてみた。何種類かのケーキがあり、写真入りのメニューとなっているが見当がつかないので適当に判断して注文。他の人とは違うもので、生クリームを何層にも重ねたものにした。ともかくケーキについての常識がないものだから、表現には苦しむ。
砂糖の代わりに蜂蜜を使っているからなのか、味には独特の重みを感じさせるものがある。ふわふわ感ではなく、どっしり感のある感触。大人のケーキといってもよいのかも知れない。名のある人が適切な紹介文を書けば、一躍有名にならないともいえないし、テレビで紹介されると一瞬は人気店になるのだろう。でも寄合所が騒々しくなるとちょっと困る。
いずれにせよケーキのことは女性が書かないと説得力がない。どなたかコメントをお願いします。

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NTTの研究所を見学(2月20日)

NTT武蔵野研究開発センターで開催されたNTT R&Dフォーラムを見学してきた。
「gooラボ ネットの未来プロジェクト「R&Dフォーラム」ブロガーツアー」ということで、いわば取材班としての参加となるが、取材内容というより率直な感想をいくつか。
まず、三鷹駅の連絡バスからスーツ姿の男性ばかりということがタイムスリップでもしたかのような印象を受けた。参加ブロガーの女性比率は20%ほどでまずまずなのだが、来場者全体での女性比率は2~3%といったところ。それから外国人らしき人がいないことも、東京ビッグサイトや幕張メッセでの展示会と違う。
この研究所は日本の通信技術の歴史を担って来たのみならず、関係する基礎研究でも大きな成果をあげてきたと聞いている。敷地内のNTT技術史料館http://www.hct.ecl.ntt.co.jp/ の4フロアーからなる豊富な展示には感嘆するばかりで、1日中ここで勉強できそうなボリュームをもっている。

goo ラボのプログラムは、携帯で近くの情報を検索するサービスの紹介からスタート。「ココde検索」というのがその名称だ。特定の地域で気になる言葉を入力すると、その地域に関する情報が見つかる。地理情報も入れてあるので、東京駅と入力すると日本橋、銀座まで対象とすることもできる。その場所の「都市伝説」や「うわさ」で検索することもできるというものだ。たとえばある場所にいて、近くに蕎麦屋がないかというときに使える。ただ、いうまでもなくネット上にその情報があることが条件だ。どこでも半径500メートル以内の店を見つけることができるかどうかは、今のところは難しいかもしれない。たとえばPCのグーグル検索で「駒場 蕎麦屋」と入力して地図上にすべての店がカバーされるわけでもない。しかし、近いうちに必要とする情報はすべてネット上にあることになるだろうから有用な検索機能になりそうだ。
次に紹介されたのが、感性に合わせて見たい映画を見つけるというサービス。「スリリング」「かっこいい」といった感性表現で候補が出てくる。http://labs.goo.ne.jp/labs/goonew/
時間があるけど、なにか気分に合う見たい映画がないかと探すときに便利なのだろう。
ビデオオンデマンドが普及するときの検索サービスとして期待が持てる。

続いて数多くの展示ブースを見学したたが、感性から通信基盤技術まで、幅広い研究開発の成果をどうビジネスにつなげるかが課題だ。このR&Dフォーラムは基礎研究から応用研究への橋渡しとはいえ、スーツ姿の男性社会だけを対象にしてよいのか、ということもあるのだろう。ちょっと異質なブロガー集団を招待の対象とするという選択をされていることは画期的なことでもある。シリコンバレーと競争する次世代通信サービスの担い手がスーツ姿の男性ばかりでよいはずはないのだから。

そこで大胆な提案を一つ。「マンションのオール光化ソルーション」により、道玄坂の古いビルとか松涛中学を光化し、「マルチモーダル対話シーン解析」とか「ミリ波マルチギガビットワイヤレス技術」などの実験を進めるというもの。別に一般公開する必要はないのだが、世界の研究者と渋谷で交流する機会が持てることに意義があるのではないだろうか。


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町会の将来(2月19日)

