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文化村通りの将来(12月27日)

現在の文化村通りと栄通りは、80年前には農大通りと呼ばれていた。1890年から1917年まで、駒場キャンパスは帝国大学農科大学だったからだ。1903年には正門が現在の松涛2丁目交差点から入ったところに移った。http://www.a.u-tokyo.ac.jp/history/gallery.html
農大通りは渋谷駅と農科大学の正門を直結していたことになる。農大通りが栄通りの別称だったのかどうかは調べていないが、109前の交差点からBunkamura前の松涛郵便局交差点までが文化村通りとなったのはBunkamuraが誕生した1989年のことだろうということは想像がつく。
Bunkamuraは文化村とは書かない。Bunkamuraと書くのに違和感があるかもしれないが、その表記しかない。Bunkamuraの事業運営主体は株式会社東急文化村で、かつては東急文化村という言葉が使われていたが、何故か現在会社名以外に漢字で文化村と書かれたものは見ない。文化村では固有名詞にならないからなのかもしれない。
そこでいっそのこと、Bunkamuraを含む周囲一帯を文化村にしてしまったらどうだろうか。渋谷WESTを文化村と呼んでしまうのだ。
まず、栄通りが道路の拡幅工事が完了した暁に、山手通りの松涛2丁目交差点までが文化村通りと名づけられるとよい。交差点を渡るとその先の目黒区道はかつて東大の正門のあったところを通って炊事門にぶつかる。しかし炊事門は開かずの門で、車が入れるように開くのは駒場祭の時くらいだ。

東大の駒場キャンパスへは、現在自動車が入れる唯一の門となっている正門からではなく、炊事門から入れるようにしたら、駒場通り経由より近道になる。そこで正門を自動車通行止めにして、炊事門を自動車が入る門にしたらよいのではないかとの案が浮かぶのだ。守衛所も正門から炊事門に移し、正門は歩行者専用ということにする。キャンパスに入る車は、宅配便、商品搬入車、ゴミ収集車、などが多いのだろうから、その名の通り炊事門を使うのがふさわしい。大学のキャンパスに車で入るのに正門からでなくてはいけないということもないだろう。もしかしたらすでに検討されているのかもしれないのだが。

文化村通りが109からBunkamuraを経て東大を結んでいるということにすると、その道筋は世界に誇れるものになる可能性が生まれる。東大の文化と渋谷の文化が交わる文化村を作り上げることは、世界に対する東大駒場キャンパスのイメージ向上にも貢献するのではないか。

初夢にはまだ早いが。


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