旧前田家本邸のボランティアガイド募集中(2024-1-22)

目黒区の北端にある重要文化財旧前田家本邸は、目黒区が公園として管理する庭園と和館、そして東京都が管理する洋館から成り立っている。その洋館と和館のガイドを担当しているのが、旧前田侯爵邸ガイドボランティアの会(駒場ガイドの会)。会は目黒区の公園活動団体として登録され、東京都との協定も交わしている、昭和初期に建てられた旧前田家本邸を、さまざまなエピソードと共に来館者に伝えているボランティア団体である。

その会でボランティアガイドを2018年から6年ぶりに募集することになった。目黒区のホームページでその募集要項などが閲覧できる。

駒場公園 | 目黒区 (city.meguro.tokyo.jp)

応募の締め切りは2月20日で参加可否の連絡が2月末日にある。3月17日から6月9日にかけて、日曜午後に6回の講習会があり、それに参加できることが条件とされる。

対象は目黒区民に限らないが、駒場に近い、渋谷区、世田谷区の地域にお住まいの方が望ましいだろう。ガイドの経験は問わないとのことだ。

これを機会として、身近にある重要文化財と接すること、そしてそれが有効に活用されるよう、特に近隣の方々の関心が高まることを期待したい。

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下北線路街というまち(2023-12-30)

小田急線の世田谷代田・下北沢・東北沢の3駅が地下になったのは10年前の2013年3月であった。その跡地をどうするかについて、小田急、世田谷区、地域住民などにより協議が重ねられ、線路跡地の姿の全貌が発表されたのが2019年9月。下北沢駅を中心に、世田谷代田駅から東北沢駅近くまでの1.7キロを「下北線路街」と名付け、遊歩道とさまざまな施設を設置することになった。

まず、イベントなどに使われキッチンカーが並ぶ「下北線路街空き地」が2019年9月に、同年11月には商業施設の「シモキタエキウエ」が下北沢駅の上にオープンしたが、その後すぐにコロナ禍に襲われた。

そのため、当初の計画からは遅れることにもなったが、世田谷代田側から、住居併設の飲食店や物販店などの「BONUS TRACK(2020.4)、レストランもある「温泉旅館由縁別邸」(2020.9)、最後にミニシアターもあるまちのラウンジ「NANSEI PLUS(2022.1)がオープンした。

「下北線路街空き地」の東北沢寄りには、洗練された個店が集まる「reload(2021.6)、ライブスペースの「ADRIFT(2021.9)、国内外の旅行社のための「Mustard Hotel(2021.9)がオープンして現在は一段落したところ。下北沢駅から世田谷代田方向に向かう途中の「シモキタのはら広場」は荒れ地のような場所。自然が残されたように作られた広場である。ハーブティーと蜂蜜の小屋のような店「ちゃや」がある。

最終的には下北沢駅前がバスターミナルとなるのだが、その完成は2029年になる模様である。それまで、いつも工事中という落ち着かない状態が続くものの、下北線路街という地図にもないまちは、そのユニークさと1.7キロ続く規模の大きさからも、これから注目されるようになることは確実だろう。

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旧前田家本邸の主人がいた時代(2023-10-30)

重要文化財旧前田家本邸は「昭和初期の上流華族の生活をうかがい知ることができる貴重な文化財」であるとされる。この邸宅の主人であった前田利為侯爵が住んでいたのは1930年9月末から1942年4月までの11年と6カ月足らず。しかし、この時期は日中戦争から米国との戦争に入るという激動の時代であり、誰がどのような考えで動いたのかを知ることは、政治史を学ぶ上での課題になるだろう。

前田利為は侯爵で25歳から貴族員議員という立場と、陸軍士官学校を卒業した陸軍軍人としての立場を兼ね持つ。軍人としては、近衛歩兵第2連隊長、参謀本部第4部課長、歩兵第2旅団長、参謀本部第4部長、陸軍大学校校長、第8師団長(弘前)を1938年12月まで務め、その後予備役に編入されて日米開戦後、ボルネオ守備軍司令官となって1942年4月25日に駒場邸を離れた。

前田利為は歴史の表舞台に立つことはなかったが、この1930年代という日本の歴史が激しく動いた時代の主役、準主役の面々とのつながりには注目すべきものがあった。

駒場の前田邸への主な皇族・軍人・政治家の来客者の名前を時期の早い順にあげる。若槻礼次郎夫妻、幣原喜重郎(31年6月)、閑院宮親王(31年12月)、真崎甚三郎、梅津美治郎、永田鉄山、東條英機(33年4月)、広田弘毅(34年3月)、近衛文麿(34年5月)、高松宮親王(35年)といった、時代を動かした人々である。なかでも重要なのは、各国の外交官を招いたことだろう。特にアメリカ大使ジョセフ・グルーは、34年、35年、36年、37年、39年、40年、41年とほぼ毎年招待している。38年は満州勤務で駒場にはいなかったから、ジョセフ・グルーが1932年から1941年にわたって駐日大使を務めた中で、ほぼ毎年私邸で意見交換をしたのだから、それが日米開戦に向けて双方にどのような影響があったか、これからの研究課題になると思われる。グルーは膨大な日記を残しており、『滞日十年』の邦訳で出版されているが、その全貌は研究途上のようである。

重要文化財旧前田家本邸は、建物が重要文化財であるだけでなく、日本の歴史を考える場としての価値をも知っておきたい。

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