「町会はGHQにつぶされた。何故か。兵隊を送り出す仕組みが町会にあったとみなされたからだ」とある町会長が学生たちに説明をしていたことがある。かつて町会は町内会と呼ばれていた。1940年には内務省通達により、市町村行政の下請け機関として整備された町内会の下部組織として隣組が組織された。1942年7月、組織は大政翼賛会の指導下に置かれることになって地域社会の戦時体制が徹底された。それと同時に疎開が始まる。
1942年4月18日に東京で始めての空襲があってから45年の8月15日まで、米軍機という共通の敵と命がけで戦う組織が町内会なのであった。また食料の配給などで、生活そのものの基盤が町内会の中にあった。
町内会はGHQの指令により1947年5月3日に廃止され、その後1952年10月25日に禁止が解かれ、町会や自治会として復活する。しかし、戦時体制の記憶を持つ人には、町会に対する抵抗感を持つ人と、戦時体制の考え方を常識のように見なす人たちとに分かれたのかもしれない。そこで住民会議という新しい体制が町内会に変わるものとして、これも行政により組織された。いずれにせよ、地域社会の中で5年半の空白の後の町会組織が、大政翼賛会の末端組織としての性格を払拭しきれなかった面もあるだろう。その後の高度成長を支えた経済体制は、基本的に戦時総力戦体制の継続であった、との見方もあり、補助金や交付税をもたらした1940年体制は、地域社会についてもあてはまるのかも知れない。
しかし今、時代は大きく変わっている。戦時体制を小学生の時代に記憶している人は70歳を超えている。目黒区では人口の13.6%だ。国技の両横綱ですら外国人になり、プロ野球選手がアメリカを活動の舞台とすることを目標にするといった事実は、今後の日本社会の国際化に疑問を挟む余地はない。目黒区の外国人登録者数は8千人と人口の3%にもなっている。
その一方で地域社会の重要性も増している。そうした中、町会が将来どうなるのかということは、一人一人の住民がその地域に即して考えていくしかない。それを税金でやってほしいなどということは、主体性を放棄するものでしかないものの、そんな無意識の期待をもってはいないだろうか。

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住宅用火災警報器の設置(2月18日)

東京都では火災予防条例により、平成22年4月1日からすべての住宅に火災警報器の設置が義務付けられる。平成16年10月以降に新築・改築した家屋については既に実施されているのだが、それ以前の家屋には未設置であることも少なくないようだ。
火災が起きると延焼は免れても放水などで近隣に多大な迷惑をかける。火災防止には禁煙も有効かも知れないが、火災警報器をつければそれなりに安心できそうだし、また高齢化社会になると火災リスクは増す危険もある。そんな背景から火災警報器の設置が義務付けられたのだろうが、それに便乗するように多くの業者が火災警報器ビジネスに参入している。中には悪質な訪問販売もあるようで、東京消防庁も以下のように注意を喚起している。

消防職員のような服装で、「住宅用火災警報器の設置が義務化され、消防署の方からの依頼でまわっている。」などと偽って販売するケースが発生しています。他にも、住宅用火災警報器でないものを「今なら安くしておく。」などと言葉巧みに高額な類似機器を販売するケースも発生しています。消防署が販売を依頼したり、直接販売することはありません。

最近は振り込め詐欺被害に合わないように警察が必死になっている、悪質な訪問販売を事前に防ぎ、火災報知器を安心して設置できる環境づくりを地域社会で自主的に行っていくよう、駒場町会では体制を整えていく。

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手作り豆腐の店(2月17日)

その昔、豆腐は自転車で売り歩くものだった。今でもラッパを吹きながら豆腐を売る姿を見ることがあるが、消費量のほとんどは食品売り場に並んでいる大量生産のものだろう。
考えてみると、豆腐と油揚げだけを製造販売している豆腐屋は、日本にあった古くからの商形態を維持している貴重なものなのではないか。豆腐を一丁と注文してから、水槽から取り出してプラスチックのケースに入れる。プラスチックのケースがなかったころは、鍋を持参し、そこに入れてもらったようだ。
淡島通りのこまばエミナースの斜め向かいにある山田屋豆腐店はそんな昔からの店の一つ。お客は近所の常連さんばかりだろう。でも、このあたりに住んでいる人は、池尻大橋の丸正か淡島通りの世田谷区側で買い物をするのが普通らしいから、そこで豆腐もついでに、ということになっているかもしれない。
一丁140円の手作り豆腐だけを買いに行くというのは時間の浪費という意味でぜいたくなことである。それだけに、豆腐と油揚げしか買うものがない店に出かけて買ってくるということは、豆腐屋を知らない若い人たちにとって、新鮮で魅力的なことにならないだろうか。140円でささやかなぜいたく気分が楽しめるのだ。


