「駒場をもっと知ろう会」でお会いしましょう(2026-5-25)

昨年の9月からブログの更新を休んでいましたが、本日をもってこのブログでの発信を終了します。このブログにれまで接して来られた方には、今月の駒場住区住民会議総会で発足を発表した「駒場をもっと知ろう会」に、これを引き継ぐことをお伝えします。ブログを更新するのではなく、月に2回、第3火曜日と第4日曜日の午後1時半から、駒場住区センターでオープンな形で発表できる機会を設けます。

ブログに書いて読んでいただくのではなく、会場に足を運んでいただいて意見交換もし、私的なものではない形で駒場の地域社会で共有できるようにしていく計画です。

駒場地域にお住まいの方々をはじめ、東大駒場キャンパスや地域の学校の皆様にも気軽にのぞいていただけるものとなります。毎月の発表内容は駒場住区LINE公式アカウントに掲載されますので、駒場住区住民会議で配布している「駒場野」のタイトル横にあるQRコードで是非ご登録ください。

「東大駒場キャンパスの街から」というブログをこのココログでスタートしたのは2008年10月でした。その前に2004年8月からexcite blogで書き始めていますから、22年もブログを書き続けてきたことになります。

ブログを書くことで蓄積してきた知識を地域社会で共有し、それを次世代に引き継いでいけることは大変ありがたいことです。これからはネット上ではなく、リアルの場で皆様とお会いできることを楽しみにしています。

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ケルネル田圃と東京大学(9月2日)

井の頭線で駒場東大前駅から下北沢方向に向かうと左側に林が見えます。そこにケルネル田圃と呼ばれる水田があるのですが、近隣でも知らなかったという声を聞いています。

何故ここに水田があるのか、ということなのですが、歴史は駒場農学校が開校した明治11年にまでさかのぼります。そして、ここがケルネル田圃といわれるのは、ここでドイツ人の教員オスカー・ケルネルが、明治14年から26年まで農学校の教員として米作の肥料試験などを農学校内の水田で行ったことによります。駒場農学校の水田はケルネル田圃とよばれている水田の他にもあったのですが、駒場農学校が東京帝国大学農学部となり、昭和10年に本郷地区にある現在の農学部の地に移転するまでには、現存するケルネル田圃以外の水田はなくなりました。昭和12年に農学部の敷地であった現在の駒場野公園の場所を東京農業教育専門学校として独立し、それが昭和24年に東京教育大学農学部になっています。

東大農学部の本郷地区への移転が、現在駒場にある、東京大学Ⅰ・Ⅱキャンパス、旧前田家本邸、駒場野公園を形作ったといえます。そして、その農学部の移転という大事業をなしとげたときの東大総長は古在由直です。総長在任期間は大正9年から昭和3年までの8年間で、その間に、旧制第一高等学校と前田侯爵邸の土地を駒場の農学部の土地と交換しました。

古在由直は駒場農学校に入学し、ケルネルに師事してケルネル田圃で肥料試験などを行い、農学部教授から農学部長となって、大正9年に東大総長となったのです。そうして農学部を本郷地区に移すことで、東大のキャンパスを一つにしたことになります。

駒場に目を向けると、ケルネルの直弟子が駒場の街並みを作り、ケルネル田圃の管理を東大入試合格者数がトップクラスの筑波大付属駒場中・高校の生徒が行っていることになります。そのように貴重な文化遺産であるケルネル田圃をもっと知っていただきたいものです。また、ケルネル田圃に親しんでもらえるよう、地域の方々によるかかしの展示が行われています。以下のサイトで詳細をみていただくことができます。

かかしのれきし | かかし応援隊2025

 

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原爆投下までの15年(2025-8-4)

毎年8月は、平和を祈念する月になっているようです。広島で、長崎で、そして戦没者を慰霊する場所で。いずれにしても戦争の犠牲になった人たちへの黙祷という形になります。でも、それが平和を祈念するものとはいえ、9月の天災による犠牲者への祈りとどう違うのか、ということはないでしょうか。死者への追悼ということにとどまっていてよいのかということです。被爆者、戦没者、戦争による多くの犠牲者の慰霊をして終わり、とはせず、そこに至るまでのさまざまな人たちの判断がどうであったかを知ることが、将来に向けて必要なことでしょう。現在、戦争ではなくとも、当時の判断の間違いと同様のことが行われてないのかどうかを考えることも意味あることです。

駒場公園・旧前田家本邸は、原爆が投下された15年前の1930年に完成し、1942年に当主の陸軍将校前田利為侯爵がボルネオに出役するまでの12年間、この駒場の邸宅でさまざまな立場の賓客を招いていました。そこでの会話の内容については知るよしもなく、この場で重要な判断が行われてはいないでしょうが、その12年間に行われた、さまざまな当事者による判断の積み重ねが、結果として原爆の投下を招いたことになるといってもよいでしょう。

前田利為侯爵については陸軍軍人として知られているわけではありません。戦争の中での歴史に残る判断をする立場にはなく、陸軍士官学校17期同期の東条英機とは犬猿の仲であったといわれています。軍人としての立場での発言権、影響力は強くはないものの、侯爵として皇族、華族や政・財界、駐日大使との交流があって、そこからでしょうか陸軍の戦略に対して異論を挟むことになり、結果として予備役編入となっています。

旧前田家本邸は、この規模での邸宅と庭園が、戦争当時の姿のまま残されていることで奇跡的ともいわれます。建造物としての価値だけではなく、平和について考える場、原爆投下にいたる判断の積み重ねの一端を考える糸口として評価されてもよさそうです。

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