短歌と俳句のたしなみ

短歌と俳句はなじみのある人が多い趣味ないしは文化活動です。短歌が5・7・5・7・7、俳句は5・7・5のことばで作るものということは誰もが知っていることでしょう。しかし、歌会や句会に参加したことがないと、その作り方の違いには気づかないのではないでしょうか。

俳句の場合はたとえば一度に10句ほど読んで、会のメンバーに見てもらう、ということが多いのに対し、短歌の場合は少しづつ積み上げて、何日推敲して、歌会に送ることが多いようだということを知りました。

句会や歌会は地域にいくつもあるのでしょうが、案外接しにくいものかもしれません。そんな中、最近縁あって100年の歴史ある「あけび歌会」との接点ができました。立派な歌会なのですが、素人も歓迎してもらえます。会報を毎月購読し、投稿して会報に掲載していただくこともできます。

https://shibuya-west.com/akebiutakai/

俳句か短歌か、上記の作り方から、瞬発の俳句か、長考の短歌かということでご紹介します。

| | コメント (0)

駒場と松濤の歴史的邸宅(2025-3-21)

駒場は目黒区、松濤は渋谷区、ということで、この二つの隣接する地域が並べて紹介されることはなかなかないようです。地域の情報は目黒区とか渋谷区といった行政区域の範囲ごとに流されるので、いくらすぐそばのことといっても、区が違うと知らないことになってしまいがちなのです。

駒場と松濤は三田用水を境界として、おそらく徳川時代から分かれていたのでしょうが、それでも徒歩圏のことであれば、人口も少ないので今よりはお互いに情報は流れていたと思われます。

明治以前の駒場は幕府の鷹狩場で、松濤には紀州徳川家の下屋敷と徳川の有力旗本長谷川久三郎の屋敷がありました。(長谷川家の屋敷は幕末には長谷川家から沼津藩水野家になったようです。)

そして明治5年に佐賀藩の11代藩主であった鍋島直大侯爵家が松濤の土地を買い取り、明治9年に松濤園と名付けられた茶園が開かれて現在の地名になっています。

駒場の鷹狩場は駒場農学校から帝国大学農学部となり、広い実験農場が作られましたが、それに隣接するように松濤側には農商務省種畜牧場ができました。

松濤ではその後、鍋島家による宅地分譲が進められましたが、そこに鍋島侯爵の邸宅ができたのは大正15(1926)とみられています。駒場に前田侯爵家の邸宅ができて前田利為侯爵一家が住むようになったのは4年後の1930年でした。

鍋島侯爵邸は1945年の空襲により焼失し、その跡地が松濤中学などになっています。

鍋島家は現在の松濤だけでなく円山町から神山町、富ヶ谷に至る広大な土地を明治初年から所有していて、前田家が昭和に入って駒場に転居し、獲得した土地の一部を分譲したことと比べると、鍋島家の宅地分譲の規模は大きなものになっています。

しかし、前田家の邸宅は空襲を免れ、重要文化財となって保護されているのに対して、鍋島家の痕跡は1933年に開園した鍋島松濤公園にとどまっています。

加賀100万石と佐賀35万石という2件の旧大名家の邸宅が20年にも満たない期間であったとはいえ近所にあり、100年の歳月を経ても当時をしのぶことができる貴重な文化遺産かもしれません。それが目黒区と渋谷区という二つの地域にまたがるため、一つの散歩コースとして紹介されないのが残念なことです。

 

| | コメント (0)

尾道の空き家再生から(2025-3-17)

広島県尾道市は瀬戸内海の港町で、その歴史ある街並みは映画のロケにもよく使われています。自動車が通れない山の斜面に住宅が密集していて、独特の景観が観光地としての人気は高いようなのですが、空き家が増えているという状態になっています。尾道旧市街の空き家は、解体すると車の通れる道路がないことから、新しい建物は作れないとか。そこで空き家をそのままの形で再生するというプロジェクトがはじまりました。

 空き家は全国的な課題になっていますが、尾道の瀬戸内海を見下ろす景観や、自動車の通行ができないという独特の街並みが魅力となってか、クリエーターなどの移住希望者が少なくないそうです。尾道の空き家再生プロジェクトでは、市が空き家の解体を税金で行おうとしたのに対して再生を提案し、再生・活用に至ったという例もあります。

 尾道の空き家再生プロジェクトは、昨夜、東大駒場キャンパスの副産物ラボのネット配信で、多くの写真とともに空き家を再生した現のお宅で開催されたセミナーを聴講して知ることができました。

 駒場周辺にも空き家が多く課題になっているようですが、旧都立芸術高校校舎がその典型でしょうか。駒場東大前駅西口の空き地となっている国有地も課題です。「空き地にしておくのはもったいない、早く国庫にカネをいれろ!」との意見もあるでしょう。住民アンケートでは「スーパーがほしい!」という要望が一番多いようです。渋谷では再開発ということで建物が次々に壊されています。

 一方では、2040年には生産労働人口が現在の8割になるという現実があり、設備の維持をする労働力も課題になります。建物を多くつくることは、それだけ維持管理のための労働力が必要になることは明らかです。土地の経済効率を考えると最大限の建築面積の建物をつくることがよいことになりますが、それはその面積を見込んだ価格で利用する人があってのことです。その増えた建築面積の維持管理を少なくなる労働人口でまかなえるのかどうか。

 そんな中、国までが国有地の目先の地代収入の多寡しか考えられなくなってよいものか。とはいえ、国は民意によって動くはずのものです。その民意が全国的に縮小傾向にあるスーパーが欲しい、という結論にはなってほしくないのですが。

| | コメント (0)

«「8がけ社会」に向けて(2025-3-2)