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渋谷WEST商店会の日(2月16日)

12月18日に渋谷WEST商店会の発足を宣言した。それから2ヶ月がたった。現在第一回の企画として江戸の良さを見直す会の浮世絵展を大坂上バス停前にあるハニーズカフェで開催している。はじめて2週間になるものの客足が残念ながら期待ほどではない。駒場に住んでいても場所がわかりにくいというのは、246を渡ったところにあるからだろう。246が青葉台4丁目と3丁目、大橋2丁目と1丁目というように街を分断していることは確かだ。別の街と割り切ればそれまでのことなのだろうが。
青葉台4丁目という街は山手通り、旧山手通り、246に囲まれ、真ん中を淡島通りが突き抜ける。それら幹線道路に囲まれた地域には路地があるだけで、そこに住む人でもなければ通ることもない。
大坂上というのは目黒川と渋谷川の両方から坂を登りきった頂上にあたる。手元にある昭和17年発行の渋谷区の地図には、渋谷、道玄坂上、大坂上と玉電の駅が表示してある。玉電の駅前だったのだ。当時は通りの両側は同じ上目黒八丁目の町内として付き合いもあったのだろう。玉電がなくなって既に40年たっている。人通りの少ない大坂上も通るバスの数だけは多い。
火曜日は渋谷WEST商店会の寄合の日。どんな顔ぶれになるのか分からないのが特徴なのだ。


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246と玉川通り(2月15日)

渋谷から三軒茶屋を通って二子玉川方面に行く道を若い人は246と呼び、年配の人が玉川通りと呼ぶそうだ。放射4号線という名称もあるのだが、そちらは道路関係者用語か。山手通りの方はその逆で、年配の人は環6と呼ぶらしい。神泉仲通という名称は知らない人がほとんどで、検番通りで通じる人もいる。栄通り、東急本店通り、文化村通りと同じ道でもいろいろ呼び方がある。
神泉町交差点、神泉駅入口交差点、松涛2丁目交差点、松涛郵便局交差点といった交差点の名称となると知っている人の方がめずらしくなる。町名ではない百軒店の名称すら知らない人も珍しくない。
航研通りは1970年代からコスモス通りと呼ばれるようになったが、通りの表示があるわけでもないし、今では知らない人の方が多そうだ。コスモス通りが山手通りに出るところはかつて三叉路と呼ばれていたのだが、これもほとんど死語になっているのだろう。
15年以上の定住者が比較的少ないことと、住民の交流範囲が限られていることから、地域への関心が乏しく、地名を記憶する必要も感じにくいかもしれない。
246と玉川通りは、更に大山街道、厚木街道という呼び名もかつてあったのだが、それらの地名の記憶を共有することは意味のあることではないのか。このエリアの学校に入学する若い人たちと、会社に入社する人たちに地名を覚えてもらう工夫でもしてみよう。

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入居者募集中(2月14日)

駒場バラ園の花壇があったところにアパートが建った。東大の炊事門に近いから学生には便利だろう。構内の食堂と生協の売店を使えば、バスや電車に乗ることもなく生活ができる。家賃が割高としても、交通費を考えての計算となる。入り口には飲み物の自動販売機があるのは学生狙いだからか。もっとも広さ、間取り、家賃は分からない。バラ花壇はその苗の一部を東大のバラ花壇に寄贈してアパートになったけれど、駒場バラ園の営業は継続している。

