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高層建築の黄昏(10月10日)

9日の東京新聞にこんな記事が出ていた。
「目黒区が良好な住環境を守るため十一月に絶対高さ制限の導入を目指す中、都は八日、その制限を大幅に超える高層マンションの建設に必要な特例の申請を不許可とした。これにより、高層での建設は事実上困難になった。周辺住民や区の意見を総合的に判断した都建築審査会が申請に同意しなかったのを受けての措置。審査会の不同意は少なくとも二〇〇五年度以降はなく異例という。」

今から40年ほど前、高層建築の建設にあたり東京都で論争があった。皇居の前だからということなのだが、その時のいきさつが『ミカドの肖像』という書物に書かれている。東京海上ビルが当初の計画128メートルから100メートルからわずか30センチ足りない高さに変更されるまでのさまざまなエピソードだ。
東京海上ビルの建築確認申請が東京都に提出されたのは昭和41年10月。「その計画が難航したのも、ビルの高さが当初の計画より低く押さえられたのも、すべて“空虚な中心“から発する奇怪な電波によって引き起こされた結果であった」として「天皇をめぐる不可視の禁忌」の事例としてこの問題は取り上げられている。
「建築阻止の電波がどこから発信されたのかはともかく、前期はおもに美観論争という名目の衣を着せられ、マスコミを巻き込んで展開されていった。後期は法律論争として、また、東京都から政府レヴェルまでグレードが上げられ、不本意な解決に導かれていく。」建築確認申請提出の3年前、昭和38年7月に、建築物の高さ制限の廃止などを盛り込んだ建築基準法の改正が行われていて、東京都が提出しようとしていた美観条例がそれに違反するということで取り下げられていたということもあったそうだ。
「色あせたレトリックでしかない」意見として紹介しているのは、東大総長になった林健太郎のもの。「シャンゼリゼーの通りに一つだけ30階のビルが建つことを想像してみるがよい。その建物自体がいかに美しくとも、シャンゼリゼーの美しさは失われるのである」というものだが、今では逆に多くの共感を呼ぶのではないか。美観条例の都議会への再提案について、公明党は「再提案は混乱を招くだけだ」。社会党は「美観保持には賛成だが、高さ制限は問題」。自民党は「十分各党との調整をつけたうえで出すべきだ」ということだったらしい。美観のために規制が必要という都側の一般委員の多数意見に対して、建築家委員が激しく反対に終始したともある。それからも問題は難航し、東京海上の社長は昭和42年11月佐藤栄作首相を訪れることになる。佐藤首相が高層ビルに反対しているらしいとの話を聞いたからだ。その時の会話として、「総理、どうして、そんなにいかんですか」と食い下がったところ、「いや、わしゃ、好かん。高いのは嫌いだッ」との答えだったそうだ。
結局この問題は東京海上が100メートルから30センチを切ったところに設計変更したことで解決を見ることになった。そして皇居に対するタブーを犯したことが原因であることを示唆してこの章を結ぶ。「眼下に見渡す“空虚な中心“は、一面緑の塊だった。天皇の住まいは、森のなか、わずかに屋根の一部分が視えたにすぎない。遠く新宿副都心の高層ビルが霞んでいた―――」と。

『ミカドの肖像』の著者は猪木直樹副知事。1986年に単行本として発表されてから20年がたち、高層建築を推進する時代から規制を必要とする時代に変わっている。美観の立場から40年前に高層建築に反対した人たちの考え方は現在にも通じるようだ。絶対高さ制限は今でも建築家にとってのタブーなのだろうか。

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