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今月の25日と26日が東大の入学試験だそうで、その時に部屋を決める親も多いらしい。それに合わせて営業活動があるのか。駒場キャンパスには3千人余りの学部入学生に加え、大学院に入学する学生が修士課程で250人いる。駒場には東大の学生を当てにしている大家さんが少なくないようだ。
そこから神泉寄り、井の頭線のトンネルの上にも新しい集合住宅ができて入居者を募集している。こちらはややランクが上になるのか、住所は渋谷区となる。
いずれにしてもこのエリアでの生活をはじめるにあたって参考になるすべての情報が、渋谷WESTのサイトに集まるようにしているつもりだ。
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駒場の50年(2月13日)

大橋図書館4階の一番奥に、目黒区の資料を並べた書棚がある。そこには『駒場の50年』と書かれた厚さが2センチもありそうな立派な本が置かれている。駒場の歴史がこんなに詳しく書かれているのか、と期待して手にとって見ると内容は東大教養学部の50年史。しかも学部の組織の変遷が主体のようなので、なあんだ、と失望してさっさと書棚に戻したことがある。
しかし今回は、東大前商店街が活気を失うきっかけとなったともいわれる東大紛争について調べてみようと、巻末にある年表から関係ある箇所を拾ってみた。
東大紛争は1967年1月から3月までの医学部ストに始まった。翌68年1月の医学部の無期限ストから7月には駒場の教養学部もストに入り、10月に法学部が無期限ストに突入したことで全学ストに突入した。明けて69年1月18日から19日にかけての、世に言う安田講堂攻防戦を経て事態は収束に向かう。3月4日には駒場キャンパスにも機動隊が導入され、学生41名が逮捕されている。
東大紛争が終わった後も、駒場キャンパスでの紛争は続く。1971年11月の沖縄返還協定批准反対のストとそこでの混乱収集のため、11月19日に駒場に機動隊が導入された。74年1月24日には内ゲバにより教養学部学生2名が死亡、75年10月27日駒場の構内で学部学生1名が内ゲバにより死亡、76年6月6日駒場寮内での内ゲバで1名が負傷、77年12月9日構内で学部学生1名死亡1名重傷といった事件が続いている。80年代の記録では、82年と87年に学生自治会によるストがあった程度で駒場キャンパスに平和が回復しているようだが、96年には駒場寮の廃寮をめぐっての紛争が起こり、4月3日には寮周辺で不審火も出た。また6月14日には駒場寮廃寮反対全国集会が開催されている。98年には旧駒場寮食堂建物で火災が発生し、2001年8月22日の旧駒場寮明け渡し強制執行をもって紛争の歴史はようやく終わったともいえそうだ。『駒場の50年』の年表がその強制執行の記載を最後としていることが象徴的だ。
1968年以来2001年までの33年もの長期の間、混乱を引き起こす外部からの侵入者を防ぐために駒場キャンパスは閉ざされていたともいえる。数々の事件の舞台ともなった駒場寮が完全に閉鎖されてから7年半が経過した。外部の利用者を歓迎するレストランのルヴェソンベールが開店したのが2004年。駒場寮の跡地には2006年にコミュニケーションプラザが完成し、今年は駒場池も整備されて、駒場キャンパスには新しい風が吹き始めているといえそうだ。
「なつかしい、しかしそれ以上に忌まわしい、そういう矛盾した感情を東大紛争に真剣にかかわった教師ほどもっているようである」と、東大新聞研究所所長をされ、後に東久留米市長にもなった故稲葉三千男氏が1984年に書いている(『決定版昭和史第16巻』)。駒場キャンパスで、外部からの出入りを規制することを余儀なくされた33年の歴史が書かれることが、何年か後にはあるのだろうか。

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神泉駅に近い和食店(2月12日)

60年前には売春と暴力で恐れられていたといわれる三角地帯が、道玄坂と文化村通りに囲まれるようにしてある。1970年に住居表示による町名変更があるまで、百軒店を含む道玄坂小路と道玄坂横の崖の上の地域一帯が円山町だった。子供たちは、円山町にはいってはいけない、と親や先生からいわれていたそうだが、それは現在でも変わらないのかも知れない。そこで営業している人たちにとっては残念なことなのだが、このエリアには大人でも入りづらいもののあることは事実だろう。渋谷で「坂上がる」というと、円山町のホテルに入ことを意味するのだと随分昔に聞いた記憶もある。
道玄坂から旧山手通りの巨大な神泉町交差点まで、車は右折できない。道玄坂の北側一帯の道路は狭くて視界がきかず、しかも起伏があるので、歩いていてもどこに抜けるのかがわからない。その高台の地下を井の頭線が通っていて、2つのトンネルの間に踏み切りがあり、そこから神泉駅のホームがトンネルの中に見える。
道玄坂上交番から神泉駅に行くには、かつて検番通りとか三業通りとか呼ばれ、淡島通りにつながっていた古道に入り、その道から右に折れる急坂を下りてたどり着く。踏み切りを渡ってからまっすぐ歩くいていくと、道路の拡幅のため雑然としている栄通りに出る。その先は松涛の高級住宅地だ。円山町が崖の上の街とすると、神泉駅から栄通りまで崖下の街が続く。
この円山町と神泉町との境界の道は神泉駅から東急本店に行く道でもある。喧騒から離れてBunkamuraや東急本店に行くことのできる道なのでもっと利用されてもよい。その道にそって、5軒ものこじんまりした新しい和食の店が、半地下のスペースにあることは注目に値する。年末から今月にかけて、似たような店が3軒から5軒に増えた。どの店も同じような和食メニューなのだが、それぞれに個性があるようだ。こういう店を仕事の帰りや昼食に手頃な価格で利用できる人たちは恵まれているといえよう。


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ランブリングストリート(2月11日)

昨日の渋谷WEST商店会の会合で、渋谷駅から東急本店への道が混んでいて歩きづらいということが話題になった。マークシティから道玄坂交番の交差点を渡り、ランブリングストリートからBunkamuraに出ればよいのではといったところ、あの通りは好きではないとの意見が出た。そういわれてみると、百軒店のアーチをくぐりにくいのと同様の雰囲気が、道玄坂交番側のランブリングストリートにはある。進入禁止の道路標識が道の両側に並んでいて、歩行者も進入禁止のような印象を受けるし、その上視界が悪く、とてもBunkamuraに出るようには見えない。地元の人でないと通り抜けはできないかも知れない。通りのBunkamura側と道玄坂交番側の歩く人の数がそのことを物語っている。


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そんな状態にならないようにという動きが、Bunkamuraが開業した平成元年頃にはあったのだそうだが、バブル崩壊により動きがとれなくなったらしい。
それから20年。円山町の地域社会で『円山まちづくり勉強会』が始まっている。そこでランブリングストリートの将来イメージをCGで公開し、具体化に向けての検討をすすめているのだ。あくまでも試案なのだが、世界へのシブヤ文化の発信の場として、早期に実現させることが必要なのではないか。その案の一つとして、通りの裏には浮世絵の世界がある、というのもこのエリアならこそ可能性のある夢なのだろう。
http://sites.google.com/site/maruyamacho/

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恋文横丁(2月10日)

ヤマダ電気のLABI渋谷の隣に「恋文横丁此処にありき」の碑がある。
無味乾燥な説明をすると、1950年から53年の朝鮮戦争の時に、東京近郊から出征したアメリカ人兵士に日本人女性が英文の手紙を送るのを手伝う代筆業者が、闇市の並んでいた現在の109付近にあった。それを作家の丹羽文雄が『恋文』という小説にし、映画化もされたので有名になり、その店のあった通りが恋文横丁と呼ばれるようになった、ということだ。
1964年の東京オリンピックの時にも闇市の雰囲気が残っていたのか否かの確認はできていないが、恋文を英文で書く業者がいたのは2~3年の間のことではなかったのか。
今では丹羽文雄の『恋文』は書店にないし、アマゾンでも古本になる。目黒区の図書館で検索すると1974年に出版された丹羽文雄全集にあって八雲中央図書館に所蔵してあることがわかる。大橋図書館に届けてもらえるらしいがどうしよう。読む人もいないだろう。
小説の内容はともかくとして、恋文横丁とは、1945年8月から焼け跡にできた闇市と呼ばれた露天の店が、現在の渋谷の原点だったということを記憶するための地名とするのがよさそうだ。


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当時の渋谷を映像で見ることができる。

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町会の記憶(2月9日)

隣組が1940年の内務省通達により組織され、市町村行政の下請け機関として整備された町内会の下部組織となった。1942年7月にはそれが大政翼賛会の指導下に置かれることになって地域社会の戦時体制が徹底したとされる。
戦後、1947年4月にGHQ命令により町内会、隣組は廃止された。出征兵士を送り出した組織ともみなされたそうだ。その考えの流れから、現在の町会に対する抵抗感をもった人も少なくないだろう。だから町会費を払わない、ということがあっても不思議ではない。
現在の町会はそうした戦時体制のものとは違うと考える人もいれば、行政が主導する1940年体制が現在も続いていると漠然と意識している人などさまざまのようだ。高齢の人の中には強烈な記憶の残る戦時体制の慣行を今もあたりまえと考える人たちが少なくないかも知れない。考え方がいろいろあることは一人一人の体験が違うのだから当然だろう。戦争という共通の体験がさまざまな考え方となって現在に引き継がれていることもあるようだ。歴史認識の問題は近隣諸国との関係で東アジアについて論じられることは多いけれども、身近な町会についての歴史認識を議論することは、どこでも地域の平穏を乱すだけだろうか。

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渋谷は闇市から(2月8日)

1945年5月24日と25日の空襲により渋谷の街は焼き払われた。東京大空襲の3月10日にだけ空襲があったわけではなく、1944年の11月から45年の8月15日まで、東京は頻繁に米軍の空襲を受けていたのだが、渋谷一帯は5月24日と25日の両日焼夷弾の爆撃があった。25日に来襲したB-29爆撃機の数は470機と記録されている。
8月15日に戦争は終り、米軍の第一陣が厚木飛行場に上陸したのは8月28日。それに先立つ8月20日には新宿に早くも闇市が出現した。闇市が盛んだったのは、新宿の他は渋谷、新橋、上野、銀座、池袋で、これらの街が東京の繁華街の始まりだった。買い物、飲食の場が、それらの闇市しかなかった時代が何年か続く。パチンコ屋もこの闇市から生まれている。
その闇市に更に先立つ8月18日には「外国軍駐屯地における慰安施設設置に関する内務省警保局長通牒」が発令され、27日には「特殊慰安施設」が大森で開業したそうだ。円山町もそうした慰安施設の場所の一つとして指定されたのだろう。
東京湾内に来たミズーリ号上での調印式は9月2日。それまでのわずか半月の日々は、現在75歳以上の人たちの記憶に鮮やかなものがあるようだ。その人たちの記憶を記録していくことにする。


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写真の三叉路は現在の109前交差点


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7年前の松見坂とその後(2月7日)

7年前にある雑誌が取材した松見坂の店の数々を見つけた。もう忘れてしまった名前もある。その記事では11件の店が紹介され、現在もそのままの姿で営業しているのは5件。半数以上は姿を変えていることになる。
そのまま営業している店というのは、ドーヴチェラフォンテ(イタリア料理)、ミラヴィル(フランス料理)、ボラーチョ(ダイニングバー)、味元(居酒屋)、東北菜館(中華料理)。7年前と変わらない味と空間を提供している。ミラヴィルにはミシュランの星もついた。
一方でなくなっているのは、プルスセシル(ダイニングバー)、ジャンキーアゴーゴー(カジュアルバー)、アルニカ(カジュアルバー)、北海道寿司、ボタニカルカフェラソル(喫茶店)。アジア食堂そ(ダイニングバー)は「まつみ」となってリニューアルされている。なくなった店の後に新しい店が入ったりもしているが、松見坂の飲食店を利用する人の数はこの7年で増えていないと考えてよさそうだ。
松見坂を対象とする商店会はあるのだが、商店会としての活動はできていない。どこも淡島通りに面した店で、それぞれに個性があり、気軽に入れる店というより、人ごみを離れた隠れ家として利用する店という印象が強い。店は入れ替わっても、松見坂全体ということでは、7年前と比べ変化が見られないといえよう。この7年、メディアの報じる世の中の動きとは違い、身近な街並みの変化は乏しかったのではないか。それでも、この10年の大きな変化は店舗のチェーン店化とも感じられる中で、個性ある店が残っていること自体が貴重だ。渋谷WESTと呼んでいるエリアが駅周辺や道玄坂と違うのはこの点だろう。チェーン店にとって魅力のない地域であることを価値あることとしよう。

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おいしい豚のしゃぶしゃぶ屋さん(2月6日)

店の名前だかなんだか分からないような提灯が目印の店。旧山手通りに面していてラーメン店『砦』の隣にある。以前うどん屋の『海老蔵』だった店をそのまま利用したものだ。豚のしゃぶしゃぶという料理は最近人気があるそうで、ランチメニューもあるけれど、オフィス街からちょっと離れているところが気になる。
松涛はその面積の割には事務所スペースが少ないし、神泉も町のほとんどが住宅地だ。旧山手通りに面して246との神泉町交差点まで、個性ある飲食店がある中での開店でもある。
『コナミスポーツクラブ渋谷』に来る人たちの利用が期待されているのか。店の前のバス停は東大前。渋谷から東大駒場キャンパスへの道筋の途中でもある。
ちょっと歩けばいつも新しい発見があるのがこの地域。このエリアで何度も行きたくなる店を探して、少しでも多くの人たちに関心をもっていただきたいものだ。
先月末開店したばかりのこのお店も、まずランチから。


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便所が消えた日(2月5日)

駒場Ⅰキャンパスの矢内原公園にあった古い便所は、決して不潔ではなかったのだが、用便しているところが外から見えることもあり、利用することがはばかられる雰囲気があった。周囲の建物の中にトイレがあるので、屋外作業をする人でなければ、利用する必要もない。
また、便所といえば、男女別々にあるのが当然なのだが、なにしろ元来は男ばかりのキャンパスだったので、そうした配慮がなかったことも歴史上の便所といえそうだ。
それが今月になって取り壊された。70年以上の歴史ある建物だったのだろうが、便所としての維持費を考えれば壊すしかないのだろう。改造して何かに使うなどということも現実的ではない。でもなくなって残念だと思う人も少なくないのではないか。公園の中の建物として周囲に溶け込んでいた。昔よく使ったなあ、といった卒業生の思い出話なんかがあるとよいのだが。


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青葉台3丁目で強盗(2月4日)

今日は立春なのだが、悪いニュースが入ってきた。
目黒区生活安全課のメールニュースで、青葉台3丁目のコンビに強盗が入ったとのこと。
以下の文面だ。

2月4日(水)、午前2時20分頃、青葉台3丁目のコンビニエンスストアで、強盗事件が発生しました。犯人は、店に客を装って入店後、男性店員にけん銃のようなもので、「レジを開けろ」と脅迫し、店員が開けたレジ内から、現金約5万円を強奪して逃走しました。なお、店員に怪我はありませんでした。
○犯人の特徴:25歳位、165~170センチ位、毛糸の帽子、白マスク着用
○けん銃のようなものを所持していますので、十分ご注意願います。

昨夜、オニワーソトの豆まきをしなかったからだろうか。犯人が近所に潜伏しているとは限らないが、住民にとっては決して気持ちのよいものではないことは確かだ。

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コミュニティビジネスシンポジウム(2月3日)

関東経済産業局がカバーする広域関東圏(関東地方に山梨、静岡、長野、新潟を加える)
のコミュニティビジネス推進に関わるシンポジウムが虎ノ門で開催されたので参加してきた。
事例紹介は横浜市の港南台タウンカフェと、山梨県北杜市での都市と農村の交流について。さまざまな人たちを巻き込んでの具体的な活動事例は参考になった。
港南台タウンカフェの事例と類似のことは、大坂上のハニーズカフェに何かやってみたい人が集まることで可能性がでてくる。
北杜市での活動については、その反対の形で、地方の若い人たちに安心して渋谷を経験してもらう、というビジネスが考えられるのかもしれない。
渋谷WEST商店会をとりあえずは立ち上げたので、そのコミュニティの中から新しいビジネスが生まれてくるよう汗を流さなくてはとの思いを強くした。
コミュニティビジネスについては今日の国会で質問があり、麻生首相の答弁がされたようだ。新規の雇用の場としての期待が大きいということなのだろう。ただ、100年ぶりといわれる公務員制度改革の方に関心が集まることは当然とはいえ残念だ。
ちなみにコミュニティビジネスと普通のビジネスとの違いは何か、との質問に対する答えは、人の心が通うビジネスかなあ、というものだった。人の心が通わない地域社会はプライバシーが守られる良い社会なのか、という反省もあるだろう。
渋谷WESTもはじめてから7年目にはいっている。時代の風も吹いてきそうだ。
次回の会合は2月10日(火)午後3時からハニーズカフェで。どなたでもお気軽に参加ください。

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シニアのシブヤ(2月2日)

クサイ、ウルサイ、マズイのというのが、あるシニア女性の渋谷のイメージなのだそうだ。いうまでもなく、渋谷駅前のスクランブル交差点やセンター街にシニアは似合わない。シニアの世代にとってそこは孫の世界ともいえる。オトナ発信地という渋谷マークシティも60歳以上の人たちが落ち着く場所ではない。
シニア世代はどこに行けばよいのか。銀座かそれとも巣鴨のとげぬき地蔵か、ということになりそうなのだが、渋谷にもシニアの多い場所は少なくない。まずBunkamuraがそうだし、百軒店の名曲喫茶ライオンもシニアの店といえる。代官山のヒルサイドテラス、松涛美術館、戸栗美術館なんかもシニアが似合う。ただシニアのための情報が十分とはいえない。『シニアHANAKO』などという雑誌があって、その渋谷特集を組んだとしたらどうなるのか。『太郎と花子の渋谷』などとしゃれて見るのもよいかもしれない。時間のあるシニア世代が楽しめる街渋谷。それは現実として既にある。ただその案内がないのでシニア世代が来にくいだけなのだ。
このエリアに住むシニアのための生活ガイド。シニアが楽しむ渋谷ガイド。そんなものをつくりはじめた。

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明治時代の浮世絵(2月1日)

三鷹の国際基督教大学で『帰ってきた浮世絵 CHIKANOBU』と題する特別展を3月19日まで開催している。天保9年(1838年)に生まれ、大正元年(1912年)に没した楊洲周延(ようしゅう・ちかのぶ)が描いた浮世絵で、アメリカのスクリップス大学(カリフォルニア州)のコレクションからそこでの展示レイアウトをほぼ再現したものだ。アメリカでは2006年から6つの大学を巡回していて、それがニューヨークの日本基督教財団の協力によりこのたび日本でも実現したという。
浮世絵はもともと庶民のための安価なもので、日本では芸術としての評価はされていなかったのだが、幕末から明治にかけて海外に流出したことにより、海外での研究が盛んになった。ヨーロッパ絵画に大きな影響を与えたことはよく知られている。
日本人も浮世絵に芸術的な価値があると知ったのは、浮世絵がもはや作られなくなっていた1910年に、ドイツ人ユリウス・クルトが写楽に関する著書を出版してからなのだそうだ。それも欧米の初期の研究者がその価値を認めた春信、清長、歌麿、写楽、北斎、広重の6人の作品に価値があるとしたため、日本でも単純にその評価に従ったままの状態であった。その後1987年頃から西欧で明治期の浮世絵の研究も発表されるようになっているそうだが、まだ研究の手付かずになっている作家が多いという。
楊洲周延は上越高田生まれの武士橋本直義で、戊辰戦争で幕府方につき、函館戦争での降伏の後、浮世絵師としての活動をはじめたとされる。
国際基督教大学での展覧会は3月19日まで行われているが、並行して浮世絵の美術館である原宿の太田記念美術館でも、3月1日から所蔵のコレクションにより『生誕170年記念楊洲周延展』が開催されることになっている。
そんな中で、2月2日から28日まで、大坂上のハニーズカフェでも『江戸の良さを見直す会』のコレクションによる楊洲周延の作品の中から9点を展示する。スクリップス大学のコレクションとは違い、大奥の光景を描いた作品は気品も漂うもので、また、江戸時代の花魁を描いた美人画とは異なる雰囲気のものである。
今年は明治時代の浮世絵に関心が高まることになるのかもしれない。


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